第9話 裸の付き合い

 

 現在ハイドランジアはお風呂に入っていた。リリアーナとスカーレットの二人と激しい戦闘をしたため、かいた汗を流すよう促されたのだ。

 王城のお風呂。大理石で覆われた床や壁。所々金で装飾されている豪華なお風呂だ。湯けむりが漂っている。

 城の人が使うお風呂で、今はだれも使っていないから、と案内されたお風呂だったが、明らかに一般人が使うお風呂ではない。貴族や王族が使うお風呂だ。

 ハイドランジアは居心地悪そうに隅っこで縮こまっている。


「なんで俺はこんな豪華なお風呂に入っているんだろう?」


 彼は自分に問いかける。何度も断ったのだが、王城で汗の匂いを漂わせてはいけない、と半ば強引にここへ連れ込まれたのだ。騎士たちは汗の匂いがプンプンしていたというのに。

 汗を流し、香油の香りが漂うお湯に浸かってボーっとする。力を抜いて体を休める。お湯がじんわりと心身を温め、心と体を癒していく。お湯が気持ちいい。

 ボーっと癒されていた彼がハッと気づいた。


「汗を流したから長く入る必要はないのか! 気まずいしさっさと上がろう!」


 ハイドランジアが立ち上がり、浴室から出ようとする。脱衣所に繋がる扉を開けようとした瞬間、ガラッと勢いよく開いた。別の誰かが開けたのだ。

 目の前に立っていたのは四十代くらいの全裸の男性。筋骨隆々の身体を隠すことなく仁王立ちしている。短く切り揃えられた金髪に、心の中まで見通すような鋭い青い目。威圧感漂う渋い男性だ。


