3.インタビュー

3.1.いつ頃、人間不全症候群を自覚したか

 研究室までどのような交通手段を用いたのか、緊張してはいないかといった儀礼的な会話をしたのち、まずは①の質問を行った。緊張しているという自己申告にもかかわらず、荒木さんは言葉に詰まることなく、事情を説明してくれた(9)。


迅田:ではお尋ねします。いつ頃、人間不全症候群を自覚しましたか。

荒木:その言葉はあんまり好きじゃないんですけれどね、昔から。

迅田:・・・好きじゃない、というのは[荒木:不全っていうのとは違うという意味です]・・・ははあ、なるほど。

荒木:えー、自分は違うんだなって思ったのは40歳のときです。あの頃はすごい騒がれてて。


 荒木さんが40歳のとき、すなわち2028年にネット等のメディアを通じてi3Dの実用化を知ったという。当時の報道記録をたどると、たしかに世界各国が熱狂していた様子が伝わってくる。「SNS炎上時代の救世主」「ポピュリズムのうえに咲く平和の花」「グローバル化社会の分断が1つに」といった言葉が洪水のように流れていた(10)。すでに結婚して家庭もあった荒木さんは、日々の厳しい労働環境が変わってしまわないかということばかりが気になり、むしろその熱狂を醒めた目で見ていたという。それから「半年もしないうちに」i3Dが人々に普及するようになり、荒木さん自身も実物に触れるようになったという(11)。


荒木:もう新しいことにがっつく年じゃないし、まあいいかなって。そしたら同僚や家内がいきなり使い始めて、それで仕方なく自分も試してみたんです。

迅田:試してみた、というのはi3Dのことですか。

荒木:そりゃそうですが。

迅田:どのような気分でしたか。

荒木:どう言えばいいのか・・インタビューがあるから考えたんですけど・・・一言で言うと、偽物だって感じです。

迅田:偽物・・というのは、何がでしょうか。

荒木:ですからi3Dですよ。


 ここで荒木さんはやや苛立たしげに返事をしている。i3Dを前提としている人間とそうでない人間とのコミュニケーションギャップのせいかもしれないし、インタビュー内容が過去の不快な感情を呼び起こしてしまったのかもしれない。その直後、荒木さんはため息をついたのち「とにかくですね」と話を切り返す枕詞を用い、偽物と感じられる理由について話を続けた。


荒木:アレを使うと、表示されるわけです。「喜」が30%、「怒」が2%、「哀」5%、「楽」が63%って[迅田:はい]。それで「楽」の感情が支配的だから、以下の文例から返事をしたり、応答したりして、自分も「楽しい」って気持ちを伝え、共感するのがもっとも望ましいってアドバイスしてくるんです[迅田:ええ]。

迅田:たしかに実用化当初のi3Dでは、感情類型は4パターンしか設定されていませ[荒木:でもそれって変でしょ]

迅田:変、ですか? ですがi3Dは[荒木:相手の感情や思考なんて分かるはずがないじゃないですか]


 ここでの荒木さんは早口になり、迅田の言葉に何度も口を挟んでいる。i3D技術がなくともこの行為が無作法であることは明白である。社会学者グライトの古典である『論理と会話とお茶菓子と』(1991=1998)において指摘されているように「傾聴」はコミュニケーションの基本だからだ。もちろん、あらゆる会話を最後まで聞くことは非現実的である。しかし、ここでの荒木さんの話し方は会話のルールに違反している。そして、言うまでもないことだが、この会話パターンはHDS患者に顕著にみられる症状でもある。


荒木:他人の心なんて分かっちゃいけないんですよ。それじゃロボットとおしゃべりするみたいだし、面白い駆け引きや人間関係なんてなくなっちゃうじゃないですか。そうでしょ?

迅田:・・なる、ほど。

荒木:けど、みんなはアレをどんどん使うようになって、シナリオの決まった台本を読みあげるみたいに話し始めるようになって、私はそれが嫌で、それで・・・家族や部下とトラブルを起こすようになってしまいました。家内には心療内科を勧められて、そこで左村先生と出会って・・・

迅田:人間不全症候群と診断された、ですね?

