第8話 若様
バンッと勢いよくドアを開けて、スカーレットが部屋の中に入ってきた。見るからに疲れ果てている。ソファにぐったりと座り込んでだらしなく脚を広げている。
「あ゛~! づがれだ~!」
「スカーレットいいんですか? 貴女は公爵令嬢でしょうに。それにここはリリアーナの部屋ですよ。王城です」
ハイドランジアがだらしないスカーレットをできるだけ見ないようにしながら注意する。紳士としてみてはいけない気がしたのだ。
「いいのよ。ここは私を知ってるメイドしかいないし」
「俺もいるんですが」
「私もいますよー! ご主人様、お嬢様は大抵こんな感じですよ。早く諦めて慣れたほうが得策です」
メイドなのにハイドランジアの隣に座ってお菓子を食べているハンナがのんびりと言った。
リリアーナはこの場にいない。ナルシサスの件で呼び出されたまま帰ってこないのだ。スカーレットが帰ってきたということは、次はハイドランジアの番だろう。彼は緊張して体が強張る。
それに気づいたスカーレットが怠そうに言った。
「あ~ハイド? あんたの番無くなったわよ。説明しなくていいって」
「はい? 何でですか?」
「私と腹黒女が説明したし、ナルシサスだっけ? あいつも自白したわよ。流石に公爵やら宰相やら王族やら、偉い人から睨まれたら嘘はつけなかったらしいわ。これから処分を決めるって」
「…………随分早いですね」
なだ王城へ来てから二、三時間しか経っていない。異例の速さの対応だ。ハンナも目を丸くしている。
「選民思想には王族も貴族も苦労しているのよ。『高貴な血』とか『我々は神に選ばれた』なんて馬鹿馬鹿しい! 平民がいるからこそこの国は成り立っているのに! 本当に馬鹿な奴ら! 王家も悩んでいるらしいわ。今回のことで感謝されたわよ。ハイドにもお礼言われるんじゃない?」
「俺は普通に暮らしたいんですけどね……」
「お嬢様とリリアーナ殿下のお友達になった時点で普通の暮らしは出来ませんよ。ご主人様、諦めてください」
項垂れるハイドランジアをハンナが優しく慰める。
スカーレットが出された紅茶を一気に呷った。ガンッと高級なティーカップを叩きつけるように置いた。
「さあハイド! 行くわよ!」
「えっ? どこにですか!?」
「訓練場! 戦うわよ!」
「えっ! ちょっと! 心の準備が!」
「問答無用!」
スカーレットにズルズルと引きずられるハイドランジア。ハンナは、ご愁傷様です、と彼に手を合わせ、二人の後を追いかける。ルイーゼもメイドに指示を出してスカーレットとハイドランジアについていった。
スカーレットは慣れた様子で迷うことなく訓練場へ歩いていく。途中、騎士たちがスカーレットを二度見し、ある方向に向かって祈り始める。訓練場にいる騎士たちに祈っているのだろう。自分が訓練場にいなくてよかった、と安堵している様子がありありとわかる。
「ここよ!」
スカーレットがバーンッと訓練場の扉を勢いよく開ける。中にいた騎士たちが武器に手をかけ、急に入ってきた人に向かって警戒しているが、スカーレットだとわかった途端、顔を真っ青にする。ブルブルと震え始める騎士もいる。
「ば、薔薇の剣姫!?」
「スカーレット様がなぜここに!? 学園へ通われているはずでは!?」
「リリアーナ殿下は!? いらっしゃらないのか!?」
「だ、誰か! 団長を呼んで来い!」
「団長は任務中です!」
「あぁ………終わった…俺、死んだ」
絶望する騎士たちを気にせず、スカーレットはハイドランジアを引きずりながら武器庫へと案内し、自分の武器を選び始める。
「騎士たちが怯えているんですが…スカーレット? 何をしたんですか? 大体予想は出来ますが」
「練習相手にしただけよ」
「鎧から見て彼らは近衛騎士団所属のようです。王国の中でも最強の騎士たちなのですが、お嬢様やリリアーナ殿下の遊び相手なのです。いつも彼らをボコボコにしてお嬢様は高笑いを…」
「高笑いはしてないわ!」
