episode14 いつもと違う日に挑む花丸オムライス

第23話

 商店街のアーケードに入ったとたんに、空気が変わった感覚があった。早朝の風に冷たさをうっすらと感じ始めた十月初旬にもかかわらず、空間には微かな熱気が息づいている。迷路のように枝分かれした中央通りには、複数台のトラックが停まっていて、配送ドライバーや開店準備に追われた店舗の従業員たちが、ひっきりなしに出入りしていた。そんな一日の始まりの風景の中に、目的地の八百屋やおや馴染なじんでいる。

「わあっ……早朝なのに、にぎわってるね」

 業務用の台車を押して歩きながら、果澄は感嘆かんたんの声を上げた。隣を歩く翠子は、得意げに「昼間とは違った活気があるでしょ?」と言って、八百屋を囲んでいる客たちに視線を転じている。

 普段の出勤時刻よりも二時間早い朝に、翠子と共にやって来た『恒木つねき青果せいか』という看板をかかげた八百屋は、規模こそこじんまりとしていたが、店内の奥行きが縦長で、店舗の前にも段ボール箱が所狭しと並んでいる。かごつつましく収まったリンゴやみかんといった果物くだものの他に、土がついたジャガイモや、重量感がある大根、瑞々みずみずしさが伝わってくる青ネギやトマトなどが、往来に豊かな色彩を振り撒いていた。買い物に来ている客たちの多くは、きっと同業者なのだろう。今の果澄たちのように台車を用意していたり、大きな買い物かごを持っていたりする者ばかりだった。

「手前のほうでトマトを見てる男性は、この商店街を抜けた所にある洋食屋さんのシェフで、恰幅かっぷくのいい店主と喋ってる女性は、そこの路地に入った所にあるスープ専門店の方だよ。どっちのお店も、すごく美味しいからオススメ。あ、近所のパン屋の男の子もいるじゃん」

「あ、ほんとだ。塚原つかはらくんだっけ、バイトの」

 バゲットの絵が描かれたTシャツを着た青年は、ちょうど会計を済ませていて、店員の女性からおつりを受け取っていた。『波打ち際』にパンを届けてくれる若者の名前を、果澄は最近知ったばかりだ。野菜が入った段ボール箱を軽々と持ち上げる塚原は、八百屋に近づく果澄たちに気づくと、礼儀正しく「おはようございます」と挨拶した。果澄と翠子も挨拶を返すと、店員の女性がこちらを振り向く。先日『大衆食堂たまき』で出会った翠子の母よりも明るい茶髪を、すっきりとポニーテールに結って露出している両耳には、金色のピアスが輝いていた。

「翠子ちゃん、おはよう。お腹、大きくなってきたじゃない」

 女性の声を受けて、体格がいい男性もこちらを振り向き、「ああ、おはよう!」と威勢いせいのいい声で言った。歳は、果澄たちよりも十歳ほど上だろうか。果澄同様に翠子も、今日は薄手の上着にそでを通しているが、八百屋の二人はそれぞれ薄着で、豪胆ごうたんで快活な雰囲気がよく似ている。

由真ゆまさん、恒木つねきさん、おはようございます。こちらは、夏からうちで働いてくれてる従業員です」

「初めまして、乙井おといと申します」

 前に進み出た果澄は、こんな挨拶を故郷でもしたばかりだと思い出す。職場が変わったことで生まれる出会いは、これからも増えていくのだろう。翠子が恒木と呼んだ男性は、ニッと笑って「初めまして、店主の恒木です」と大きな声で名乗ったから、由真と呼ばれた女性に「あんた、声デカイよ」と邪険にたしなめられている。楽しげに笑った翠子は、果澄に「うちのお店、青果は恒木さんのお店の配送サービスを利用して、果澄の出勤前くらいに届けてもらってるんだ」と言って、陳列ちんれつ棚を見渡した。

「仕事を効率よく回せるから、すごく助かってるんだよ。ちなみに、お肉も商店街のものを使ってて、乳製品とか焙煎ばいせん済みのコーヒー豆とかは、卸売おろしうり業者からまとめて仕入れてるよ。でも、やっぱり自分の目で売り場を見たいときもあるじゃん。しゅんの食材は、特に。だから、今日みたいに直接仕入れに行く日もあるんだ。果澄、付き合ってくれてありがとう」

「ううん。一緒に行こうって誘ってくれて、嬉しかった」

 果澄は、素直に微笑んだ。故郷で母と話したことで、喫茶店で働く時間を大事にしたいという気持ちが、以前よりも強くなったのは、日々の楽しさと充実感を、より自覚できたからに違いない。翠子は、満足げな笑みを咲かせてから、商品を吟味ぎんみし始めた。

