雪童子

私が気付いた時にはすでに彼はいなかった。後に残されていたのは凍りついた神社だけだった。

「雪稀くん?どこにいったの?」

私は立ち上がった。よっぽど強く打ったらしい。背中は私が動かすごとに悲鳴を上げた。神社の障子が破れていた。彼の起こした風が破いたらしい。

昨日から降り続けている雪が彼の足跡を消していて、どちらの方向に行ったかすら分からなかった。

次の日も、またその次の日も、待っても待っても彼は神社に帰ってこなかった。

学校が終わった後は森中を探し回ったけれどやっぱり彼はいなかった。

しばらく雪が降らずに晴れの日が続いた。

彼の体調が心配だった。



彼がいなくなってから一週間がたった。今日は両親が珍しく二人とも早くに仕事が終わり、お正月ぶりの家族そろっての晩御飯だった。

「珍しいね、こんなに早く仕事が終わるなんて。」

「ああ、ちょうど前回の単行本の締切が終わって次の締切までしばらくあるからな。」

父、道彦は現在売れない作家をしていて、毎日仕事場に泊まる生活をしていた。

「私もちょうど雑誌の締切が終わったからようやく徹夜から解放されたのよ。」

母、弘子は雑誌の編集者としてバリバリ働き、父に代わって家族を支えていた。夢を追いかけるお父さんと、それを支えるお母さん。

家にいてくれないのは寂しいけれど、私の自慢の家族だ。

「そういえば今日は雪がたくさん降っているな、もう三月だし最近は降っていなかったから今日が雪の果てかもね。」

「雪の果て?」

(雪稀が見てみたいと言っていた言葉だ。)

「道彦さん、一般的には終雪なんじゃない?」

母が言った。

「うん。でも雪の果てとか忘れ雪ともいうんだ。まあ、雪女とか雪(ゆき)童子(わらし)とかが出てくる物語でしか出てこないけどね。」

「雪童子?」

私が父に尋ねると、父は嬉しそうに、

「ああ、雪童子は日本古来の妖怪……だったかな? 確か新潟の方の説話に出てきたはずだけど子供が出来ない老夫婦を慰めるために人の家にやってくる雪の精霊だったと思う。」

(雪の精霊って雪を操ったりするのかな、雪稀君の仲間だったりして)

「その精霊って春が近づくと弱ったりする?」

「よく知っているね、そうだよ。春が近づくにつれて弱っていって雪の果てが終わると消えてしまうんだ。」

「あら、それは少し、寂しいわね。」

母がそんな感想を述べ、父が話を続ける。

でも、私の耳にその会話は届いていなかった。

(……消える……)

カタンッ、カタカタッ

「どうしたの?」

私はうっかり箸を落としてしまった。母が不安そうに私を見る。

「それって、跡形もなく?」

「……ごめん。やることを思い出した。ごちそうさまでした。」

私はバタバタと食器を片づけると二階の自分の部屋に上がって行く。

「ちょっと、どうしたの?風花?」

バタン

母が私を追いかけてきたが、私はあえて無視した。

もし、父の話が本当ならば、

時間が無い。




(間違いない、彼だ、彼は雪童子だったんだ。彼は弱ってきていたし、触った物を凍らせていた。)

私は部屋の中でコートを着込み、一番暖かいマフラーと手袋を着ける。

外から吹雪の出す、ゴーゴーという音が聞こえてきている。

窓の外は空も地面も分からないほど、一面の白だった。

(こんな吹雪の中、外に出ると言っても絶対に許してくれないよね。)

ガラガラ

(さむいっ)

窓を開けると風にあおられて雪が部屋の中まで入ってきた。被災時用のブーツを履く。

外を覗き込むと私の家の裏庭が見えた。いつもは下まで三メートルくらいあるが、今日は雪が積もっていて地面までそれほど距離はなかった。

(あとで怒られるだろうな……)

雷を落とす母を思い浮かべて少し躊躇する。

(でも、もう時間が無い。)

母や父を説得させる時間すら惜しい。

もしかすると、この瞬間にも雪稀くんは消えてしまっているかもしれない。

(……それは、絶対に避ける。)

窓枠に乗って、下を見下ろす。

「いち、にの、さーん、」

ありったけの勇気を持って飛び降りる。

ボフ

必死に雪をかき分けてなんとか除雪されたところまで出る。

「ふう、やっと出られた。」

一度立ち止まり、山を見上げる。

「必ず、助けるから。」

私は山道に走って行った。大切な私の友人を救うために。




「雪稀くん!雪稀くんどこにいるの?返事をして!」

私は山の中を必死に歩き回る。それでも、彼の影さえ見ることはなかった。

探し始めてからかなり時間がたっていた。

次第に強くなっていた吹雪は大きな音で唸り続け、私の声もかき消されてしまう。

そのせいなのか彼は全く見つからず、長い間私は森の中をさまよっていた。

指先は氷のように冷たく、呼吸は荒い。

(……このままじゃ私が持たない。一旦帰る? いや、帰ったらまた来るのも大変だし。もう一度抜け出せるとは限らない。でも、取り敢えずどこかで休まないと。)

「あ、あそこなら!」

私はいつもの山道に合流し、あの神社に向かって上がって行った。

山を登るごとに吹雪はさらに強くなっていった。手袋を着けているのに手が震える。

マフラーは風にあおられてばたばたとはためいていた。そんなに遠くないはずなのに今日はなかなかつかない。

吹雪のせいで視界も悪くなっていた。足元の雪が私の体力を無駄に奪う。

(いかないと、いかないと、行かないと、)

風がどんどん強くなっていく。雪が私の頬を叩いた。

一段と強い風が吹いて私の体が飛ばされた。

「うわっ」

どんどんと景色が左側に流れていく。足をつこうと伸ばして下に地面の無い事に気付く。

(こ、このパターンは。)

上を見上げると、やはりあの時と同じ崖だった。

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