雪の果て
@hosikagami
山の神社
山の向こうに一筋の光が見えた。思わずまぶしくて一瞬目を閉じる。
影に包まれていた森は太陽に照らされて光り出した。光の帯がこちらに向かってやって来る。
僕は神社の境内に座っていた。もう来る人もいないから、荒れ放題に草が絡みついているけれど、一応原型は保っている。賽銭箱の向こう、あちこちが欠けた狛犬が見える。ただ、さっきまで雪が降っていたので、欠けた部分は薄い雪に覆われて、帽子をかぶったみたいになっている。
太陽の光は僕の隣に横たわる少女も照らした。彼女の肩と膝は氷で覆われていたが、太陽の光に照らされるとゆっくりと溶けだした。
(よかった。これできっと大丈夫。)
僕が寝転がると床が軋んだ。ボロボロの梁、所々抜けおちた天井、よく建っているとよく思う。
「ふわぁ」
今日はろくに寝ていなかった。……さすがに眠い。
(ちょっと寝よう。)
ガサッ、ザッ、ガサバサッ、バサッ、ガサッ
夜の森に足音が響く。もう腐りかけた落ち葉はたまに滑って足元が危っかしい。
「……帰りたくないな。」
そっとそう独り言を漏らす。
別に家出をしたかったわけじゃなかった。だだ、静かな部屋が耐えられなくて、なんとなく家を出た。
でも近所を歩いているところを見られると、なんと噂されるか分からない。
この村は狭いから、一度噂になってしまえばそれを塗り替えるのは本当に難しいのだ。
だから、山に来た。
夜の山は意外にも音にあふれていて、歩いていて落ち着いた。
ズルッ
(あ……)
足元の落ち葉が滑ってバランスを崩す。
(あ、やばい。)
足をつこうとして下に何も無い事に気付く。私は空中に放り出されていた。どんどんと体が落ちていく。
(ああ、崖の上だったのか……)
どんどん森が遠ざかっていく。このまま落ちて助かるだろうかなんて暢気な事を考えていたら視界の端に白い布が見えて、
意識が途切れた。
「ん、んん……」
(……よく寝た。)
僕が立ち上がると神社の床がギシッと軋んだ。ゆっくりと伸びをする。
「ここは?」
後ろから急に声がして振り返ると、彼女が起き上がっていた。とりあえず、無事みたいだ。
「ごめん、えっと、今起きたとこ?」
「まあ、ちょっと経ったけど……」
「あ、ちなみにここは神社の中だよ……まあ、もう今はだれも来ないけどね。」
僕が苦笑いをすると、彼女は僕をしげしげと眺めた後、あたりをゆっくりと見渡した。
少しだけ積もっていた雪はもうすっかり溶けて、帽子をかぶっていたみたいになっていた狛犬もすっかりぼろが見える姿になっている。
冬前の初雪にしては持った方かもしれない。
「神社……ああ、それで狛犬がいるのか。えっと私は……なんでここにいるんだろう。」
まるで独り言のように彼女はつぶやいた。まだ寝ぼけているのか、目が半分しか開いていない。
「何故かは分からないけど、僕が見つけた時には崖から落ちていたよ。」
彼女はしばらくぼーっとしていたが、急に手を一度叩いて言った。
「ああ! 思い出した! 私、山に来て、滑って、落ちて……ん?じゃあなんで私、今生きているんだろう?」
彼女は急に表情を豊かにした。今まで半分寝ていたのかもしれない。
「あ、それは君が落ちてる所を見かけて空中でキャッチしたからだと思う。」
「じゃあ君が助けてくれたんだ!」
彼女はうれしそうに僕の方を見た。長い髪がちょっと揺れる。
「神様みたい。」
―――ドクンッ―――
神様。 神様! かーみっ様、 おっ、神様じゃねえか 神殿っ!