「もう上がるのか、少年? もっとゆっくりしていていいのだぞ!」

「えーっと、あの…どなたですか?」

「おっ? 俺はただのおじさんだ。お風呂では身分は関係ない。そう思わんかね?」

「は、はぁ」

「さあ少年! 出来ればおじさんのお喋りに付き合ってくれ!」


 男性がハイドランジアの肩に手をまわして、お風呂へと有無を言わせず連れて行く。

 男性の身体は少し冷たい。全裸の状態でずっと待機していたのだろう。身体が冷え切っている。

 ハイドランジアはそれに気づいて、抵抗するのを諦める。


「わかりました。だから、お風呂で温まってください。このままだと風邪をひきますよ」

「おっと、それは困るな。俺が怒られてしまう」


 悪戯がバレたような顔をする男性。少し照れて、頬が赤くなっている。

 中年男性の照れている顔を見てもハイドランジアは嬉しくない。

 湯船に浸かった二人。機嫌が良さそうに鼻歌と歌う男性ととても気まずそうな少年。しばらく二人の間に会話はなかった。


「さて、少年?」


 男性が覚悟を決めた表情でハイドランジアに話しかけた。まるで竜に挑む直前のような表情だ。ハイドランジアはゴクリの喉を鳴らす。


「………………何を話せばいい?」

「……はぁ?」


 ハイドランジアの口から間抜けな声が出た。男性の言葉が予想外だったのだ。男性は真剣な顔でハイドランジアに言った。


「喋る内容が見つからない」

「知りませんよそんなこと!」


 ハイドランジアは思わず声を荒げてしまった。怒鳴られた男性はシュンと、わかりやすく落ち込んでしまう。


「だって………」


 泣きそうになる中年男性。全く可愛くない。ハイドランジアは、はぁ、とため息をついた。


「お仕事は何をしているのですか?」


 男性の顔がパァッと輝く。


「俺はこの国の国王………………ゲフンゲフン! いや、何でもない! 何でもないぞ!」


 今明らかに国王って言った。ハイドランジアは聞かなかったふりをする。


「国王陛下のために仕事をするただのおじさんなんですね?」

「っ!? そ、そうだ! 俺はただのおじさんだ!」

「今日のお仕事は終わったんですか?」

「ふふんっ! サボった! 抜け出してきたぞ! アッハッハッハ!」


 男性が機嫌よさそうに大声で笑う。ハイドランジアは呆れてものも言えない。


「……怒られないんですか?」

「うん? 怒られるぞ! 宰しょ……部下や妻にこっぴどくな!」

「それでいいんですか?」

「いつものことだ! 気にするな!」

「…………大丈夫なのかこの国は」


 ハイドランジアが不安になる。目の前の国王……ではなく、ただのおじさんが仕事を抜け出して、大勢の人に迷惑をかけているのだろうなと簡単に想像できる。


「それで少年? 君はなぜこの風呂に?」

「えっーとですね、リリアーナとスカーレット……いえ、リリアーナ殿下とスカーレット様と戦って汗をかいたら、お二人に放り込まれまして」

「ふむ。あの二人にか。友達ができたというのは本当のことだったか。全く信じていなかったが」


 誰にも信じてもらえないリリアーナとスカーレットを思って、ハイドランジアは涙が出そうになる。不憫な子、と思い始めたところで、退屈そうな公爵令嬢と無関心な王女が気に入らなければ何でもぶっ飛ばすことを思い出し、周りから信じられないのは彼女たちが悪い、と結論付ける。


「あの二人はどうだ? 学園でやっていけると思うかね?」

「大丈夫ですよ。何かあったら俺がフォローしますから」

「ふむ。狙いは何だね?」

「狙い?」


 男性がハイドランジアを鋭い眼光で睨みつける。圧倒的な覇気と魔力を纏い、目の前の人物を威圧する。あまりの圧力で空気やお湯が揺れている。

 男性の身体が青く光り、透明な姿をした鳥が現れた。水の身体で出来た大鷲。男性の精霊だ。お風呂のお湯を自由に操り、ハイドランジアを狙っている。


「リリアーナとスカーレットに近づく狙いは? 二人の身体? 金? 地位? それともこの国か?」

「なにも狙っていませんよ! たまたま学園で後ろの席にお二人がいたから友達になっただけで」

「君は何者だ? 俺の精霊が怯えている」


 男性が精霊から伝わってくる感情に戸惑っている。大鷲が震え、ハイドランジアに攻撃するのを嫌がっている。戸惑いながらも男性が闘気を溢れ出して警戒心を一段階上げる。


「俺は普通の平民ですよ。ちょっとばかり精霊に懐かれますが」


 男性の圧力に屈することなくハイドランジアが腕を上げると、そこに水の大鷲が降り立つ。そして、甘えるようにハイドランジアに嘴をこすりつけた。彼も慣れた手つきで水の羽を撫でる。

 男性は呆気に取られて固まっている。


「どうします? 俺を殺しますか?」

「い、いや。止めておこう。俺のイーグルが敵意を持っていないからな」


 透明な水の大鷲が青く輝き、男性の体の中へ戻っていく。放っていた圧力を全て霧散させると、身体を脱力させてお湯に身を任せる。


「脅してすまなかったな、少年」

「いいえ。気にしていませんよ。あなたからは娘を心配する父親の雰囲気を感じましたから」

「アッハッハ!。バレたか。まあ、少年を殺す気は全くなかったけどな。少年を殺したら俺が娘に殺される。いつの間にか父よりも娘が強くなってしまって………何がいけなかったんだ?」


 ぼんやりと遠くを見つめる男性。哀愁が漂っている。


「娘さんが強くなったきっかけに覚えはありませんか?」

「あぁ……妻の影響だな。俺が仕事を抜け出すたびに、妻があの細くて綺麗な腕で大剣を振り回して斬りかかってきたからな。なんであんなに華奢な身体で大剣を振り回せるんだろう? 実に不思議だ」

