幻影の君

ぴとっ……

「うわぁっ」

耳を抑えて、慌てて起き上がる。

耳に水が入った気がしたけれど、寝ている間に外に出ていたわけじゃなかった。ちゃんと神社の床に座っている。

じゃあ、どうして……

「ふふっ。」

「風花ちゃんっ!?」

慌てて振り返ると、そこにはにやにやと笑う風花ちゃんがいた。

「やっと起きた。触れられないから、起こすのたいへんだったんだからね。」

そういって彼女は近くの床を指さす。

そこは、寝ぼけて振った手が当たったせいで氷で覆われて白くなっている。

たまたま風花ちゃんがうまく避けてくれたからいいものの、もし当たっていたらと思うと背筋が冷える。

「なっ、何したの?」

「呼びかけても起きないから耳の上に雪をかけたんだ! いや~、いい驚きっぷりだった。」

風花ちゃんは満足そうに一人でうなずく。

「そりゃあ、びっくりしたよ。寝耳に水を本当にやる人なんて、なかなかいないし。やられたのも初めてだし、っていうかこんな早い時間から……どうしたの?」

僕がそう尋ねると、風花ちゃんは思い出したようにスカートの

「それがさぁ、昨日家に帰ったらあの魔法消えちゃってて」

不満そうにただのビー玉の髪留めを取り出した。

「まあ、ただの氷だからね、」

「やっぱりそうなんだ……もったいないな、」

風花ちゃんは悲しそうに髪留めを見つめる。

ただの髪留めにはうっすらと水の跡が残っていた。本来ならとっくの昔に消えているはずの水跡があるってことは、もしかしてなるべく長く持たせようとしてくれたのだろうか。

「よかったら、もう1回作ろうか?」

「えっ、いいの?」

「うん、別に触るだけだし、それで喜んでくれるなら」

「ありがとう!」

風花ちゃんは飛びっきりの笑顔で笑った。

僕の手がはたりと止まる。

ーーありがとうーー

風花ちゃんの影が一瞬誰かと重なった。

おかっぱ頭の、風香ちゃんよりずっと小さな、でもどこか似た雰囲気を持つ女の子。

(今のは、一体……)

「……どうしたの?」

そう言われて初めて、僕は髪飾りに伸ばしかけた手を止めている事に気が付いた。

「え、あ、ごめん。今から作るね。」

そう言って、僕は苦笑いをしながら髪飾りに手を伸ばす。

青いビー玉は太陽に少し光って透き通っている。

(どうしたら、喜んでくれるかな。)

そっと指先で触れて綺麗になるように祈る。

そして、昨日よりも少し分厚くなるように。

少しでも長く持つように。

僕が髪飾りを作る間、風花ちゃんは僕をじっと見ていた。

「はい、出来た。」

「ありがとう!」

風花ちゃんはそう言って笑った。

やっぱりその顔はどこかで見たような気がして見つめてしまう。

風花ちゃんは、髪留めで髪の毛を結ぶと、鞄を取って立ち上がった。

「んじゃ、私行かなきゃ。」

「どうしたの? そんなに慌てて」

「今日は学校があるの だから急いで行かなきゃ。」

そう言いながら風花ちゃんは硬そうな靴に踵をぐっと押し込める。

「ああ、昨日話してた……、確か勉強をするところだっけ?」

「そう、朝からあるの。日が登ったらもう行かないと。」

「そっか……」

「じゃあ、また明日ね。」

「うん、また……明日?」

「だって、明日にはこの模様、消えちゃうでしょ?」

風花ちゃんはにやりと笑って、

「ちゃんと明日は起きててよ!」

手を振りながら走り出した。

「ええっ! こんな早い時間にまた来るのっ!」

「起きてなかったから、承知しないんだからっ!」

「ええっ……」

「じゃあ明日ね!」

そう言って風花ちゃんは山道を駆け下りて行った。

日はまだ、登り始めたばかり。


風花ちゃんは約束通り翌日も、翌々日も来た。

僕もだんだん慣れてきて、風香ちゃんが来る前には起きるようになった。

風花ちゃんと話しているうちに、色々な事を知った。海と言う広い水たまりの事、この山の事、風花ちゃんの両親はなかなか家に帰って来ない事。

それから、僕は風花ちゃんと話している間に、これまでの事も少しずつ思い出した。気が付くと雪の降る中森で倒れていて、この神社に避難したのを。

ただ、どうしても僕の記憶はそれより前には無かった。風花ちゃんは記憶喪失の事を調べてくれたけれど、僕のような病気はないし、「雪稀」という名前の人が失踪したような記録もないらしい。

でも僕は正直そんなのはどうでも良くなってきていた。

風花ちゃんとの日々はそれまでの孤独とは比べ物にならないほど楽しかったから。



神社の不思議な子と会うようになってから数ヶ月が過ぎた。

彼と私の、髪飾りを作ってもらうだけの関係は次第に朝一緒に話す友達になっていった。

雪が積もり始めた頃、雪稀くんは急に「雪の果ての花を見てみたい。」と言った。何のことかと聞き返したら何となく思いついたんだと笑った。

それ以来、私は神社に花を摘んでいくようになった。

冬休みに入ると私達が二人で過ごす時間はさらに長くなった。私達は日が昇ってからは雪合戦をしたり雪稀君がとっておきの場所に連れていってくれたり、外で遊ぶようになった。

クリスマスには私は雪稀くんに靴をプレゼントした。手以外の部分に触れなければ物が凍ることもなかったから私がはかせてあげればいいし、以前から彼が草鞋しか履いていないのを見ていて寒そうだと思っていたから。

茶色のかわいいボンボンをつけたブーツは雪稀くんによく似合っていた。

雪稀くんはお礼だと言って私の靴を飾ってくれた。

しばらくしてまた学校が始まると私は朝だけではなく、夕方にも雪稀君の下を訪れるようになった。すると雪稀くんはとてもうれしそうに笑ってくれて、それがとても嬉しくて、

本当に、幸せだった。


でも、冬の終わるころになると雪稀くんは体調を壊しがちになり、力を使った後には倒れるようになった。

そしてだんだん衰弱して、力は暴走していった。

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