解決の糸口

 八月六日。

 その日は設備点検により、いつもの教室が立ち入り禁止となっていたため、僕たちは屋上へとやってきた。連日の猛暑日から一転、気温が下がり、吹き抜けの風が肌に心地良い。

 僕は秀一と詩織に昨日の警察での出来事をはじめに伝えた。

 顛末を聞き終えた秀一が屋上の外周に設置されているフェンスにもたれかかる。


「……なるほどな。つまり、佐々木刑事の言う通りなら、俺たちに残された時間は明日の夜までってことか」

「それを超えたらどうなるの?」

「おそらくだが、今度は令状を持って身柄を拘束しにくるんだろうな」


 僕も秀一の意見に頷く。

 昨日は桜木父の助力のおかげで、何とか取り調べから脱することができた。もしそのまま取り調べが続いていたら、きっと僕は拘束されていただろう。

 だが、警察も諦めていないはずだ。

 もし捕まれば、過去日記を使って千鶴を助けるどころではなくなる。

 決着をつけるタイムリミットは明日の夜までだ。

 詩織が悔しそうに唇を嚙んだ。


「でも、ヒロを疑うなんて、そんなことありえないよ。だって私たちはちーちゃんを助けようとしてるのに……」

「あぁ。だが、警察も”焦っている”んだろう。桜木の事件が発生してもう一ヶ月近く経つが、いまだに犯人は捕まっていない。あれだけ世間を騒がせた事件の捜査が停滞していることに、警察は犯人探しを焦っている。そんなときにあらわれた手がかりだ。しかも都合のいいことに、ヒロは記憶障害を持っていた。犯人として名前を挙げるにはうってつけだったんだろう」


 このまま警察が提示している根拠に反論できなければ、僕は千鶴を刺した犯人として逮捕される。それを向こうが見逃す手はないだろう。それほどに、警察にとって都合の良い事実が揃ってしまっている。

 昨日、僕を助けてくれた桜木父からは警察へ然るべき抗議をするとの打診をもらった。

 だが、それに期待するのは危険だろう。昨日も警察との間で一触即発の雰囲気だったのだ。昨日は警察が引く形になったけど、今度も引いてくれるとは限らない。

 となれば、僕たちがやるべきことは最初に秀一があげた通りだ。


「明日の夜までに、警察があげている根拠を否定し、真犯人との決着をつける」


 秀一と詩織もそれに頷く。

 時間はあまりにも短い。だけど、悲観していても始まらない。一歩ずつでも、進むしかないんだ。

 詩織が話をメモした手帳を見ながら、今僕たちにとって不利な証拠をまとめる。

 一つ。指紋のついた凶器。

 二つ。事件発生時に立ち去った学生らしき不審者。

 三つ。千鶴が握っていた僕のプレゼント。

 これらを打ち崩す根拠を見つけなければならない。

 まとめた証拠を三人で顔を合わせながら眺める。

 しかし、改めて見るとこれは……。


「ま、確かにこれじゃ犯人と考えられるのも無理はない、か。凶器の見覚えも現場に行った覚えも無いんだよな、ヒロ」

「うん、どっちもないよ」

「他に事件の発生前後で変わったことはなかったか?」


 変わったことと言われても、あの日は午後九時ごろまで僕はα世界にいた。

 つまり、僕はこの世界で過ごした七月七日の午後九時までの記憶を持っていない。さらに、この世界に帰ってきてからもすぐにベッドに入っただけで、その日の記憶は一切ないと言っても過言ではない。

 その後も気になることなんか……。


「そういえば、八日の朝に目が覚めたとき妙に体がだるくて、眠かったのは覚えてる」


 ふと、事件が発覚した日の朝のことを思い出した。

 それは微かな違和感。

 だが、確かに千鶴が殺されたニュースを見たあの日、僕は体に異変を感じていた。


「起きたのは何時ぐらいだ?」

「七時ぐらい、だったと思う」

「九時に寝たとしたら十時間眠っていたわけか。普段からそんなに寝るのか?」

「いや、普段は六時間ぐらいしか寝ないけど。あの日は世界の移動なんかもあって、疲れていたのかなって」


 過去日記という不思議な力のせいで見逃していた些細な違和感。

 思い出してみれば、確かに少し妙にも感じる。

 だけど、それがどうしたんだ。

 僕が目線を上げると、秀一は小さく「まさか……」とつぶやいた。そのまま顎に手を当てて、考え込む秀一。小さく何かをつぶやくだけで、僕たちのことは目にも入っていないように集中している。

