反撃の狼煙

 秀一の積もった復讐心が、父親の殺害という凶行に駆り立てたことは理解した。

 だけど、この世界についてまだ説明がつかないことがある。

 いくら秀一が父親を殺害したところで、それだけで街がこんな惨状になるとは思えない。

 そもそもこの街にミサイルが落とされた原因は、A国の要人が殺害されたことがきっかけであって……。

 そう考えたところで、僕は先ほどの秀一の言葉を思い出していた。

 秀一は言った、彼の父親は外交官であると。

 そして、秀一の母親の墓に埋められていた手紙の宛名。


「そうか、秀一の父親の癒着相手って……」

「あぁ、ミハエル・ウォーカーだ」


 秀一の口からその人物の名前が告げられる。世界の環境問題や災害対策に取り組み、A国の大統領の側近としても名前の上がる人物。それが秀一の父親と繋がっていたということは。


「さっき俺は言ったな。親父は俺たち家族を捨てて、国外へ逃亡したって。その手引きをしたのがミハエル・ウォーカーだ。親父はミハエルに対して、莫大な公金の提供と各種利権の移譲を約束した。その見返りとして、ミハエルは親父の国外逃亡の幇助とA国での文官としての地位、そしてあるものを提供した」

「あるもの……?」

「ミハエルの娘との婚約さ。親父は俺と母さんを捨て亡命し、ミハエルの娘と再婚したのさ。反吐が出るだろ。俺たちを捨てた親父は、遠い地で一回りも二回りも年下の女を妻として新たに迎え入れたんだ。俺は、ここまで醜悪な人間たちを知らない。顔を思い浮かべるだけでも吐きそうだ」


 不快感を隠すことなく、吐き捨てた。

 秀一の憎悪は父親だけでなく、父親が堕ちるきっかけとなったその人物にまで向いていたのだ。


「なら一月前の料亭での殺人事件、それも秀一が起こしたのか。でも、そんな重要なポジションの人物をどうやって……、そうか。それで、神の子か」


 大統領の側近として国中に知られるような人物を、警護から剥がすことは至難の技だ。そんなこと、一般人にはとてもできない。

 そこで秀一は、それを可能にするほどの地位を手に入れたのだ。

 未来を予知できる神の子としての地位を。


「あぁ。俺は過去日記を使って、特に日本とA国に訪れる政治、経済、自然の歴史的問題を予言した。最初は中学生の言うことになんか誰も耳を貸さなかったがな。だが、俺が予言を行う度に俺の言葉を信じる人間は、地域、国を超えて広がっていった。それこそ、お前が見たようなあんな信者が生まれるほどにな」


 体育館で僕を取り押さえた男性の顔を思い出していた。家族の命を救われたとなれば、あの人にとって秀一は命の恩人、いやもしかしたらそれ以上の存在になっていたのかもしれない。


「その信頼を盤石にした上で、俺は信者を使って、親父とミハエル・ウォーカーに情報を流したのさ。『A国の国家の存亡に関わる重大な予言を聞いた。秘密裏に日本を訪れてほしい。』ってな。もちろん、ただの一般人がそんな言葉を言ったところで妄言として無視されるだけだ。だが俺は、数百人規模のテロ、数万人規模の災害に関する予言をいくつも行なった。俺の言葉を、利権に囚われたあいつらが無視できるはずもない」


 秀一が積み上げる論理の牙城に僕は震えていた。

 理論的には、秀一の言っていることは理解できる。

 だが、秀一は中学校に入って僕の過去日記を得てから、四年以上もかけて、この計画を完遂したのだ。それは通常の精神状態でできるものとは思えない。それほどまでに、秀一の復讐心は常軌を逸したものだった。


「無防備な状態で日本に呼び出した二人を、秀一は殺害した」

「あぁ。あの日、俺はあいつら家族を料亭に呼び出した。当然、そこにいたのは全員俺の息のかかった人間だ」

「そして、ミハエル・ウォーカーを殺害されたと憤慨したA国は、この街へ報復としてミサイルを落とした。秀一はこれも予想していたの」

「元々、お前がいた世界でも日本とA国は緊張状態にあったんだろ。それは歴史的な争いや、政治、宗教、経済、様々な側面で摩擦を生んでいた。だから、ミハエルを殺すことで、その緊張状態が高まることは予想していた。……だが、まさかここまでのことが起きるとは思わなかったよ。だけど、歴史を見たらわかるはずだったんだ。戦火の口火なんて、一人の人間の死をきっかけに切られるもんなんだってな」