「秋の野菜は、冬に備えて栄養をたくわえてるから、甘さがくて美味しいんだよね。果物も、季節のフルーツサンドに入れるものを、早く決めなくちゃいけないけど、どれを選んでも絶対に美味しいものが出来上がるから、悩んじゃうなぁ。無花果いちじくでしょ、柿でしょ、リンゴでしょ……」

「そっか、リンゴも秋よね。一年中食べられるから、旬を意識してなかった」

 先日食べたカツサンドにも、隠し味のリンゴが忍ばせてあったことを思い出す。小海こうみの切なげな表情を振り返っていると、翠子に「果澄。秋の食材は何が好き?」と質問された。果澄は「えっ? えっと」と口ごもったが、視界に入った野菜の中に、立派なカボチャを見つけたから、気づけば答えを口にしていた。

「カボチャ、かな。昔、家族と一緒にレストランで食べたカボチャのシチューのポットパイが、美味しかったから。スープカップに、パイシートがかぶせてあって、見た目も可愛くてお洒落しゃれだなって、印象に残ってて……」

 昔のことを思い出せたのは、帰省きせいしてとおるに会ったからだろうか。確か、透が学習塾で優秀な成績を収めて、トロフィーを獲得かくとくしたお祝いに、家族で出掛けて食べた料理だ。

 カボチャ色のシチューを振り返っていると、なぜか翠子は、天啓てんけいを得たと言わんばかりの顔をしていた。そして、恒木に向き直ると「恒木さん。この店で一番いいかぼちゃを頼みます」とやぶからぼうに言い出したので、果澄は目をいた。恒木も「あいよっ、これとかどうだ?」と俄然がぜん楽しげに応じて、早速カボチャの一つを手に取った。由真も「ねえ、こっちもいいんじゃない?」と至高しこうのカボチャ選びに参戦したので、慌てた果澄は「ちょっと、翠子! 大げさよ!」と声を上げて、盛り上がる三人の間に割って入る。

「えー、なんで? いいじゃん、指輪をおくろうってわけじゃないんだし。思い出のポットパイにはかなわないかもしれないけど、最高に美味しいものを作ってみせるからね! 帰省に付き合ってくれたお礼もしたいし」

 そう言った翠子の笑みが、あまりにも楽しげだったから、果澄も「お礼なんて、別にいいのに」と言いつつも、気づけば笑みを返していた。

 賑やかな時間を過ごしてから、二人で商店街を後にすると、すぐ近くの『波打ち際』を目指してゆっくり歩いた。秋の食材を詰めた段ボール箱二つ分は、台車に載せて果澄が押して、段ボール箱の上に載せられないカボチャだけは、買い物袋に入れて翠子が肩からげている。朝の帰り道を進みながら、果澄は何気なく言った。

「恒木さんと由真さん、パワフルで素敵な方々だったな」

「でしょ? あの二人、喧嘩は絶えないけど、仲がいい夫婦なんだよね」

「そっか、やっぱり」

 相手に気兼ねせずに、何でも言い合える関係性は、果澄と達也たつやには築けなかったものだ。自然と、憧憬しょうけいの言葉が零れ落ちる。

「ああいう関係って、いいな」

 隣からは、返事がなかった。柔らかい秋風だけが、そばを軽やかに駆け抜ける。果澄が、後ろを振り返ると――少し離れた所で立ち止まっていた翠子は、腹に視線を落としていた。びっくりした果澄は、台車をその場に残して駆け戻る。

「翠子、どうしたのっ?」

「あ、ごめんね果澄。ちょっとだけ、腰が痛くて……胎動たいどうも感じられるようになってきたし、この子の成長は嬉しいんだけど、最近は寝られないときもあるんだよね」

「……大丈夫なの? 今日、仕入れに行くのもつらかったんじゃ……」

「大丈夫だよ。大丈夫じゃなかったら、行こうなんて言わないよ。ごめんね、もう平気だから。あたしは、元気が取り柄だし!」

 翠子は気丈きじょうに笑ったが、果澄は眉根を寄せると、店主から買い物袋を引き取った。

「私が持つ。お店はすぐそこだし、台車は押すだけで重くないから」

「……ありがとう。喫茶店のヘルプ要員もまだ決まってないから、果澄には心配を掛けてばっかりだね」

「それは……焦っても仕方ないでしょ? 私のことは、気にしないで大丈夫だから」

「そういうわけにもいかないよ。あたしは、経営者なんだから。両親との交渉を、まだ諦めたわけじゃないけど、料理学校時代の伝手つても当たってるところなんだ。ヘルプ要員のことはあたしに任せて、もう少しだけ時間をくれないかな」

 明るい笑みで懇願こんがんされたら、それ以上は食い下がれなくなってしまう。今はただ、信頼していることを示したくて、果澄は「うん」と返事をした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る