 その顔があまりにも真剣で、僕は気になって声をかけようとした瞬間、秀一が勢いよく顔を上げた。

 僕も詩織もその勢いに困惑する。


「秀一、何かわかったの?」

「あぁ、だがちょっと待ってくれ。少し考えを整理する」


 秀一はメモを取り出して、何かを書き込み始めた。そして、メモを見ては頷き、自分の考えに間違いがないかを確認しているようだ。

 僕たちはその様子をただ黙って見つめ続け、ついにその手が止まった。

 真っ直ぐに僕を捉える視線に、思わず息を飲んだ。


「……待たせたな。まず、結論から言うと、事件発生時ヒロは現場にいたはずだ」

 

 「な」その言葉に声が漏れていた。隣にいる詩織も僕と同じように、困惑の表情を浮かべている。

 秀一が何を言っているのか、理解できない。

 事件発生時、僕が現場にいた……?

 そんなことはあり得ない。だって、僕にはその記憶がないのだから。

 だが、反論しようとする僕の前にそれを秀一が手で制す。


「あぁ、わかってる。ヒロに事件現場にいた記憶はない」

「なら、秀一も警察みたいに僕が一時的なショックでその記憶を失ったって言うの?」

「いや、それも違う」

「だったら」

「だけど、もう一つあるだろう? お前が記憶を保てない状況が」


 何を、そう問い返そうとしたが、秀一の目線は僕ではなく、僕の側に置いてあったカバンの方に向けられていた。その中に入っているのは……。

 過去日記。

 まさかと僕が秀一に向けて視線を送ると、秀一は力強く頷いた。


「あぁ、正解だ。過去日記を使って改竄したお前の行動は、記憶には残らない。それは、これまでの経験で確かめられているはずだ」


 淡々と紡がれていく秀一の言葉。それを理解するのに、僕は必死に頭を巡らす。

 確かに、僕は過去日記を使って己の行動を変えた場合、その変化した行動の記憶を保つことはできない。実際、α世界では僕は文化祭で千鶴に告白したことになっていたが、僕にその告白の記憶はなかった。

 だが、あのときと今回とでは状況が違う。

 だって、秀一の言いたいことはつまり。

 事件当日の僕の行動が、過去日記によって”操られていた”ということなのだから。

 そのことに詩織も気づいたようだった。


「待って。でも、ヒロは七月七日の夜に日記を書いて眠ったんだよね。事件はその後に起きた。だったら、七月七日のヒロが日記を書いた後の行動を操るなんて不可能じゃない……?」

「あぁ。だから俺たちは勘違いしてたんだ」

「勘違いって、何を……?」


 尋ねながら脈が上がっていくのを感じる。

 詩織の言った通り、僕が七月七日分の日記を書いたのはその日の寝る前だ。当然、日記を書いた後の行動を操ることはできない。

 だけど、日記を書いたのが”未来”なら話は別だ。

 つまり、僕たちがいるこの世界は……。


「俺たちが今いるこの世界、俺たちはずっとここを過去日記が使われる前の世界だと認識していた。だけど、ここは”既に過去日記によって書き換えられた世界”だったんだ」


 頭の中に衝撃が走った。

 詩織は何も言えず、ただ口に手を当てている。

 この世界が、既に過去日記によって書き換えれれた世界。

 ならば、それを書き換えた犯人は……。

 未来の、僕。

 未来の僕が過去日記を使って、事件発生時の僕の行動を操った。

 過去日記によって操られて行動したときの記憶を保持することはできない。

 だから、僕は事件現場に行ったことを覚えていない。

 バラバラに散らばったピースが一本の道へと繋がっていく。

 だけど。


「でも、待って。もし秀一の言う通りなら未来の僕は過去日記を使って七月七日の記述を書き換えたんだよね。だったら、その書き換えた記述が残っているはずだ。でも、僕の日記にはそんな記述はない」

