第5話 昼食時の出来事

 

 学園の食堂。賑やかな声が響き楽しげな雰囲気と美味しそうな香りが漂っている。

 食堂の一角に、生徒たちが寄りつかない場所があった。第三王女リリアーナと公爵家長女スカーレット、そして平民のハイドランジアが座っている付近だ。興味深そうにチラチラと視線を寄せるが近づきたくないようだ。

 三人はその視線を気にせず、楽しそうに食事をしている。


「それにしてもハイドって意外とやるわね。驚いたわ」


 スカーレットが清々しい表情で言った。武術の授業で思いっきり暴れたからスッキリしたのだろう。気分が良さそうに食事をしている。


「そうですね。負けるとは思いませんでした」


 リリアーナが少し悔しそうにしている。ハイドランジアは、王国でも五本の指に入るというリリアーナとスカーレットを二人同時に相手して勝ったのだ。完膚なきまでに叩き潰された。彼女の悔しさは計り知れない。


「また私と戦いなさい! すぐにあんたを越えてやるわ!」


 スカーレットがハイドランジアに向かってナイフを突きつける。行儀は悪いが、彼女は気にする様子もない。瞳を燃やして熱い闘気を溢れ出させている。

 食堂にいた生徒が顔を真っ青にする。

 彼女の闘気を軽々と受け流すハイドランジア。平民にしては上品に食べ物を口に運ぶ。


「時間が空いていればお相手しますよ」

「よしっ! 早速今日学園が終わったらするわよ!」

「まあ、いいですけど」

「わたくしとも踊ってくださいな」

「もちろん喜んで」


 スカーレットがリリアーナを睨みつける。


「最初にハイドと戦うのは私よ! あんたは後だからね!」

「ええ。わかっていますよ」

「あれ? あんたが引くなんて珍しいじゃない。とうとう私がハイドの一番の親友だって認めたのかしら?」

「いいえ、違いますよ。貴女と戦っているハイド様の癖を見抜こうと思いまして。ハイド様を越えるのはわたくしが先です」


 リリアーナから冷たい闘気が発せられる。

 食堂にいた生徒たちがガクガクと震え始める。

 バンッとスカーレットがテーブルを強く叩いた。そして、隣に座るリリアーナに詰め寄る。


「ハイドを越えるのは私が先よ!」

「いいえ、わたくしが先です!」


 二人がフォークとナイフを構えて、今にも喧嘩を始めようとする。第三王女と公爵令嬢が怒気を発しながら睨み合う。

 ハイドランジアが喧嘩しそうな二人を呆れたように眺めながら食事をしている。


「二人とも、ナイフとフォークは喧嘩するためのものじゃありませんよ。食事をするためのものです。それに……」


 ハイドランジアはそこで一旦言葉を切り、瞳に力を込め、唇を吊り上げ、二人を挑発する。


「その程度の力では俺を越えることは出来ませんよ」

「絶対ぶっ飛ばす!」

「ぶちのめします!」


 挑発に乗った王女と公爵令嬢がこめかみに青筋が浮かべ、ハイドランジアに殺気を向ける。炎のように荒々しい殺気と氷のように鋭い殺気を彼は余裕で受け流す。

 食堂では気絶する者が続出する。

 リリアーナとスカーレットはフッと殺気と闘気を霧散させる。そして、何事もなかったかのように食事を再開させる。


「ほう。もう少し突っかかってくると思いましたが…」

「実力差くらい把握してるわよ。さっきのハイドが全力を出していないことも」

「まずはハイド様に全力を出させることが目標ですね。楽しみです。それにしてもハイド様はどこでそのお力を身に付けられたのですか?」

「俺は故郷にいたら自然と身に付きましたよ」

「ハイド様の故郷?」


 リリアーナとスカーレットは首をかしげている。昨日言ったはずだけど、とハイドランジアは思うが、メイドのルイーゼとハンナとお喋りしていて、目の前の二人はベッドの上で取っ組み合いの喧嘩をしていたことを思い出した。


「二人は昨日喧嘩していて聞いていませんでしたね。俺はクインス自治領出身です。様々な種族が住んでいるあの場所で鍛えられましたよ。ドワーフの力、獣人のスピード、エルフの器用さ。あそこは魔物も強いですからね。強くなければ生きていけませんでした」

「クインス自治領……面白そうですね」

「今度行ってみようかな」


 普段は退屈そうなスカーレットと、何事にも興味がなさそうなリリアーナが、興味津々で目を輝かせている。戦うことに関しては興味を抱くらしい。

 好戦的だなぁ、とハイドランジアは思う。


「機会があればご案内しますよ」

「約束よ!」

「絶対ですからね!」

「はい。約束です」


 ハイドランジアと約束したリリアーナとスカーレットは嬉しそうに顔をほころばせている。年相応の可愛らしい笑顔だ。ハイドランジアは二人の笑顔を見て心が惹かれてしまう。周囲の生徒たちも心を掴まれた男子が胸を押さえている。