輝く笑顔で嘘を言うハンナに、スカーレットが恥ずかしそうに顔を真っ赤にしながら反論する。王国最強の騎士たちをボコボコにしたのは事実らしい。
やはりハイドランジアの予想通りだった。騎士たちに心から同情する。
「さあやるわよ! 巻き込まれたくなかったら離れなさい!」
武器を選び終わったスカーレットが、闘争心を燃やしながら訓練場の中心に向かって歩いていく。近くにいた騎士たちがサッと離れていく。武器を選び終わったハイドランジアも苦笑しながら中心に向かう。
「では、ご主人様。私は観戦しています。相手はお嬢様なので無理はしないでくださいね。下手したら死にますよ」
「彼女に殺されるほど俺は弱くないですよ」
ハイドランジアの実力を知らないハンナが不安そうに瞳を揺らしている。そんな彼女を安心させるようにハイドランジアはにっこりと微笑んだ。ハンナの頬が朱に染まる。
訓練場の中央でスカーレットとハイドランジアが構え合う。
全ての準備が整った。
彼女の全身から炎のように荒々しく熱い闘気が放出される。普段は退屈そうな顔が、口元を吊り上げ好戦的に笑い、闘志を燃やしている。闘気を浴びた騎士たちの身体が震え始める。
ハイドランジアからは闘気も殺気も感じられない。涼しい表情で彼女の闘気を受け流している。
彼が見覚えのある構えをとった。手には両刃の両手剣。スカーレットと同じ剣で同じ構え。
スカーレットの目つきがより一層鋭くなる。
「私の真似かしら? 一戦で私の癖を見抜いたとでも?」
「こういうのは得意なので。スカーレットは強くなりたいのでしょう? 戦ってみればわかりますよ」
「ええ。ハイド…楽しく踊りましょう」
二人の間に合図はいらない。一瞬の静寂の後、同時に地面を蹴った。キーンッと金属がぶつかる甲高い音が響いた。一瞬遅れて剣がぶつかった衝撃が襲ってくる。
二人が剣をぶつけあったのは明らかにスカーレットに近い位置。ハイドランジアのスピードのほうが彼女より速かったのだ。
一瞬だけ拮抗した二人は、即座に次の行動に移る。
斬って、突いて、躱して、斬って、斬って、斬りまくる。
二人の動きはまるで鏡合わせのように同じだ。スカーレットが二人いるかのよう。動きや癖がほとんど同じ。
紅い少女と灰色の少年が織り成す白銀の煌めき。少年と少女が舞い踊る。
しかし、スカーレットがことごとく押し負ける。ハイドランジアのほうが洗練された動きで、彼女を圧倒しているのだ。
「ふふ……ふふふ………あはははは! いい! いいわ! ハイド! あんた最高よ! 益々気に入ったわ!」
スカーレットが歯をむき出して好戦的に笑う。しかし、とても美しい笑顔だ。更に血を滾らせ、荒々しい攻撃を繰り出す。
「それはありがとうございます」
ハイドランジアは涼しい表情で彼女の攻撃を躱す。そして、彼女と同じ動きで反撃する。
「ハイド、あんた今、私が出せる同じスピード、同じ力で戦っているわよね?」
「気づきましたか。その通りです。スカーレットの身体能力に合わせています」
「それなのに私が押し負ける。技や身体の動かし方でこんなに違うなんて…」
「貴女の悪い癖も修正していますからね」
「くっ! 言うわね」
「もっと強くなれる証拠ですよ」
「…そうね。ハイド、もっと私に教えて! 全てを教えて!」
「いいでしょう! ………もっと腰を落とす! 剣先がブレてる! もっと風を斬り裂くように! 踏み込みが甘い! 足を半歩前! 視線で丸わかり! 一点に集中しすぎ! もっと視野を広げて!」
スカーレットが攻撃を繰り出すたびに、ハイドランジアがアドバイスを言い始める。それを聞いた彼女も少しずつ少しずつ動きを修正する。まだまだ荒々しいが、ほんの少しずつ動きが良くなっていく。
剣と剣がぶつかり合い、衝撃と爆風が訓練場を吹き荒れる。
二人の戦いを観戦していた騎士たちが口をポカーンと開けて固まっている。王国の中でも五本の指に入ると言われているスカーレットが押し負け、教えを受けているのだ。あり得ない光景に頭が理解できない。