「ヒロ、確かその日記、今年の分で十冊目だよな。だったら、もう一冊残っているよな」

「千鶴からもらったのは十一冊あるけど、最後の一冊は白紙だよ。……って、まさか」

「あぁ、そこに答えがあるはずだ」


 ここにきてようやく、秀一の言いたいことを理解した。

 だけど、本当にそんなことがあるのだろうか。

 未来の僕が、過去日記を使っただなんて。

 逸る気持ちのままに、僕は急いでリュックを開ける。そこにあるのは年季の入った十一冊の日記。その中で一番新しい日記を取り出す。

 その表紙には、まだ何も書かれていない。当然だ。これは僕が来年書くはずの日記なのだから。

 だから、表紙にも中にも一切記述はないはずなのだ。

 僕はパラパラと日記のページをめくる。

 そして、あるページでその指が止まった。

 そこには、あるはずのない文字が並んでいた。

 「そんな……バカな」声が漏れていた。

 そこには確かに僕の字で、白紙のはずのページに文字が書かれていた。


『2029年7月7日 千鶴に危険が迫る予感がした僕は、彼女を守るため共に夜を過ごした』


 だけど当然、僕にそれを書いた記憶はない。

 つまり……。

 詩織が頭を抱えて「ちょ、ちょっと待って! 私もう、何が何だか」と日記の文字を見る。

 僕もいまだにそこに書かれている文字が信じられない。だって、こんな記述、僕は書いた覚えがないのだから。

 その衝撃的な事実に、声も出ない。

 秀一は考えを整理するようにまとめた。


「おそらく本来の過去日記を使う前の世界では、ヒロは事件現場に行っていない。当然、凶器から指紋が検出されることも目撃情報が出ることもないだろう。つまり、今のように警察に追われることもない。……だが、一年後か十年後かはわからないが、とにかく未来のヒロが事件のことを悔やみ、過去日記を使ったんだろう。事件の夜、桜木を守るために」


 過去日記を使う前の世界。

 そこでは、僕は事件現場に行っておらず、当然今警察に挙げられているような証拠が出ることもない。

 だけど、未来の僕は千鶴を助けられなかったことを後悔し、そして過去日記を使った。

 それが、十一冊目の過去日記に書かれた一文。


「結果として、今俺たちがいる世界が出来上がった。この世界では、ヒロは事件発生時に現場にいたはずだ。桜木を守るためにな。だけど、その記憶はない。なぜなら」

「……過去日記を使って書き換えた行動は、記憶として保持できないから」


 そうだ、そうだったんだ。

 僕がα世界から帰ってきたときに感じた急激な眠気。

 翌朝目が覚めたときに感じた体のだるさ。

 これは、僕が眠っていると思い込んでいた間に千鶴に会っていたことを示していていたんだ。

 だけど。

 それならどうして、千鶴は殺されているのか。

 同じ疑問を詩織も抱いた。


「ま、待って。でもちーちゃんは結局この世界でも刺されちゃってるよね……?」

「その通りだ。未来のヒロは桜木を助けるために、事件発生時桜木と一緒に過ごしていたはずだが、結局事件の結果は変わらなかった」

「つまり、未来の僕が書き換えたのは無意味だった……?」


 未来の僕は事件から千鶴を守るために、過去の僕、すなわち今ここにいる僕を操って、事件発生時千鶴と共に過ごすように仕向けた。

 だけど結果は、過去日記を使う前と同じ。

 千鶴の死へと繋がっている。

 つまり、未来の僕の行動は無意味だった。

 だが、秀一がそれを否定するようにつぶやいた。


「あながち無意味ってわけでもないさ。これでハッキリしたこともある。犯人はやっぱりただの通り魔なんかじゃないってことだ」

「どういうこと?」

「桜木が一人でいようが、桜木とヒロが二人でいようが刺されたのは結局桜木一人だった。これは、無差別な通り魔とは考えづらい。だって、そうだろ? 誰でもいいなら、夜一人で出歩いてるやつを襲うならともかく、二人組を襲うのは危険だ。百歩譲って、二人を襲う犯人だとしても、ヒロが無傷なのはおかしいだろ」