 それは初めて見せた、自分の予想外だったという顔だ。

 その顔を見た途端、僕の胸には怒りがこみ上げてきた。


「秀一は自分の復讐のために世界を巻き込んだ。そんなこと、許されるはずがないだろ。君のせいでどれだけの人が不幸になったと思ってるんだ」


 秀一は俯き、悔しそうに唇を噛んだ。

 口元から流れる血を見て、僕は理解した。きっと秀一は誰よりもその罪を感じているはずだ。

 当然だ。自分の復讐のために無関係な人々を大勢巻き込んだのだ。まともな神経なら耐えられるはずもない。

 ならば、僕がすべきことは、もう一つだけだ。僕のために、そして秀一のために。


「……秀一、過去日記を返して。僕は、もとの世界に帰らなけらばならない。こんな世界、あっちゃいけないんだ」


 秀一なら理解しているはずだ。自分がしてきたことへの、その贖罪を。

 だが、秀一の答えは僕の期待しているものとは異なった。


「それは出来ない。俺にはまだ、やるべきことがある」

「秀一、君はこれ以上何を……」


 それだけ言うと秀一は過去日記を持って立ち上がり、廊下の向こうへと歩みを進めようとする。

 この世界で秀一は母親の復讐を果たすために、父親、そしてその父親を誑かしたミハエル・ウォーカーを殺害した。その目的はもう達成されたはずだ。であれば、秀一がやるべきことなどもうない。

 その瞬間、僕の頭にまだ解消されていない疑問が思い浮かんだ。

 正蔵さんによれば、料亭で殺されたのはミハエルとその関係者二人だそうだ。

 先ほどの話によれば、その関係者の一人は秀一の父親で間違いない。

 となれば、あと一人の被害者は誰だ……?

 秀一が無関係な人物をあえて殺害するとは考えにくい。

 秀一と父親、そしてミハエル・ウォーカー。その場に関係のある人物といえば……。


「まさか、父親の再婚相手、ミハエル・ウォーカーの娘を殺したのか……?」


 コンクリートを踏み鳴らす音がピタリと止まった。同時に、あたりに笑い声が響き渡る。

 それは狂人の嗤い声だった。聞いているだけで不安になるような、不快になるような、そんな声。その出所は、廊下で立ち止まった人物だ。

 秀一は顔を抑えて、一しきり笑い終えると小さく息を吐いた。


「あぁ、そうだ。あの日、俺は親父とミハエル・ウォーカー、そしてその娘のシャルロット・ウォーカーを殺した」

「なぜ、そんなことを……。その人は、秀一のお母さんとは関係ないはずじゃ」

「あるさ。お前は想像できるか。家族を捨てた父親が、別の国で違う家族を持って幸せにのうのうと暮らしている姿が。母さんが死んでも連絡ひとつよこさない人間が幸せな時間を過ごしているんだぞ。母さんが見たら、きっとそんな家族は呪い殺すだろうさ。俺は親父に、俺と同じ、目の前で家族を失った苦しみを与えてやると誓った。だから、親父の目の前でミハエル・ウォーカーとその娘を殺してやったのさ」


 そう語る秀一の姿は明らかに異常だ。

 さっきまでの秀一は凶行に刈られたものの、それでもまだ理性を保っていたと思う。それは母親の死に、直接大きな影響を与えた父親とミハエル・ウォーカーへの復讐だったからだ。

