過去のこと
リチャードは木の影に隠れて二人を見た。男はシャーロットに何か言っている。一生懸命に、かきくどくかのように喋っている。けれどもシャーロットの態度は冷ややかだ。男の熱意に動かされることなく、それをはねつけるかのように、何かを言っている。
二人の声はよく聞こえない。会話の内容まではわからないのだ。リチャードは一瞬、男が、恋心をシャーロットに打ち明けているのだろうかと思った。けれどもあまりそのような雰囲気は感じられない。ただ、男の態度はどこか気安さがあった。まるでシャーロットのことを前から知っているかのような。
風向きが変わったのだろうか、シャーロットの、厳しく短い声が一瞬だけはっきりと、リチャードの耳に届いた。その内容がわかる声だった。シャーロットはこう言っていた。
「それはもう、過去のことですから」
過去のこと? とは一体、何なのだろう。シャーロットの強い調子に、男は気圧されたようで、一瞬黙った。けれどもまた口を開く。もっと聞こえないものかとリチャードは身体を動かしたが、その際うっかりと足元の小枝を踏んでしまい、慌てて退散した。
あの男は何者なのだろう。元の場所へ帰りながら、リチャードは思った。シャーロットの知り合いなのだろうか。どうも、それらしい感じはあったが……。それに「過去のこと」とは? この発掘現場、人々が地中に眠る「過去」をせっせと掘り返しているこの現場にあっては、その言葉は、似つかわしいようにも思えたし、場違いなようにも思えた。
昼近くになり、リチャードとトーマス卿は一度屋敷に戻ることにした。道すがら、リチャードはトーマス卿に、なんとなく、シャーロットの話題を振った。
「新しい秘書はよくやってますか?」
さり気なく話題に出したつもりだが、どうにも不自然なように思えた。けれどもトーマス卿はそんなことは気にしていないようだった。
「悪くはない。女の割にはよくやっている」
「スペンサーさんが、彼女の父親と知り合いだったと言っていましたが」
「ホーン医師のことか。私も二、三度会ったことがある。我が家にも来たことがあるのだ。私のコレクションを見にな」トーマス卿は機嫌の良さそうな笑顔になった。「そして素晴らしいコレクションだと褒めていた。あの医師はいい奴だったな」
叔父は単純なのだ。リチャードはそう思い、けれどもそれは口に出さずに、話を続けた。
「ホーン医師はもう亡くなられていると聞きましたが……」
「そうなのだ。何年か前にな。彼の妻は娘を産んだ後に、ほどなくして亡くなっている。つまりミス・ホーンは両親ともに既にいないわけであり、家庭教師をして糊口をしのいでいたのだ」
「そうだったのですか」
あまりそんな風には見えないが、苦労をしてきたのかもしれない。リチャードがそう考えてると、トーマス卿はさらに言った。
「グレイ卿のところで家庭教師をしていたのだが、子どもたちが大きくなって、お役御免となった。そこを私が拾ったのだ。父親であるホーン医師が私のコレクションを褒めてくれたことを思い出して。そう、私は――」トーマス卿は大変満足げに悠々とした口ぶりで言った。「私は一度受けた恩は決して忘れぬ人間なのだ」
恩よりも恨みの方をよく覚えているのでは? とリチャードは思ったが、それもまた口に出さず、シャーロットの話を続けた。
「ホーンさんは化石のことに詳しいらしいですね」
「父親のホーン医師が化石収集が趣味だったから、きっとその影響だろう。おかげで私のコレクションの管理を任せることもできる。本当に、思いのほかよくやってくれているな」
「女性の秘書とは――意外でした」
リチャードはそっと言って、叔父の反応を伺った。叔父はミス・ホーンのことをどう思っているのだろうか。恋愛的な感情でもあるのか――周囲がこっそり噂しているように、彼女に上手く陥れられてしまったのだろうか。けれどもトーマス卿の態度は変わらなかった。トーマス卿は平然と言った。
「そうだ。私も最初は女性の秘書など気が進まなかったのだ。女性は男性より劣っている。同じ仕事ができるわけがない。それが真理だ。何故なら――神が我々をそう作ったのだから」トーマス卿は快活に笑った。「そういう意味ではミス・ホーンも劣った存在だ。残念ながらな。けれども今のところ最低限の仕事はしてくれる。それにうるさいことをごちゃごちゃ言わない。出しゃばりでもない。黙ってこちらが望んでいる事をしてくれる。それが一番ではないか?」
トーマス卿は眉をよせて、苛立たし気な表情を作った。
「私は出しゃばりな人間や小うるさい人間が大嫌いなのだ。それが男であろうと女であろうとな」
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