荒木:はい。


 こののち、荒木さんと家族との不和について聞かせてもらったが、プライヴァシーの関係上、これの詳細については割愛するが、概括すれば、荒木さんにとってHDSと診断されたことは自尊心を傷つけられることであり、それが原因で離婚につながったということであった。


3.2.どのような困難を経験したか

 家族との不和も困難な出来事のように思われるが、この質問に対する荒木さんの返答は異なっていた。


迅田:そのときどのような困難を経験しましたか?

荒木:あの頃はね、ゲームが好きだったんですよ。

迅田:え? ゲーム?

荒木:街にあふれかえったゾンビを、銃とか刀とかそういうので退治するヤツ。激しく出血したり肉片が飛んだりするスプラッターな作品。家内と子どもが寝静まった深夜に、1人で起きてコッソリ楽しんでいたんですよ。

迅田:そうですか。

荒木:ゾンビには心がなくて、人に似た人ならざるものなんです。だからゲームとはいえ容赦なく退治できる。けど、私がアレだと診断されてから、もうゲームはできなくなってしまいました。その、現実とゲームの区別がつかなくなってしまったんです。

迅田:どういう意味でしょうか。


 HDSに伴う困難について尋ねると、荒木さんは大好きだったゾンビゲームをプレイできなくなってしまったと回答した。荒木さんの説明は迅田への直接の回答とはなっておらず、その真意を理解しかねた迅田は「どういう意味でしょうか」と説明を要求している。以下は、その直後の記録である。


荒木:アレを使えば言葉も表情もみんな分かったということにさせられてしまう。それはもう刺激に反応するゾンビみたいに、生ける屍でしかありません。気持ちを酌量したり推察したりといった文化は消えた。日本人が培ってきた伝統はもう終わり。ゲームも現実もゾンビだらけになった。

迅田:現実とゲームとの区別がつかなくなった、ということですか?

荒木:違います! 現実がゲームに追いついてしまったんです! だから私はゾンビに囲まれて、もう自分や家内や子どもたちもゾンビになってしまったようで、それでもう■なんです。外出もできないし、人に会いたくもない。家に引きこもってても家内や子どもたちがいる。どうすればいいんだって。


 こうして荒木さんはHDS特有の対人コミュニケーションに困難を生じるようになる。i3Dへの不信感から言語や表情による心の表現に奥手となり、また周囲の人物の表現を素直に理解できなくなり、極度の怯えと不安にさいなまれるようになるのである。この症状は現在まで続いており、その根深さを物語るものだろう。

 なお、ここで荒木さんは大げさな身振り手振りで説明をしており、もしi3Dを用いていれば、その感情についても明確なものが理解できたはずであった。推察するに強い口調での発言が見られることから、何かしらの興奮状態にあったことは間違いないと思われる。だが、会話の前後において荒木さんを発奮させるような発言がないことから、苦しい境遇によるトラウマを想起したため、感情の突発的暴走が起きたのではないだろうか。また、現実とゲームの混同という症例は、HDS患者においては稀であり、荒木さんに焦点化したさらなる臨床研究が待たれるところである。

 そして、迅田がHDSの困難についてより具体的な質問を行うと、荒木さんは話題を切り替え、以下のように質問をしてきた。


荒木:迅田さん、私がですね、たとえばこんな表情で(左右の人差し指で、左右の目尻を引っ張り下げる)「疲れた」と言うとしますね[迅田:はい]。それって時田さんにとってはどのようなメッセージになりますか?

迅田:i3Dがないので断定はできませんが、おそらくは負の感情を伴った「疲労」の訴えだと思います。労いの言葉であったり、同情心を示す態度なりを示すのが適切ではないでしょうか。場合によっては疲労回復の方法について提示したりしてもいいでしょう。

荒木:けど、わざと誇張していたり、実は嘘だったりってこともありますよね?

