マチルダ、決心する
「とりあえず、私の部屋に持っていきましょう」重苦しさを払うように、コーデリアは言った。「そしてクローゼットに入れておきましょう。それなりに広さもあるし、叔父様も窮屈でないはず」
そこで二人はそろって居間を出た。階段を上りながら、コーデリアが泣き声で言った。
「叔父様、お気の毒に……。もしこのまま叔父様が人間の姿に戻らなかったら……」コーデリアの声が震えた。「その時は、二人で叔父様の世話をしましょうね」
「世話をする、というと」
「飼うの。二人で叔父様を飼いましょうね」
不謹慎なことではあるが、マチルダは吹き出しそうになった。叔父様を飼う、トーマス卿を飼う、とは! あの乱暴で横柄でいつも威張っているトーマス卿を、飼う! マチルダはしかし、慌てて笑いを引っ込めた。コーデリアが大変真面目な顔をしていたからだ。深刻だといってもよかった。そこでマチルダも大いに真面目な顔をして、「はい、お嬢様」と言った。
コーデリアの部屋へと入る。そしてコーデリアはクローゼットの扉を開けると中のものを引っ張り出した。空になったところにトーマス卿を放してやり、急いで扉を閉める。「念のために」と言って、コーデリアは鍵もかけた。「誰かがやってきて、扉を開けるといけないもの」
その「誰か」がどこかにいればいいが、とマチルダは不吉なことを思った。そしてふと、マチルダの頭に、自分が夢の中で小さなネズミになっていたことが思い浮かんだ。あのネズミはどんなネズミだっただろう。鏡を見たわけではないからよく覚えてないが、現在のトーマス卿のような姿だったのだろうか。もう一度トーマス卿を見たかったが、扉を開けるのは躊躇われた。
「――これから……一体、どうしましょう」
コーデリアが小さく言った。まさに、喫緊の課題はそれであった。部屋の中は二人だけであった。ネズミになったトーマス卿を除けば。マチルダは大いに心細かった。
「誰か……誰か、お屋敷にいるとよいのですが。誰もいないのでしょうか」
屋敷はやはり静まり返っている。けれども一人くらいはどこかにいてもいいのではないかと思われた。これだけ広い屋敷なのだ。探せば、どこかに誰かがいるかもしれない。
とにかく、二人ぼっちというのは寂しかった。仲間が欲しい。マチルダはコーデリアの方を向くと、きっぱりと言った。
「ひょっとしたら、誰かがいるかもしれません。私が探しに行ってきます」
「マチルダ……」
コーデリアは不安そうだ。マチルダは迷った。コーデリアをどうするべきだろうか。コーデリアも一緒に探索に連れ出すか。それともここで待ってもらうか。コーデリアの顔色は悪い。あちこち歩き回らせるのは心配だった。
「お嬢様はここで待っていてください」
一人にするのもやはり心配だった。けれども、やっぱり連れて行かないほうがいいだろう。マチルダはすぐに決断した。コーデリアの顔がますます不安で曇った。
「でも、マチルダ……」
「大丈夫です。すぐに戻ってきます。それにここには――トーマス卿がいます」
ネズミになっちゃったけど、とマチルダは思った。が、しかしあの生き物はトーマス卿なのだ。恐らく、たぶん、トーマス卿であろう。ひょっとすると、コーデリアのピンチの際に、トーマス卿が守ってくれるかもしれない。可能性は限りなく薄かったが。
「……わかったわ。いってらっしゃい」
渋々というふうに、コーデリアが承諾する。マチルダはコーデリアは元気づけるように見つめ、続けて、お嬢様を頼んだわよ、という気持ちを込めてクローゼットを見つめると、部屋を颯爽と出ていった。
――――
まずは地下へと向かった。使用人たちの場所だ。使用人ホールや、執事やハウスキーパーの部屋などがある。ここに行けば必ず誰かに会える。が、誰もいなかった。
ここがこんなに静かなのは初めてだった。生き物の気配すらない。がらんとした使用人ホールにマチルダは落胆した。そしてそれ以外の部屋も見て回る。けれども本当に、誰もいないのだ。
もう一度使用人ホールに戻って、壁の上部に並ぶベルを見つめた。この中のどれかでも鳴らないかしら、と思ったのだった。けれどベルはぴくりとも動かなかった。
マチルダの心がじわじわと落ち着かなくなっていった。コーデリアの部屋を出たときの、揚々とした意気込みが、みるみるしぼんでいくかのようだった。けれどマチルダは勇気を寄せ集めて自分を叱咤した。いえ、諦めては駄目よ。まだ、お屋敷全部を見て回っただけではない。
マチルダは今度は屋根裏に行ってみようと思った。そこには自分たちメイドらの寝室がある。そこに誰かが――ひょっとしたら、誰かいるかもしれない。
マチルダは重い足を上げながら、使用人階段を上った。ひどく心細かった。何故自分は一人きりでこんなところにいるのだろうと思った。コーデリアと離れるべきではなかった。早く、お嬢様に会いたい――一刻も早く、安心したい。
みんなどこ行っちゃったの? そう思うと、鼻の奥がつんと熱くなって、涙の気配がした。フローレンスに、サラとアン。ジョンにブラウン氏にバケット夫人。クロフォード家を支えるみんなは、一体どこに行ってしまったのだろう。そしてみんなが消えた代わりに、屋敷の内や外には、変な生き物が出現している。これは関連性があるのだろうか。
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