扉を開けると

 それにつられるようにしてリチャードも走り出した。生き物の咆哮はまだ轟いている。周囲全てがそれに包まれているかのようだった。リチャードは走る。恐らく、クリフと一緒に。何も考えずに走っていく。壁にぶつかってもよさそうなものだったが、何もなかった。ただ暗く、だだっ広い空間があるだけのようだった。そのことを不思議にも思わずリチャードは走っていく。


 突然、地面がなくなっていた。足が、空を蹴った。落ちていく――とリチャードは思った。なすすべもなく、どこまでも落ちていく。辺りは暗い。生き物の吠える声だけが響いている。




――――




 一人部屋に残されたコーデリアはどうしても落ち着かなかった。ここで大人しく待っておくべきだ、マチルダはすぐに帰ってくる――とは思うが、冷静ではいられない。マチルダが出ていってもうどれくらい経っただろう。ずいぶんと経った気がする。でも本当はほんの数分なのだろうけれど。


 コーデリアは部屋の中を歩き回り、クローゼットを眺めた。扉をひっかくカリカリという音がする。かわいそうな叔父様! あんな姿になってしまわれるなんて……。でも小さくて可愛らしくもあった。けどやっぱり、本人にとっては意に染まぬ姿だろう。


 コーデリアはクローゼットに近づいた。扉に耳をあて、中の生き物が確かに生存していることを確認すると、心を決めた。部屋の外に出てみることにしたのだ。「叔父様、少し留守にしますわね。でもすぐ帰ってきますわ」小声で扉の向こうの叔父に言うと、コーデリアはそっと部屋の扉を開けて、廊下に出た。


 マチルダはどこに行ったのだろうか。行き違いになってはまずいかもしれない。そんな不安が頭をよぎったが、けれども、室内に留まって不安ばかりを抱えているのも辛かった。そこでコーデリアは階段へと向かった。とりあえず、一階に下りてみようと思ったのだ。


 下りる途中で、ホールに人が見えた。ちょうど、玄関から入ってきたところのようだった。コーデリアは足を速める。それはシャーロットの姿だったのだ。


「ホーンさん!」


 声をかける。シャーロットはコーデリアを見上げた。コーデリアは急いでシャーロットの元へと近づいた。シャーロットは不思議そうな顔をしている。


「お嬢様。トーマス卿はどこへ行かれたのですか? それとあなたのメイドも」

「トーマス卿は……――トーマス卿は、大変なことになったんです!」


 そこでコーデリアはシャーロットがいなくなってから、これまでの間に起こったことを説明した。とんでもない、突拍子もない話だし、上手く説明できるかもわからなかった。全く信じてもらえないかもしれない、とも思った。けれどもシャーロットは真面目な顔で、時折驚きの表情を浮かべながら、黙ってコーデリアの話に耳を傾けた。


 話が途中もつれながら、脱線しながらも、コーデリアはなんとか語り終えた。シャーロットの顔は穏やかであったが、目が静かにきらめいていて、おそらく興奮しているのだろうことが分かった。


 コーデリアは恐る恐る言った。


「あの……なんだか信じられない話だけど、でも本当に、確かに実際に起こったことで……」

「信じますわ。お嬢様やトーマス卿が私をペテンにかける理由がわからないので」

「ええ、それならいいけど……。あの、外はどんな様子でしたか? 誰かに会いました?」

「誰にも会いませんでした」

「……変な怪物にも?」

「はい」


 二人の間に沈黙が下りた。シャーロットに会えて、コーデリアは少し安心した。けれどもまだマチルダに会ってない。三人でいれば、勇気が湧いてきそうな気がする。早くマチルダに会いたい、と思っていると、シャーロットの声がした。


「お嬢様の部屋に戻りましょうか」

「でも……マチルダが……」

「行き違いになっても困るでしょう? せめて何かメモでも残していかないと」

「そうですね」


 コーデリアが頷くと、シャーロットはさらに言った。


「それにトーマス卿の様子も気になります」

「ああ……」


 シャーロットはトーマス卿の秘書なのだ。主人の身を心配するのも当然だろう。そこで二人はコーデリアの部屋へ赴くことにした。


 その直前に、シャーロットは図書室の方を見て言った。


「――始祖鳥は図書室の前で消えたのですね」

「はい。私は一緒にいなかったので見てないのですが」


 シャーロットは気を変えたのか、図書室へと歩き出した。コーデリアもその後を追う。閉まっている扉の前で、シャーロットは足を止めた。


「この向こうに入ったように見えた……けれども、何もいなかった――」

「マチルダもトーマス卿も頑張って探したみたいですけど、でも何も見つからなかったそうです。まるで、かき消えたかのように、この世からいなくなったかのように、変な生き物は姿を消してしまって……」


 シャーロットは扉へと手を伸ばした。そしてそれをそっと開けた。




――――




 コーデリアは言葉を出せなかった。今日は次から次へと不思議なことが起こっている! でもとびきり不思議なことが起きたのだ。自分のいた世界がたちまちのうちになくなってしまった。消えて、そして全く見知らぬ世界がその代わりに出現したのだ。

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