「きゃー! ご主人様カッコイイー! がんばれー! お嬢様をぶっ飛ばせ!」
「ハンナ! 聞こえてるわよ!」
ハンナの黄色い声援とスカーレットの怒鳴り声で騎士たちが我に返る。事情を知っているであろうハンナの下へ向かう。ルイーゼはここへ来る途中に別れたのでここにはいない。
「ハンナ様? スカーレット様と戦っているのは誰ですか? 見たこともない顔ですが」
「きゃー! ご主人様! ………ああ、騎士の皆様お疲れ様です。ご主人様のことですか? 彼はお嬢様のご学友ですよ。昨日お友達になったそうです」
「ス、スカーレット様のお友達!? まさかっ!? 薔薇の剣姫にお友達がっ!? あり得ません!」
騎士たちが驚愕する。ハンナは、そのお気持ちはわかりますよ、と頷いている。
「本当にお友達になられたんですよ。私も聞いたときは嘘だと思いましたね。夢かと思ってお嬢様の頬を全力で抓りましたよ。殴りかかってきたので避けましたけど」
あはは、と楽しそうに笑うハンナに騎士たちがドン引きする。
彼らはスカーレットに手を出そうと思わない。彼女の攻撃を避けられないからだ。全て返り討ちにされる。なのに、目の前のメイドはあっさりとスカーレットの攻撃を避けたと言った。ハンナもただ者ではない。ハンナは化け物と認識を改め、彼女から距離を取る。
「ご主人様はお嬢様を軽くあしらうくらい強いんですね。流石私! ご主人様に忠誠を誓ったこの目に狂いはなかった! きゃー! ご主人様ぁ! かっこいいー!」
騎士たちでさえも目で追えなくなっている戦いを、ハンナは平然と見えているらしい。爆音と爆風が襲ってくるのを全く気にせず、ハイドランジアに黄色い声援を送っている。
「あれっ? 彼がいれば俺たちがスカーレット様と戦う必要ないよね?」
呆然と眺める騎士の一人がボソッと呟いた。その言葉を聞いた騎士たちが目を輝かせる。
「彼は男。もしかしてスカーレット様の恋のお相手? スカーレット様が彼と結婚すれば俺たちは戦わなくていい。なぜなら彼がいるから!」
「そうだ! 彼との恋を応援すればいい! そうしたら俺たちは解放される! ボコボコにされなくて済むぞ! 俺たちは自由になる!」
「彼の名前は? わからないから、旦那様にする? しっくりこないな。う~ん……若様はどうだ?」
「若様! うん、悪くない。若様! スカーレット様を頼みます! 俺たちを救ってください! 若様お願いします!」
近衛騎士団の中に若様という言葉が伝わっていく。しかし、一人の騎士があることに気づいた。
「待てみんな! スカーレット様と若様がくっついたらリリアーナ殿下はどうなる!?」
騎士たちの顔が真っ青になる。
よく戦っているのはリリアーナとスカーレットだ。そして、どちらかの都合が悪かった場合に騎士団が相手になるのだ。スカーレットとハイドランジアが結婚した場合、リリアーナは一人残される。そしたら、彼女の相手をするのは騎士団だ。スカーレットと同格のリリアーナを押し付けられることを想像してしまって、彼らは絶望する。
「わたくしの話をされているのですか?」
騎士たちの背後から冷たい声が聞こえた。騎士たちは慌てて敬礼する。
「何でもありません! リリアーナ殿下!」
「そうですか」
ルイーゼを連れて訓練場に入ってきたリリアーナは、興味がなさそうに騎士たちを一瞥し、訓練場の中央で行われている戦いに目を凝らす。少し疲れた顔をしていたリリアーナが、氷のような冷たい闘気を溢れ出し、目を鋭くし、唇を吊り上げ、好戦的に微笑む。
「へぇ。レティが強くなっていますね。この短時間に。それにハイド様のあの動きはレティの……。なるほど。そういうことですか」
リリアーナは訓練場にある椅子の最前列、ハンナの隣りに座ると、食い入るように戦闘を見つめ始める。二人の一挙手一投足を見逃さない。リリアーナは周りのことが目に入らないくらい集中する。
近衛騎士団の騎士たちが再び内緒話を始める。