「つまり、犯人の狙いは最初から千鶴だった、と」

「間違い無いと思う」


 未来の僕の行動によって、一つの事実はハッキリした。

 だが、問題は結局誰が犯人なのかだ。

 今の情報だけでは、そこにたどり着くことはできない。秀一も同じ考えのようで、そこから先の答えは見つかっていないようだった。

 行き詰まりを感じたそのとき、ふと詩織が一つの疑問を投げかけた。


「でも、未来のヒロはどうしてもっと具体的な行動を書かなかったんだろうね」

「具体的な行動?」

「だって、ちーちゃんを守るなら警察に連絡するとか、それこそ外なんて出歩かずに家にいたら安全だったんじゃないかな、って」


 詩織の何気ない疑問も、言われてみれば気がつかなかった。

 確かに、未来の僕が事件が起こったことを知りながら、千鶴を守るために詩織が言ったような行動を取らなかったのは疑問だ。


「警察に連絡するのは事件発生前に通報しても、警察は動かないと思ったのかもな。だが、確かに詩織の言う通り夜に出歩く意味はないな」

「そうだよね。ヒロ、何か心当たりある?」

「心当たりって言われても。僕はこの一年、千鶴とは一切連絡も取ってないから何とも……」


 なぜ未来の僕は外で千鶴を守ることを選択したのか、僕にはわからない。

 単にそれ以外のことに考えが及んでいなかったといえばそれまでだが、そう簡単に決めつけるのも良くない。

 だが、詩織に言った通り、僕はこの一年千鶴とは連絡を取り合っていない。だから、何かを約束したはずもない。

 そう考えたとき、僕の中でふと引っかかる言葉があった。

 『約束』。

 そういえば、その言葉を僕は最近どこかで聞いた気がする。

 どこだ。どこで聞いた。

 必死に記憶を辿ると、ある一幕が僕の脳裏に浮かんだ。


『ヒロ、約束覚えてる?』

『さては覚えてないなー。はぁ』

『ま、もう果たせたからいいんだけどね』


 そうだ、あれは確か……七月七日、事件が発生した日のα世界での出来事だ。

 あの日僕は、朝から千鶴と駅で待ち合わせ、テーマパークに行き、世界を元に戻すことを決意し、そして電車に乗って帰ってきて……。

 デートから帰ってきた僕に千鶴は確かに言った。

 『約束』と。そして、『果たせた』と。

 何だ、僕は一体何を約束していたんだ?

 ふと詩織が空に向かってつぶやいた。


「七月七日だから七夕の日だよね」


 七夕。

 その言葉を聞いたとき、僕の頭に九年前の光景が蘇った。

 それは僕と千鶴が山の頂上から見た満天の星空。そこで交わされた言葉。

 「二人でまた星を見よう」。

 ならば『約束』とは。

 「まさか……」声が漏れていた。

 警察によると、直近の千鶴の通信履歴からは七月七日の彼女の行動に関する情報は一切なかったという。

 当然だ、だって千鶴が果たそうとしていた約束は九年前に結ばれたものなのだから。

 それは、僕と彼女しか知り得ない約束。

 それならば、彼女を殺した犯人は……。

 僕の中で、今、全ての散らばったピースが繋がった。

 そうだったんだ。

 ようやく今、すべてを理解した。

 僕は二人に向き直った。


「お前、もしかして」

「うん。犯人がわかったよ」


 すべてのはじまりの事件。

 その犯人。

 ようやくそこにたどり着いた。

 僕は決意の目を二人に向ける。


「犯人と決着をつける。……二人にも、協力してほしい」


 秀一も詩織も真っ直ぐと僕の視線を受け止めた。


「俺はもとからお前に協力するって決めてる。だが、その前に一つ聞かせてくれ。それは本当に必要なことなのか? 犯人がわかったなら一ヶ月前の日記にその犯人の名前を書いておけば、それで事件は回避できるんじゃないか」


 秀一の言うことももっともだ。

 犯人の正体がわかった今、わざわざ犯人と決着をつけることなく、過去日記を使えば事件を回避できるかもしれない。

 だけど、それはできない。

 なぜなら、その犯人が僕にとって特別な人だから。仮に日記に犯人の名前を書いても、過去の僕が信じれてくれないかもしれない。

 それに、何より僕はその人と決着をつけないといけない、そんな気がする。

 僕が首を振ると、秀一は「そうか」とだけ言って、笑って見せた。


「詩織は……?」

「私は、危ないことはやめてほしい。……でも、ヒロはもう決めちゃったんだよね。こういうときのヒロが折れないことは私も知ってるから。だから、協力するよ」

「心配かけてごめん。でも、ありがとう」


 一つになった意思を確かめ合うように、僕たちは歩み寄り、そして手を重ねあった。

 これが最後だ。

 僕は、僕たちは、必ず千鶴を救う。

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