「あなたのせいですね」

「いや、妻のせいだ」

「仕事を抜け出したあなたのせいです!」


 男性は納得がいかないようだ。首をかしげている。ハイドランジアがため息をついて、お湯に身を任せる。じんわりと温かくて気持ちがいい。


「それで少年? どっちが好みだ?」

「………何の話ですか?」


 唐突な質問でハイドランジアは理解できなかった。


「リリアーナとスカーレットのことに決まっているだろう? なあ? どっちが好みだ? おじさんに教えてくれ!」


 何故か目を輝かせて迫ってくる。興奮して顔が赤い。鼻息も荒げている。


「恋バナというものをしてみたかったんだ!」

「何ですかそれ! 女子学生ですか!? あなたはいい年をした男性でしょう!?」

「仕方がないだろう? 周りは政略結婚ばっかりだし、立場上できなかったんだから。あっ、俺はちゃんと恋愛結婚だからな! 俺のことだったら何時間でも話せるぞ!」

「何時間も話すのは止めてください。のぼせてしまいます」

「なら少年が話してくれ!」


 中年男性が少年のように目をキラキラと輝かせている。純真な青い瞳に見つめられて、ハイドランジアは断ることができなかった。


「わかりましたよ。ですが、俺はリリアーナ殿下とスカーレット様にも恋愛感情は持っていませんからね」

「えっ? そうなのか? 俺ですら目を見張るくらい美人の二人だぞ!」

「確かに二人のことは美人だし、綺麗だし、可愛いと思いますよ。ただ、恋愛は別です。まだ会って二日目ですから」

「ふむ。これから好きになるってことだな!」

「何故そうなるんですか…?」

「違うのか? それとも少年には他に好きな人が?」

「今のところ好きな女性はいませんね」

「少年は彼女たちに必ず惚れる! 彼女たちも少年に惚れるだろう! そして、少年は選択を迫られる。幸せになるか血まみれになるか、全ては少年の選択次第だ」

「………それは予言ですか?」

「いや! 俺の願望だ! 最近甘ーい恋愛小説を読んでな、間近で少年の恋愛を眺めたい! 頑張ってくれ少年! ちなみに、俺はハッピーエンドが大好きだ。バッドエンドで刺されないでくれよ?」


 男性がニカっと白い歯を輝かせながらサムズアップしている。


「斬られることはあるかもしれませんね」


 本気で斬りかかってきたリリアーナとスカーレットを思い出して、ハイドランジアは苦笑いする。まだ斬られることはないが、これから先はわからない。二人は天才的な剣の才能を持っている。彼に追いつくのは時間の問題だろう。


「俺は毎日愛する妻に斬られてるけどな! アッハッハッハ!」


 この目の前の男性にこの国を任せて大丈夫なのだろうか、と国の行く末が不安になるハイドランジア。何度目かわからないため息をつく。


「ため息をつくと幸せが逃げるぞ?」

「あなたのせいでため息をついているんですけど」

「なぜだ!? 俺が何かしたのか!?」


 男性が顔を真っ赤にして抗議する。


「仕事をさぼっているでしょう? 仕事をしてください!」

「アッハッハッハ! 何のことかな?」


 笑って誤魔化す男性にハイドランジアはジト目を向ける。


「告げ口しますよ」

「ま、待て! 俺と少年の仲だろう!?」

「今さっき出会ったばかりなのですが」


 慌てている男性に事実を告げる。男性がハイドランジアの肩に手をまわした。汗をかいた裸の男性にくっつかれても全く嬉しくない。むしろ気持ち悪い。


「俺と少年は裸の付き合いだ。お風呂友達ってやつだな。もう友達だぞ! 恋バナもしたしな。いいな? 俺と少年は友達だ! 友達だぞ!」


 友達友達と連呼する男性。ハイドランジアは何となく察してしまった。目の前の中年男性には友達がいないと。この国の王族や貴族は友達がいないボッチが多いのだろうか。王国の闇を見た気がする。

 ハイドランジアは自棄になって答えた。


「ああそうですね! 俺とあなたは友達です。今日からよろしくお願いします。ただ、公的なところでは身分をわきまえますからね!」

「これからよろしく頼む! 少年! よしっ! 妻や子供たちに自慢できるぞ!」


 とても嬉しそうなボッチだった男性。ハイドランジアはその男性に肩に腕をまわされたまま動けない。汗だくの男性と密着していて、そろそろ精神的に辛くなってきた。早く離れたい。

 男性がボソッと小さく呟いた。


「少年……頼みがあるんだが…」

「リリアーナ殿下のことですか? それなら安心して…」

「のぼせた…助けてくれ」

「はぁ!?」


 男性の身体が真っ赤になり、目は据わってボーっとしている。身体が脱力して力が入らないらしい。完全にのぼせて脱水症状に陥っている。


「だ、誰かー! 誰か助けてくださーい! メイドさーん! 執事さーん!」


 慌てて助けを呼ぶハイドランジア。お風呂場に慌てて人が入ってくる。そして、お風呂でのぼせた中年男性は数人がかりで介抱され、どこかへと連れていかれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る