記憶。

体が熱い、思うように動かない。

バサッ……

足がもつれて雪の上に倒れる。

(だめだ……動けない……)

激しい雪があっという間に僕の体の上に降り注いだ。

❅                  ❅                 ❅


ーーー昔の事だ。

この国がまだ、外を知らない頃。


僕は一人で座っていた。

神社のお賽銭箱の奥の小さな階段は、いつだって僕の場所だった。

いつからなんて、そんなことは僕にもわからなかった。

僕のことを見える人なんていなかったし、僕は暦の存在も知らなかったから。

だから僕は毎日、ただ降り積もる雪をぼんやりと眺めていた。

日が登って、沈んで、また登って、

そうやっている間に、僕は手で触れたものは凍らせられるということに気が付いて、色々なものを凍らせてみた。

周囲も雪で覆われていたし、結局僕に気づく人は、いなかったけれど。



その日は雪がふわりふわりと降る程度で、久しぶりに陽の差す日だった。

そんな天気もあって、僕は朝から座ったまま微睡んでいた。

「……神様?……」

誰かが僕を呼ぶ。

「ねえ、そんなところにいて、寒くないの?」

僕のことが見える人なんていなかったから、その言葉が他の誰かにかけられたものなのだろうと思って、後ろを振り向いた。

「君のことだよ、」

そう言われて僕がもう一度前を向くと、彼女はムスッとした顔で僕を指さす。

「僕?」

が自分を指さすと、

「そう。君……えっと、名前は?」

「……なまえ?」

僕がそう言って首を傾げると、

「うん! 私は里見、君は?」

そう嬉しそうに笑った。

それが、全ての始まりだった。


里美と僕はたくさん話して、友達になった。

そして彼女は、名前のない僕に「雪綺」と名付けた。

里見は僕のことを大人に話したけれど、当然、誰にも見えなかった。

でも、里見が邪険にされることは無かった。

誰にも見えない僕が色々なものを凍らす様子は神のように見えたらしく、僕は村の人達の神様になってしまった。

そして里見は神と話せる「巫女」となった。

村の人達はたくさんの供物を僕によこそうとしたけれど、僕は断った。僕には、彼らを手伝うことぐらいしか出来なかったから。

そうすると、彼らは代わりにその季節の花々を、道に咲く小さな花たちをくれるようになった。

小さなそれらは儚く、それでいて美しかった。

僕には見えなかったけれど、もしあの神社に本物の神がいたら僕が神になってしまった事に怒っていたかもしれない。

でも、村の人達は僕が神であることで喜んでくれたから、僕は神であることにした。

それに彼らと過ごす日々は僕にとって本当に大切なもので、たとえ彼らに見えなくても、僕は彼らの神でありたかった。



でも、僕は神じゃなかったし、彼らと僕らは思い合うには少し遠すぎた。

そして僕は、突然倒れた。



「大丈夫?」

里見が僕を覗き込んだ。

ここはあの神社。僕は熱を出してしまって、この神社の床に布団を敷いて寝ころんでいた。

「大丈夫だよ。ちょっと、体調を崩しちゃったみたい。」

そう言って僕は微笑んだ。

ゆっくり立ち上がろうとすると、里見がそっと手を伸ばす。

「あ、触れちゃダメだよ。」

僕がそう言うと彼女は慌てて手を引っ込めた。

僕の力はコントロール出来なくなっていた。以前は念を込めて触れると物を凍らせられる。たったそれだけだったのに、今は触れたら最後、時に近づくだけでもその人を凍らせてしまう。

「あの村の人は大丈夫?」

「まだ……しんどいみたいで今は家で寝てるよ。」

「……そうか。」

僕が倒れたその時、里見の叫びを聞いて僕に近づいてしまった村人の一人が凍ってしまったのだ。

それから焚火とか太陽の光とか、いろいろ使ってなんとか氷は溶けたらしいのだが、彼の体調はなかなか回復しなかった。

「吹雪の中、こんな所までごめんね。」

「いや、いいよ。それより雪綺君こそちゃんと寝て治してよ。村の人たちも心配してるんだから。」

「うん。」

僕は村の人たちを思い浮かべて微笑んだ。

神社の床はすこし冷たくて、熱く火照った体には丁度いい。でも、外は吹雪だから熱が出てない里見には寒かったのだろう。もこもことたくさん着込んでいる。

吹雪は僕の周りが一番酷く、離れれば離れるほどましになる。

だから僕は、村に被害を出さないようになるべく離れたこの神社で休んでいる。

(たぶん、僕の体調が治ったら治まると思うんだけど、それまで村の人には迷惑をかけちゃうな。)