迅田:そういった嘘などの表出もi3Dによって標準化されているので、誤解の可能性はないと思います。嘘への対応方法もガイダンスされますから。

荒木:じゃあ、i3Dが間違っていたり、故障していたりしたら、どうするんですか?

迅田:ご存知だと思いますが、i3Dには自動修復機能が備わっているので、故障等の確率はきわめて低いはずです。i3D不在のコミュニケーションによるトラブルのほうがその発生率も危険率も高いので、実質的な問題ではないと思います。

荒木:・・けど、0%ってわけじゃない。

迅田:死にたくないのなら、隕石落下に怯えるよりも、交通事故対策をしろ、という類の話ではないでしょうか。それはともかくとして・・そんな不安を感じているということですね?

荒木:・・いえ、もう結構です。


 上述のやり取りから透けて見える荒木さんの不安は、HDSによってもたらされるものの典型例である。極めて低確率のリスクを恐れ、i3Dの使用を避けたり、あるいは使用していても無視したりといった対応をとるため、コミュニケーションに齟齬が生じてしまうのである。


3.3.現在どのような治療を受けているか

 ③の質問を始める頃になると、荒木さんの態度は急変した。俯いたまま迅田の質問に答え、発言が少なくなる反面ため息が多く溢れるようになり、言葉遣いも丁寧になる。その理由は定かではないが、長時間にわたるインタビューの疲労が原因かもしれない。i3Dを用いないコミュニケーションにはそれだけ負担がかかるからである。


迅田:現在どのような治療を受けていますか?

荒木:左村心療内科でカウンセリングを受けつつ、MSTに取り組んでます。

迅田:具体的な内容について教えてくれますか?

荒木:・・1周間に1回通院し、そこでリハビリテーションを受けています。その後はアレ・・じゃなくて・・ええとi3Dでの仮想コミュニケーションプログラムを続けています。

迅田:どれくらいの期間続けてきましたか?

荒木:8年ほどです。

迅田:変化の兆しはありますか?

荒木:・・・・以前よりもコミュニケーションに違和感を覚えないようになりました。i3Dを使うのには抵抗感がありますが、短時間なら我慢できます。

迅田:仕事についてはどうですか?

荒木:薬を飲んでいるので、仕事には影響ありません。ただ・年々薬が効かなくなって服用量が増えているので・・いつまで続けられるか不安です。


 迅田の知る限り、荒木さんの状況はHDS患者にとってはごく標準的なものである。薬を服用しながら社会復帰を目指し、毎週のように治療を受けている患者がほとんどである。なかには無事社会復帰を果たす者もいるが、そのほとんどがi3Dに馴染むことができず、薬によって症状を緩和しながら、日常生活を続けている。


迅田:MSTについてお聞きします。効果を実感することはありますか?

荒木:あります。さきほども述べましたように違和感が減ってきました。

迅田:たとえば、どのようなときに実感しますか?

荒木:・・職場にいるときです。i3D端末を使用する上司や部下あるいは同僚を見ても、なんとも思わなくなりましたし、仕事に集中しようと気を保てます。

迅田:MSTの何が一番効果的だったと思いますか?

荒木:自宅での着脱練習でした。プログラムにはありませんが、とにかく慣れようって、はやく息子に再会しようって、それで自主的にやってます。

迅田:なるほど。興味深い取り組みですね。他にはありますか?

荒木:ええと・・・・、これは答えになってないと思うんですけど、自分と同じ人間がいるっていうのが心強いというか、励まされるというか。

迅田:同じ人間?

荒木:左村心療内科に通院している・・、そのアレ・HDS患者、さん・・がいて、待合室で雑談をするんです。そのときにお互い頑張ろうって話をします。

迅田:確認なのですが、その雑談というのはi3D未使用でなされるのですか?