「なあ? ハイド様って若様のことだよな? リリアーナ殿下が食い入るように彼を見つめている。もしかして、三角関係?」
「かもしれないな。だとしたら、どっちを応援すればいいんだ? スカーレット様? それともリリアーナ殿下? どっちを応援しても俺たちは地獄だな」
「ああ、神様! 俺たちをお救いください!」
騎士たちが天の神様に祈り始める。祈っていた一人の騎士がハッと閃いた。
「ロトス王国って一夫多妻がオーケーだったよな?」
「養えるお金と甲斐性があればな………なるほど! 若様にスカーレット様とリリアーナ殿下を押し付ける………じゃなくて、娶ってもらうのか! ナイスアイデア!」
「スカーレット様とリリアーナ殿下のお二人と結婚すれば、必然的にお相手は若様になる。俺たちが相手をしなくてもよくなる。最高じゃないか!」
「よし! 俺たち近衛騎士団はスカーレット様とリリアーナ殿下のお二人の恋路を全力で応援する。そして二人とも若様に押し付け……じゃなくて、若様と結婚してもらう。これでいいな?」
「「「「「おう!」」」」」
騎士たちの話がまとまった丁度その時、轟音と爆風が止まった。訓練場に静寂が訪れる。
訓練場に立っている片方がバタリと床に倒れた。汗だくになって、息を荒げている。もう片方は余裕そうに立っている。
倒れ伏すスカーレットを見て、騎士たちは顎が外れそうなほど大きく口を開ける。今まで見たことがあるのはせいぜい相打ち。このようにスカーレットが一方的にやられる姿は初めて見たのだ。
ハイドランジアがスカーレットをお姫様抱っこをして近寄ってくる。彼は疲れて動けないスカーレットをハンナの横に優しく下ろした。ハンナがパタパタと扇いだり、汗を拭ったり、水を飲ませたりして介抱する。
「レティ…ハイド様はどうでしたか?」
リリアーナがスカーレットの顔を覗き込む。彼女の身体は火照って艶めかしい。
「リリィも戦えばわかるけど……最っ高! 今は身体が動かないけど、まだまだ戦いたい! 強くなるのがよくわかるわ! 今ならあんたに勝てるかも」
「ふふふ。出来ないことは口に出さないほうがいいですよ。貴女が無様に寝ている間にわたくしはもっと強くなりますので。ハイド様、わたくしと踊っていただけますか?」
「よろこんで!」
軽く汗をかいているだけのハイドランジアがリリアーナの誘いに快く応じる。二人は武器庫に行って大剣を準備し、訓練場の中心で武器を構えて戦闘を開始した。訓練場に再び轟音と爆風が吹き荒れる。
「きゃー! ご主人様かっこいいー!」
「ちょっと! 私も観たいんだけど! ハンナ手伝いなさい!」
「えー! はいはい。わかりましたよ」
「私もお手伝いいたしますね」
「ありがとうルイーゼ。あんたにお礼は言わないわよ、駄メイド」
「いいですよ。ご主人様に慰めてもらいますので」
スカーレットとハンナとルイーゼがハイドランジアとリリアーナの戦闘を眺めている。
リリアーナとも激しい戦闘をするハイドランジアを見て、騎士たちの開いた口が全く閉じない。ずっと開きっぱなしだ。自分では閉じられないので、お互いの口を閉め合う。
乾ききった口の中を唾液で湿らせてからようやく喋り出す。
「若様って化け物だな」
「スカーレット様を倒したのに今はリリアーナ殿下と戦ってる。あり得ないだろ」
「スカーレット様とリリアーナ殿下を任せられるのは若様しかいない!」
騎士たちが、若様若様、と口々に応援し始める。彼らは自分たちの自由と平和のためにハイドランジアを応援する。
しばらくして、涼しい表情で余裕そうに立つハイドランジアの傍らには、疲れ果てて動けないリリアーナの姿があった。騎士たちの口が再びポカーンと大きく開く。
この話は瞬く間に城中に伝わり、ハイドランジアが城に来るたびに『若様』と呼ばれることになった。
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