第2話 お遣い(1)
「おや、久しぶりじゃないの。生きてたんだね、感心感心」
艶やかな着物をだらしなく着崩した女が口から煙を吐き出して詰まらなそうに言った。
薬屋、と呼ばれている女はいつも気だるげに薄暗い路地裏にある小さな店の、一番奥の座敷で薬箱に埋もれるようにして座っている。入り口から奥座敷までびっしりと壁を覆い尽くす小さな引出しには古今東西から掻き集められた薬効のある様々なモノが収められているという。
なんでも遠い異国の地から取り寄せた人間の乾涸びた身体の粉末だとか、人魚の干物だとか、もしくは指が6本ある猿の手だとか、引き抜くと大きな叫び声をあげる植物だとか、そんな怪しげなものもこの引出のどこかにしまわれているらしい。嘘か真かは定かではないが、この怪しげな女を見ているのそれも妙に真に迫っているように思える。
普段は客を客とも思わないつっけどんな口調や、だらしない恰好ばかりが目につくが、特に見分ける目印や名前などが記されていない膨大な数の引出から間違えることなく材料を取り出しているのを見ると、彼女はそれなりに優秀な薬屋なのだろうとなんとなく恐れ多い気分になる。おそらく僕の物覚えの悪さからくる一種の劣等感に似たものなのだろう。
「お久しぶりです。そちらもお変わりないようで」
「本当に口の減らない子だねえ。まったく、可愛くない」
「はいはい。ところで少しばかり融通してほしいものがありまして」
口をへの字に曲げた薬屋は先を促すように頤を上げた。
「痛み止めの軟膏と飲み薬、あとは止血剤、それに厄除けの香草をいくつか合わせて香り袋を作ってもらえるとありがたいです」
「そりゃあ、またなんだか物騒だね」
「何があるかわからないので、準備だけはしとこうかと」
ちょいと待ってな、というと薬屋はやおら立ち上がって座敷から降りた。
僕の目の前を横切って、裏の住居に繋がる擦り硝子の引き戸を開ける。
「おい、ねえちょっと、」
はあい、なんでしょう、と子供の声が聞こえる。ぱたぱたと軽い足音が少しだけ響き、引き戸から顔を出したのは背丈が僕の背の中ほどの少年だった。烏の濡れ羽色の見事な黒髪が、光の加減で緑や紫にころころと色を変える。釣り目気味の大きな紫瞳が印象的で、顔立ちはすっきりと整っている。きっと大きくなったら町の娘さんたちを夢中にさせるだろう、と僕は初めて見た少年をまじまじと見つめた。歳は、12、3あたりだろうか。
「彼は?」
「ああ、噂屋は初めてかい。うちの見習い。ほら、挨拶しな」
「はい、ここで見習いをさせて貰っています。紫水です」
「僕は『噂屋』って呼ばれています、名は千里。噂屋でもセンリでもどちらでも」
「よろしくお願い致します、センリさん」
にこり、と紫水は笑うと小さく会釈した。こんなに感じの良い子がここで見習いをすると良くない影響を受けないだろうか、と僕は大きなお世話でしかない心配を抱く。
薬屋は腕は一級だがいかんせん、ヒトとしては中々に問題がある。
「さて、少しばかり時間をもらおうか。
軟膏と飲み薬、止血剤はそう時間は貰わないが、厄除けの香り袋はちょうど切らしててね。
紫水、センリに茶でも出してやってくれな。あ、あと私にも」
「わかりました。センリさん、少々お待ちください。
お師さん、この前仕入れたお茶で良いですか?」
「ああ、それで良い。頼んだよ」
はあい、と言って紫水は奥に引っ込む。
「随分の珍しいこともあったものですね、貴女が弟子を取るなんて」
「まあ、同郷のよしみってやつさね」
「同郷?ああ、なるほど」
僕は彼の整った顔立ちに合点がいく。本当にヒトは見た目に寄らない。
薬屋が手際よく調合している間に暇を持て余した僕は、出されたお茶を啜りながら適当に目ぼしいものが無いか雑多な店内をうろつく。狭い店なのに、どうにも物が多い。見るものがあるというだけでまだ暇つぶしが出来るだけ良いか。
ガラス製の薬瓶に詰められた正体不明な液体。時折勝手に発光をする石。何かの干物。天井から吊るされて乾燥している草の束。上の方から物を取り出す為に作りつけられた動く梯子。角の生えた動物の頭蓋骨。棚の上に放り投げられたナイフ。何が入っているのか固く口が締められた革袋。麻紐で纏められた青白い骨が入った両手で抱える程の大きさのガラス瓶。
苦みの混じった甘ったるい薬草の匂いが常にゆらゆらと頭上を行き来している。気にならない時は気にならないのに、ふと息をするとその匂いが静かに肺の奥に沈んで侵食されていくような気分になる。