 だけど、シャルロット・ウォーカーは、秀一が父親を苦しめるためだけに殺したようなものだ。その人自身に罪があったわけでもない。

 きっと秀一はそれがわかっているから、だから狂ってしまったのだ。

 その姿に、僕は怒りを覚える一方、どうしようもなく痛ましいものを感じる。そんな秀一はこれ以上見ていられなかった。

 だが、秀一はこれ以上一体何をしようというのか。

 秀一の母親の復讐というなら、もう秀一の目的は達成されている。

 思考が巡る中、僕はここに来るまでの一幕を思い出していた。

 それは墓前の前で、僕たちを捉えた仮面の人物が電話越しに伝えた言葉、『ターゲットを発見した』と。あの仮面の人物たちは、おそらく秀一の信者たちだろう。

 僕はてっきり、汚職の証拠であるあの手紙を処分したいのかと勘繰ったが、その犯人たちがもうこの世にいないのだからその意味はない。

 では『ターゲット』とは何か。

 僕と桃井さんは避難所である高校で秀一と顔を合わせているから、僕らがそのターゲットということはないだろう。

 それならば……、秀一の『ターゲット』とは。


「エリー」


 自分の閃きが確信に変わる。

 秀一の狙いは、間違いなくエリーだ。

 だが、秀一とエリーに一体どんな関係があるというのか。

 考えるんだ。秀一が去る前に、今まで得た情報から脳を回転させるんだ。

 この世界で初めて出会った女の子。

 一月前に日本に来た女の子。

 秀一の祖父と避難していた女の子。

 父親が日本人であると言った女の子。

 秀一の家へ頑なに着いて行くと言った女の子。

 この世界で起きた出来事が、一筋の道となって繋がっていく。


「まさか、エリーは秀一の父親と再婚相手の娘、つまり……秀一の妹なのか」


 そうだ、考えればすぐにわかったはずだ。

 見ず知らずの老人と一週間避難生活を共にするのは幾ら何でも不自然だ。

 だが、その答えは簡単。秀一の祖父とエリーは、他人ではなく家族の一員だったのだ。

 つまり、エリーは秀一の父親の再婚相手との子ども。すなわち、異母兄妹だ。

 秀一は出口へと向かうその足を完全に止め、こちらに体ごと向き直っていた。


「エリーなんて名乗っているのか。お前たちといたあいつの本当の名前はアリス。アリス・ウォーカー。シャルロット・ウォーカーの娘だ」


 その言葉に、衝撃が走った。

 いつか過去日記に秀一が秘密として書いた名前、アリス。

 エリー……いや、アリスは秀一の妹だったのだ。

 なぜそう名乗ったのかは、今に思えば名前を悟られないようにしたかったのだ。

 アリスは秀一が避難所の学校に来たとき、体育館には来なかった。それは自分が、狙われていることを自覚していたんだ。

 秀一の表情からは感情を読み取れない。

 だが、一つわかっていることは秀一は武装した仮面の集団を使って、アリスを捉えようとしたことだ。それが意味するところは。


「秀一はアリスを……殺す気なの」


 その言葉に秀一は何も答えない。今度こそ無言で出口へと歩みを進めるのだった。


「ふざけるな! 君はアリスを、妹を殺す気なのか!」


 胸の奥から叫ぶ声も、その歩みを止めることはできない。

 咄嗟に体が動いていた。

 鉄格子の向こうから消えて行くその影を追うために、僕は前進しようとする。

 だが、それを阻んだのは無機質な金属の錠だ。

 右手首から猛烈な痛みを感じ、液体が伝うのを感じる。

 だが、そんなことは関係ない。今、止めなければ秀一はもう戻って来られなくなる。

 しかし、いくらもがいても僕の右手をつなぐ錠はビクともしない。

 やがて、扉を開閉する無情な音が聞こえ、監獄は静寂へと包まれた。

 絶望が、僕を覆った。

 なんて事だ。

 秀一は、アリスを見つけ出して殺す気だ。墓前では運良くアリスを逃すことができたが、きっと秀一の信者が今もアリスのことを追っているのだろう。もしアリスが捕まったら、それに抵抗することはできない。

 右手の錠から必死に手を抜こうと試みるが、痛みが増すばかりで一向に抜ける気配はない。いっそのこと、右手首を斬り落とそうかと考えた。だが、右手からの出血を抑える方法がないため、秀一の元へたどり着く前に出血死してしまうかもしれない。そもそも、右手を切り落とすことができる道具がない。また、僕たちを閉じ込める監獄にも錠がかかっていて、それを破ることは難しい。

 八方塞がりだ。僕に秀一を追いかける術はない。

 視界が急速に暗くなってゆく。全身の重みが倍になったように感じる。さっきまで必死に抵抗していた僕の体は、もう指一本動かない。体中の中身が泥になってしまったようだ。

 絶望に心を閉ざされるというのは、こういうことだろう。

 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。

 全身から力が抜け、僕はだらりと牢屋の壁に背を預けていた。

 もう何も考えられない。何もしたくない。

 そういえば、前にも僕はこんな気持ちになったことがあった。

 世界が灰色に染まって、色が見えない。

 そこには一切の希望がなく、ただ時計の針が進むだけ。

 そうだ、あれは僕が病気を通告されたときだった。先生に、僕の記憶が一日しか持たないと言われたとき。あのときも僕は、世界に、日常に、人間に絶望した。僕だけが世界の理から外れた存在になってしまった。みんなの当たり前が、もはや僕の当たり前ではなくなっていたのだ。

 もう二度と笑うこともないと思っていた。

 それを救い出してくれたのは……。


「ヒロ!」


 声が聞こえた。

 懐かしいその声は、かつて僕を救ってくれた声だ。絶望の海に沈んでいた僕をすくい上げてくれたその少女は、僕の全てだった。

 僕は幻聴を聞いているのだろうか。

 だが、その声は妙に生々しい。


「ヒロ! 起きて!」


 真っ暗闇の世界から、重い瞼を開ける。

 そこに映ったのは、かつて僕を救ってくれた少女。桜木千鶴だった。

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