荒木:はい。

迅田:それは・・すごいですね。意思疎通に問題は起きないのでしょうか。

荒木:・・・・昔はみんな、そうやっていましたから。


 ここで荒木さんの発言には注目すべき点がいくつもある。1つはMSTが効果を挙げている点である。「上司や部下あるいは同僚を見ても、なんとも思わなく」なったり「仕事に集中しようと気を保て」るようになったりと、まさに瞠目すべき成果である。左村の実践するMSTは、いまだ全国的にも認知度が低く、荒木さんのように通院プログラムを経験しているHDS患者は少ない。今後はMSTの有効性にかんする啓蒙活動が必要になるだろう。

 次に、MSTの改善案が示唆されていることである。「i3Dの着脱練習」はプログラムにはなく、荒木さん自身の発案によるものである。習うより慣れよという言葉があるように、i3Dを今一度ただの道具として見立て、それに馴染ませる反復訓練が有効なのかもしれない。

 そして、HDS患者による互助関係である。左村診療内科には四国中のHDS患者が集まっており、常に混雑している。そのため待合スペースでの待機時間は長く、場合によっては数時間を要する。待機時間を利用して、患者同士がコミュニケーションを行い、それによって構築された相互扶助関係が、荒木さんの闘病生活に勇気をもたらしていたのである。たとえば、アルコール依存症患者が集まり、自らがどのようにアルコールに溺れていったのかを匿名のまま告白し合うアルコホリック・アノニマス(Alcoholics Anonymous)の実践に類する活動が効果的であるかもしれない。


3.4.将来的にはどうなりたいか

 この質問に対して荒木さんは「落ち着きたい」と簡潔に答えている。その意味を問うと、次のようにしゃべった。


荒木:HDSと診断されて、私の人生は大きく狂いました。もう元には戻れません。i3Dのある生活に進むこともできません。とにかく夢を見ないように、いつかi3Dのない世界が来るなんて想像してしまう自分を捨てられれば、それで十分です。

迅田:HDSからの回復は望めないと?

荒木:・・・はい。


 こののち、荒木さんは黙り込んでしまう。迅田はいくつかの質問を向けてみたが、そのいずれにも黙したままであった。レコーダーの記録によれば沈黙の時間は20秒である。さきほど荒木さん自身が述べていたように、MSTの成果があがっていることを踏まえると、いささか不可解に思われる。ただ、長時間にわたるインタビューが荒木さんを披露させ、必要以上にナーバスにしてしまった可能性は考えられる。そのことを考慮してか、このとき迅田は「ではそろそろ」とインタビューを切り上げようとするが、荒木さんはつぶやくように話を再開した。


荒木:このあいだの飲み会は楽しかった。

迅田:佐村さんと3人で飲んだときのことですか?

荒木:i3Dを使わなくたって、私たちはコミュニケーションできるんですよ。どうしてあんなものに・・・いえ、何でもありません。

迅田:言いたいことはおっしゃってください。荒木さんはHDSの治療に貢献してくださっているのですから。

荒木:・・・佐村さんはいつも私と話をするとき、i3Dを切ってくれるんです[迅田:はい]。けど、そのときのお顔がね、いつもさみしそうというか、同情的というか、それを見るのが辛くて。

迅田:なぜ辛いのですか?

荒木:似ているんです、息子の顔に。離婚が決まったときにね、もう娘は呆れちゃってとっくの昔に実家を出て行っていたんですけど、残っていた息子がね、こう、言うんですよ、どうしてi3Dを使ってくれなかったんだって。僕はお父さんの気持ちが知りたかったって。なんで変に意地を張るんだって。お母さんだってあんなに悲しそうだったじゃないかって。

迅田:なるほど。

荒木:あのときは、本当に、私は・・・・・息子の顔が、私を責めてるみたいで・・・私は息子の顔を見つめ返すしかできませんでした。

迅田:それも辛い経験だったのですか?


 残念ながらここでインタビューは終了している。荒木さんが迅田の質問に答えなかったからである。

 今後、内容について不明な点があれば連絡をすることを伝え、私たちはインタビューを終えた。荒木さんはゆっくりとソファから立ち上がり、軽く会釈をすませると、そのまま研究室を出ていった。自宅まで送迎すると提案したが即座に断られた。i3Dを使用していなかったため荒木さんの気持ちは判断不能だが、過去の辛い思い出を語ったために、1人になりたかったのかもしれない。

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