 ハイドランジアの後ろを少年が通りかかる。


「おっと手が滑った」


 わざとらしい声がしたこと思うと、ハイドランジアの頭に冷たいものが降ってきた。冷たい水が彼の体や制服を濡らしていく。

 リリアーナとスカーレットの笑顔が凍り付いた。

 食堂がシーンと静まり返る。

 ハイドランジアに水をかけた少年がニヤニヤと厭らしい視線を彼女たちに向ける。


「おや、リリアーナ殿下とスカーレット様、ごきげんよう」


 ハイドランジアのことなど目もくれず、欲にまみれた顔を隠そうともしないで、リリアーナとスカーレットに話しかける。

 二人はハッと我に返ると、ハイドランジアの下に近づき、高級そうなハンカチで彼の身体を拭き始める。

 水をかけた少年が憎々しげにハイドランジアを睨みつける。


「二人とも俺は大丈夫ですよ」

「しかし!」

「大丈夫ですから」


 リリアーナがなおも拭き続けようとするが、ハイドランジアは手で制す。

 水をかけた少年が嘲笑う。


「そうですよ! 平民なんか放っておけば良いのです! 平民など水で汚れていたほうがお似合いです」


 怒りの形相で飛び掛かろうとしたリリアーナとスカーレットを、ハイドランジアは必死でなだめる。


「二人ともありがとうございます。気にしないでください。これくらいすぐに乾きますし」


 ハイドランジアはそう言うと魔法を発動させる。火魔法と風魔法を組み合わせた温風の魔法だ。緻密なコントロールにより、濡れた服や髪が瞬く間に乾燥していく。それを見た生徒たちから感嘆の声が漏れた。

 魔法を停止させたハイドランジアは水をかけてきた少年の前に立つ。


「貴族のご子息とお見受けします。私はハイドランジア。ご存知の通り平民です」

「ふんっ! 俺はナルシサス・イーゴティズム。イーゴティズム伯爵家次期当主だ!」


 自惚れている様子を隠そうともせず、傲慢な態度で名前を述べる。リリアーナとスカーレットの目つきが鋭くなる。

 学園では身分など関係ないが、ハイドランジアは一応へりくだった態度で接する。


「伯爵家次期当主ともあろう御方が私に何の御用でしょうか?」

「ふんっ! 貴様になど用はない。だから今この場から消え失せろ。リリアーナ殿下とスカーレット様に二度と近づくな!」

「お断りします」


 ハイドランジアはにっこりと微笑んでナルシサスの要求を拒否する。殴り掛かろうとしていたリリアーナとスカーレットの動きが止まった。二人は少し嬉しそうだ。

 ナルシサスは驚きで口をパクパクさせている。そして、ハイドランジアの言葉を理解して、怒りで顔が真っ赤に染まっていく。


「き、貴様! 俺の言うことが聞けないのか!」

「ええ。聞けませんね」

「俺は伯爵家の次期当主だぞ!」

「それがどうかしましたか?」

「不敬罪で処刑してやる!」

「ですが、この学園では身分は関係ないはずでしたよね?」

「それは建前だ! 高貴な血を持つ我々貴族に薄汚い平民は黙って従っていればいい! 平民なんぞただの奴隷だ!」


 ナルシサスの言葉が食堂に響き渡る。平民の生徒たちはナルシサスを睨みつけ、貴族出身の生徒たちの中にも彼に反対している者もいる。しかし、彼の言うことは当然だ、という顔をしている生徒たちもいるようだ。


「だそうですよ。リリアーナ」


 ハイドランジアは王族の意見を聞こうとリリアーナの名前を呼んだ。

 しかし、帰ってきたのは声ではなく轟音だった。

 ドゴンッと何かが天井に叩きつけられて、食堂の床に勢いよく落下する。ナルシサスの身体が床でピクピク痙攣している。

 ハイドランジアは冷や汗を流しながら、ナルシサスの鳩尾に下から拳を叩きこんだリリアーナに問いかける。


「リリアーナさん? 一体何を?」

「あら? 殴ってもいいという許可ではなかったのですか?」

「違います! 王族として、彼の意見はどう思ったのか聞こうと思ったのだけです!」

「ならすることは一緒でしたね」


 リリアーナはお淑やかに微笑む。どうやってもナルシサスのことは殴ったようだ。気に入らない。だからぶっ飛ばす。困った脳筋のお姫様だ。

 同じく脳筋の公爵令嬢は機嫌が悪そうに仏頂面だ。


「あたしがぶっ飛ばしたかったのに。ハイド、放課後は暴れるから」

「先ほども暴れたでしょう? はぁ……気が済むまでお相手しますよ」


 わたくしも、というリリアーナの要求も受け入れる。

 静まり返って、誰もが驚きで固まっている食堂。ナルサシスは床で泡を吹きながら白目をむいている。

 リリアーナが王族としての覇気を纏うと、優雅に一礼した。


「わたくしはロトス王国第三王女リリアーナ・ロータスと申します。王家としましては、この床で気絶している愚か者の言い分を肯定しておりません。平民の皆様を薄汚いと思っておりませんし、奴隷などと思っておりません。王族や貴族は上に立つ者として身分の差をはっきりさせる必要はありますが、平民の皆様のおかげで王国が成り立っていると考えております。王国ではこのような選民思想は処罰の対象となります。イーゴティズム伯爵家には王家から正式に抗議し、この者に処分を下すとわたくしの名に誓います。気分を害された皆様、この度は誠に申し訳ございませんでした」


 王女であるリリアーナが頭を下げる。

 食堂がどよめいた。王女であるリリアーナが謝罪したのだ。平民も貴族も関係なく驚愕する。

 リリアーナの隣にいたスカーレットも貴族としても風格を漂わせる。


「私はローズ公爵長女スカーレット・ローズと申します。ロトス王国の公爵家として、私からも気分を害された方へ謝罪させていただきます。申し訳ございませんでした」


 スカーレットも頭を下げて謝罪する。

 王女と公爵令嬢が謝罪する前代未聞の出来事に、食堂にいる者は皆呆気に取られている。

 静まり返る食堂。誰もがどうしたらいいのかわからない。二人の少女は頭を下げ続けている。

 ハイドランジアがリリアーナとスカーレットに声をかけようとしたとき、食堂に入ってきた新たな人物が、静寂を破り、大声をあげた。


「これは一体何事だ!」

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