「それで、センリ、この後はまた雷鳴にも行くのかい?」
香り袋用に香草を揃えていた薬屋が手元から目を離すことなく不意に口を開いた。
「はい。ちょうど水晶が駄目になっていたのを思い出したので」
「そうかい、ならさ、ちょっとお使い頼めるかい。もちろん、お礼に代金安くしとくよ」
「いいですよ。どうせ帰り道にここも通りますし」
「ありがたい。あんたの目利きは頼りになるからねえ。『噂屋』じゃなくて『目利き屋』になりゃいい」
「なんですか、『目利き屋』って。珍妙な」
「『噂屋』の方が十分珍妙だろう」
どうせ戻るから、ということで荷物は預かってもらい僕は宝石屋に向かった。
隣には涼やかな目元のすらりと背が高い青年が並ぶ。艶やかな黒髪と紫瞳が神秘的だが背丈の高さも相まって男らしい印象が強い。
「紫水かい?」
「そうです。荷物持ちだからってお師さんが」
「確かにこれなら心強いな」
高い方ではないが、それでも成人男性の一般的なところまではどうにか伸びた僕が見上げるのだから中々に立派なものだ。この町に居つくようになって早数年が経ったが、慣れとは恐ろしいものだ。今更珍しくも思わないし、驚きもしない。「外」で生きていた頃を思い出すとなんとも言えない気分になるのもまた事実ではあるのだけれど。
「それで、今から行くのは『宝石屋』さんなんですね」
「宝飾品も無いというわけではないがどちらかと言えば呪いに使う石を扱っているところだよ。
水晶だとか、月光石だとか、あとは餌につかう石だとか。
まあ、本人の趣味で加工もやっているから持ち込みで道具に用立ててくれたりとか」
「すごいですね。そんなことも出来るんですね」
「お使いの内容は?」
「ええっと、拳大の穴開き水晶が1つと、同じ大きさの蛍石が1つ、あとは、石龍種の卵が100グラムだそうです」
指折り数える姿はどこか可愛らしいが如何せん、今の紫水の見た目は立派な青年そのものだ。
彼らの生きてきた歳月と精神的な変化の関係というのは僕たちとは少し違うのだろう。一体何年生きてきたかなんてことはどうにも野次馬根性と言えばいいのか野暮な気がして実際に尋ねようと思ったことはない。いつか、どうしても気になる日が来て、その時まだ彼が僕の近くに居たのならば、気まぐれに聞いてみてもいいのかもしれない。
寂れた生活感が息づく薬屋の路地裏を抜けると背の低い木造建築の立ち並ぶ商店街が現れる。舗装されていない地表から、人々の往来で巻き上げられた砂埃が薄らと空気を淡い土色に染めている。百年程前の古い町並みや商家が残る銀連町。
八百屋の主人が今しがた運ばれてきたらしい、柿をざるに乗せて軒下に並べていた。どうやら顔なじみの常連らし子供連れの若い女性にさっそく柿を売りつけようとなにやら口上を述べ始める。皺だらけの分厚い掌の上に乗った柿がすっかり日光を反射して艶々と輝いて見えた。
八百屋の斜向かいの魚屋のひょろりとした親爺は休憩中なのか、それとも営業も休憩もないのか、店先に置いた丸椅子にどっかりと座りこんで煙草を吹かす。
僕と紫水はそれを横目に、人波を抜けて目当ての店へと向かう。紫水の方はめったに商店街には出ないのか、それともこの辺りに来て実はまだ日が浅いのか、あちらこちらに視線を飛ばしている。今にも目を回してしそうだ。
僕は魚屋の脇を抜けて、平べったい石畳を重ねたような坂道を登る。隅の方が斑に苔生していたが、ここ数日の晴天のせいか乾涸びてどこかくすんでいた。
大蛇が這ったようにうねる坂道を登り、今にも崩れ落ちそうな民家をいくつか目の端で見送る。まるでどこかの山奥を一部だけ切り取ってそこに嵌め込んだような小さな生垣のようなものが唐突に現れた。道に迫る緑に視界が覆われていて、その奥にどんな建物があるのか、外からは預かり知れない。
生垣というにはあまりに雑な、植物の塊に一部だけが不自然に落ち窪んでいる場所がある。
その前で立ち止まった僕に紫水が不安げな顔をした。
「ここが、その、」
「そうだよ。『宝石屋』」
説明するよりも見る方が早い。百聞は一見に如かず。
落ち窪んだそこに両手を突っ込んで力を込めた。掌にささくれ立った木の板の感触。
錆びた蝶番が軋んだ音を立てる。
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