……神様?……
「……それは……違うよ。」
つい、そっけない超えてそう言ってしまった。
彼女はそれにびっくりしたように目を見開いた。
屋根から小さな雪のかけらがそっと落ちて、その髪にはらりと溶ける。
「あ……ごめん。でも、本当に僕はここの神様じゃないんだ。それに、君を助ける時に肩と膝が……大丈夫?」
彼女は慌てて肩と膝に触れ、少し動かしてみる。
「多少濡れているけど大丈夫。何が起こったの?」
首を傾げた。
(言ってしまったら、やっぱり怖がられるかな……)
「……。」
着物の裾をぎゅっと握る。
「えっと、なんでか分かんないけど、その……言えそうだったらでいいよ?」
視界の端で何かが光った。
それは、彼女がつけている髪飾りだった。黒い髪の端っこをそっと止めている。
これなら、もしかすると怖がられないかもしれない。
「……あの、その髪留め貸してくれる?」
「え? これ? いいよ。」
彼女は長い髪を束ねていた髪留めを取って床に置いた。青いビー玉が一つついているかわいらしい物だ。
「じゃあ、よく見ててね。」
「うん。」
彼女はじっと髪留めを見つめた。
僕は髪留めのビー玉部分をスッと撫でるように触れる。すると見る見るうちに撫でられた部分から全体に氷の膜が広がり、すっぽりとビー玉を覆う。それから中に雪の結晶のような模様が現れた。彼女がおおっ、と言う歓声をあげる。
「すごい!きれいだね! どうなってるの?」
「手で触れたら何でも凍るんだ。 その、だから君を助けようとした時も触れちゃったから……」
彼女は僕がぼそぼそ言った後半は完全に無視して、置いてあった髪留めを取ると楽しそうに髪に着けた。
「似合ってる?」
彼女は向こうを向いた。すると髪止めの氷は太陽を反射してきらりときらめいた。
僕はそれを見て、思わずぽかんとしてしまった。
てっきり怖がられると思ったのに、彼女は普通に楽しそうに笑ってくれた。
思わず口からふっと息が漏れる。
「あ、笑った!」
彼女はすっごく不満そうにほっぺたを膨らました。
「いや、似合ってる……と思うよ。」
「何そのビミョ―な返事。」
「いや、だって僕の感覚がおかしいのかもしれないし……」
「そんなの、学校の子たちにおかしいって言われなかったらおかしくないんじゃないの?」
「がっこう……?」
「え、もしかして学校に行ってないの!」
「がっこうって?」
「え、じゃあ友達は?」
「ともだち……?」
聞いたことのないものばかりだ。
「じゃあ、君の名前は?」
なまえ……どこかで聞いたことのある……
―じゃあね、君の名前は――
「――雪稀。僕の名前は、雪稀。」
そう言ってから近くにあった木の枝を取り、雪の上に漢字を書く。どこで覚えていたのか、すらすらと書ける。
「あ、それはあるんだ。」
「うん、たぶん、僕の名前だと思う。えっと、君は?」
「あ、言ってなかったね。私の名前は清水(しみず)風花(ふうか)だよ。」
そう言って彼女は近くに積っていた雪の上に名前を書いた。
「雪の魔法を使うからなの? 雪稀って名前。」
「いや、たぶん誰かにつけてもらったんだと思う。……誰だったかな?」
大切な人だったはずなんだけど……頭に霧がかかったみたいで思い出せない。
「まあいいや、雪稀くん、」
「どうしたの? 風花ちゃん?」
「いや、後半にはてなつけちゃだめでしょ」
「あ、そうか。 ごめん、」
「まあ、いいけど。ところで……」
そのあと、僕らはたくさんの話をした。風花ちゃん曰く、僕は彼女と同じくらいの年に見えていて、僕ぐらいの歳の子はみんな、学校って所に行くらしい。
確かに地面を凍らせて見た僕の顔は、ちょっと丸くて、幼さの残る男の子の顔だ。風花ちゃんと同い年ぐらいか、もしかすると少し年下かもしれない。
風花ちゃんは僕にたくさんの質問を投げかけてきた。でもそれは決して不快なことではなくて、自分から話すのが苦手な僕にはとても嬉しいことだった。
でも、あっという間に時間は過ぎて、風花ちゃんも帰らなくてはいけない時間になった。
夜の山が心配だった僕は風花ちゃんを麓まで送ることにした。
冬前の夜はとても寒いはずなのに、風花ちゃんと歩いていると見たこともない春のように暖かかった。
虫の音が夜を包む中、二人は歩いていた。
始めは盛り上がっていた会話も、次第に町燈が見えるにつれて静まって、最後には二人ともそっと黙った。
また一人になるのかと思うと、寂しかった。
初めから分かっていたはずなのに。
一緒にいられるはずなんて、ないのに。
「じゃあ、僕はここで。」
森の入り口で僕は立ち止った。風花ちゃんは振り返って僕を見て、それから
「ねえ、今日は家に泊まらない?」
そう言った。
「……。」
僕は言葉を飲み込んだ。
それから、頑張って笑って、
「駄目だよ、僕が行ったら風花ちゃんの家を凍らせてしまうもの。」
そう言った。
「それもそうだね、」
風花ちゃんもそっと笑った。
そうして僕らは別れた。
帰り道を一人で歩くと少し寒くて、でも人と会えたことに僕はうれしくて、普段は寝づらい神社の床が今日はあったかく感じて、その日はあっという間に眠ってしまった。
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