コンコン、

神社のふすまが叩かれた。

「はい!」

彼女がそう言って、扉を開けると、そこにいたのは……


❅                 ❅                  ❅

「はっ、はっ、はっ、はっ、」

危ない、意識を失っていた。

慌てて空気を吸って、吸って、それでも全然足りない。

自然と呼吸は荒くなる。

全身は焼けるように痛いのに、身体の中だけが冷え切って動こうとしない。

吹雪で渦巻く空を見上げたまま、僕は倒れていた。

大きく広げた手は、動かしても感覚がなくて、目の端に映った手が自分のじゃないみたいだ。

吹雪は僕を中心に渦巻いて、周囲の木々は唸りを上げて揺れ、時に枝が風に舞って飛んでいく。

吹雪は僕のからだを少しづつ隠し、僕は沼の底へずるずると沈んでいくような感覚になる。

(意識が……遠のく……)

景色が霞んでぼやっと滲んで、そっと暗転した。


❅                 ❅                  ❅


里見が扉を開けた先にいたのは、村人たちだった。

村人が勢ぞろいしてじっとこっちを見ている。その手には、吹雪の中歩くための松明と、鍬や鋤などが握られている。

「みんな……どうしたの?」

「このままじゃあ稲を育てられねぇ」「どうか、雪を晴らすようにお願いしてくれないかしら。」

人々は、

「え……」

(そんなの、どうやったらいいのか分からない……)

「今年の稲作がだめなら年貢が納められないわ。」「それ以前に、私たちが飢えてしまう」

「ごほっ、ごほっ、ごほっごほっ」

「雪綺くんっ! 立ち上がったらだめっ」

慌てて里見が駆け寄り、

「きゃっ」

触れてしまった里見の指先がうっすらと氷で覆われ、里見が離れる。

「巫女様のことまで傷つけるなんて……、やっぱり。」

「えっ?」

「お前、神様じゃないんだな。」

どくんっ、と心臓が脈打つ。確かに、僕は神様じゃない。雨を降らせられるわけでも、災いを退けられるわけでもない。

でも、それでも、役に立とうと思った、役に立ちたかった。

たくさん手伝いをした。里見を通じてたくさんの相談に乗った。

そして何より一緒に笑った。

僕は、僕は、この村の一員になれたと思っていたのに。

「そこにいるんだな、神様。いや、荒神!」「観念しろっ」「雪を晴らせ」「だましやがって」「ふざけるな!」

雪が次々に投げられ、そのうちのいくつかがふらふらと立ち上がっていた僕に当たる。

見えなくても、投げつけたものが不自然に落ちるのを見て当たった場所は分かったらしく

「そこだなっ!」

鍬を持った一人の若者がどすどすと階段を駆け上がり、大きく上げられた鍬が僕に向かって真っすぐに振り下ろされる。

「やめてっ!」

そう手を出すと、若者はその姿のまま凍り始め、鍬は僕の数センチ手前で止まった。

「ひっ、」

僕はそれを見て思わずしりもちをつき、手をついたところからあっという間に床が氷に覆われる。

里見は若者が凍ったことに呆気にとられていたけれど、自分の立っている床が凍り始めているのを見て、慌てて神社の外へ飛び出し難を逃れた。

「やっぱり、」「悪霊だ」「神様なんかじゃない」「出ていけ」「ちがっ、雪綺くんはっ」「よくも俺たちをだましやがって」「汚らわしい」「よくしてやったのに」

「「「出ていけっ!」」」

「違うのっ!」

里見の声が大きく響いた。

「聞いて。」

村の人々が騒ぐのをやめる。

「雪綺くんは、今、熱を出してるの。この吹雪はそのせい。」

村の人々の視線は、彼女に集中していた。

「だから、もうちょっと待って。きっと安静にしてれば、すぐに治るから。私には分かってるの。」

そういって、最後に里見は微笑む。

……嘘だ。

本当は一番不安で仕方がなかったのは里見なのに。


「ごほっ、ごほっ。」

「……雪綺くん?」

僕がそろりと立ち上がると、冷たい空気が僕を中心に回り始める。おなかのあたりがぐらぐらと煮えかえるように熱くなって、熱に浮かされた体も、そこから見る景色も、ぐらぐらと揺れる。

「里見……離れて」

「……えっ?」

そういった瞬間、里見の体は何十メートルも飛ばされて、ふかふかの雪の上にダイブしていた。

「おい……どうした……」


それから先のことは、きちんと覚えていない。

ただ、たくさんの叫び声と、悲しみの音が、森中にこだましていたことは確かだ。


❅                  ❅                ❅

ーー雪稀くんーー

風花ちゃんの声が聞こえた気がした。

僕は目を開けて、ぼやけた世界に焦点を合わせた。

倒れたままなんとなく横を見ると、風花ちゃんが崖から落ちていた。

「風花ちゃん!」

下の岩場は雪が積もっていない、このまま落ちたら……

考える前に体は動いていた。全身に力を入れて起き上がり、手を目一杯前へ突き出す。

「おねがい!風花ちゃんを助けてっ!」

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