第27話 越前大野駅での別れ

 加藤と本郷が病室に戻るとそこには水島と娘の未奈子みなこがいた。

 水島は夕べ加藤が入院したことを知り、今朝娘を連れて三国港みくにみなとから車を走らせて見舞いにやって来た。

「先ほど着いて受付で聞かされた部屋を訪ねると留守だから待たしてもらったよ」

 症状は病院から報されて待機させてもらった。その水島が病院側から受けた説明では意識が戻れば特別病棟から一般病棟へ移ってもらう予定だった。

 水島から留守を報された病院では戻ってきた二人に直ぐに昼までに退院してもらうと通告された。その検査を担当医が手空き次第に診察するからそれまでは今の病室での待機も命じられた。

 病院を無断で抜け出した彼に病院が取った処置が分かり、それが落ち着くと加藤は本郷をみんなに紹介した。すると水島親子はすでに先日に敦賀で会っていると知らされた。それをまだ報せていない美希が謝ると「今朝からそれどころじゃなかった」と加藤は笑って流してくれた。

 この雰囲気から元気だったらそれで良いと、席を外そうとしていた水島は「煙草を吸いたいから車で待ってる」と病室を一足先に出た。

 未奈子は父が部屋を出ると愛想笑いをめて本郷に向かって言った。

「越前大野城の雲海を見に行きますと書き置きがありましたけど本当に病院の許可も得ないで行ったのですか、そう云う子供じみた所を止めるのが傍に居る人の務めです。本郷さん! あなたは看護の為に傍に居たのでしょうなぜ止めなかったのです! 」

 未奈子が厳しく問うた。

「ひとつのものに拘るのは子供じみてますけれどそれが男のロマンですからそれがなければ人は大成しないと思います。それに早朝で誰も居ませんでした」

 と本郷も負けじと反論した。

「宿直の看護師さんが居るはずです、捜さなかったですか」

「ここは初めてで場所が分かりませんでした」

 信念を貫くところは昔のままで、美希は変わってないと加藤は内心ではひと息ついていた。

「もういいよ。美希にはもう別な人が居る。それはぼくのせいでなくいたずらな時のせいだけど彼女はそれでも一生懸命ぼくのために生きた証しをここに残してくれた、だから彼女を責めないでくれ」

 両者を均等させる水入りのように加藤が仲介に入った。未奈子も剥きになる自分にハットして平常心に戻った。そんな未奈子を本郷は加藤と恋する前の自分に重ねた。

 そして忘れていたと本郷は加藤がウェストポーチに入れていた仏像を返した。

「眠っている間あなたの身代わりのように持ってました」

「それは十一面観音菩薩ですのね」

「仏像に詳しいのですね」

「父の水島は若い頃は僧侶になるつもりで京都で修行してましたから」

「それは初耳だなあ高校から地元の漁師になったと聞いていたが」

 加藤は意外だと言いたげに驚いていた。

「ある女への恋慕からですから誰にもいいたくないけれどでも山路さんには伝えたそうですけれど……」

 だから知ってるはずと本郷を見た。その視線を跳ね返すように、本郷はあたしには関心がありませんという素振りを見せていた。

 今更ながら敦賀で見せていたおもむきとは違った視線だった。あの時は加藤の状態が解らなかったから彼を知る未奈子の視線を跳ね返せなかった。今は加藤は昔の面影を取り戻しているから何も気にすることはなかった。すなわち本郷もあの頃の自分と変わらず接すれば良かった。それが今の負けじと反論する本郷の態度に出ていた。

 それが気になった未奈子は「加藤を捨てたあなたが何のようなの」と横柄に言ってみた。もちろん角の立たないように愛想笑いは添えていた。此の言葉が無害と知るとさっそくたたみかけるように続けた。

「あなたはこのまま京都へ帰るんでしょう。でも加藤さんは過去はどうあれ、今あの人の夢は三陸の海でもう一度咲かせたいのよ」

「お言葉ですがあたしは加藤の生存を知ってあの人の故郷の石巻へ行きましたでももう影も形も残ってないんですあの人の居場所が……」

 加藤は過去を回想するように聞いていた。

 失礼しますと病室にやって来た看護師は今から先生に診てもらいますので診察室へ来るように知らせに来た。加藤は二人の雲行きに不安を感じながら病室を出た。

「当然でしょうすべて流されたのですからそこからみんな立ち上がったのです。でも加藤さんは今からなんです」

「それは解ってますが」

「本郷さん、あなたと敦賀で会ってから私は東尋坊であの人が誰なのかを伝えました。今までは三陸海岸の何処かで漁師をしていただけしか解らなかったのですから、その彼がじゃあ石巻へ行ってもっと詳しく知りたいと言ったのは当然の成り行きですけど今はすべてが解ったのですから今度の三月十一日には行くでしょう」

「そんなに日にちがないのに……」

「無理だと言いたそうだけど、そうしたのはあなたですよ。本郷さんはそこまで意識していなかったんでしょうね。あの人は三陸の海に帰りたがってる。だがそれはあの日の震災からでなく、今からがあの人自身の復興じゃないかしら」

「そうだったんだ。私にはもうすっかりあなたに言われるまで気にしていなかった」

「でしょうねその佐藤さんって云う方以外は」

「それは仕方が……」

「なかった。でしょうね別にあなたを責めるつもりはありませんから。どうぞお幸せに」

「……」

 返す言葉を無くした本郷にそこまで意地汚い女じゃないと未奈子は頬を緩めた。

「本郷さん、荷物はなかったのですか」

「はい、急でしたからこれだけです」

「たとえ一時間でも抜け出したのですから加藤さんは此処に戻ってくればあの状態ですから即断即決で退院でしょう。加藤さんを旅館へ送りますけれどあなたはどうするの? 」

「越前大野駅へ行きます」

「じゃあ駅まで送ったげるわ」

 ありがとうと言ってからもまだ心残りなのか動かない本郷に、未奈子は整理しなければとせき立てて二人は部屋の後片付けをした。

 加藤が部屋へ戻って来るとシーツも枕もキチンと畳んであった。

「手際が良いね。今から退院してもらうと言われたよ」

 未奈子は暖かく加藤を迎えた。

「じゃあ行きましょうお父さん待ちくたびれてるから」

 外は風が出て来ていた。

「朝はましだったのに急に冷えて来るのね」

 本郷が移り気な天気を嘆いた。

「北陸のこの辺りは天気が変わりやすいのよ」 

 病院を出ると先ずは駅に向かった。

 駅に着くと丁度あと十分で福井行きの列車が来るからと、加藤はホームまで本郷を見送ると言った。未奈子はそうしてあげたらと二人に優しく語り掛けた。本郷はその思いやりに此の人ならと思った。

 二人は改札を抜けて陸橋を渡り向こうのホームへ降りた。

「加藤さんは三月十一日に石巻へ行くんですか? 未奈子さんが慰霊を望んでいるって言ってたけど三日もないのよ……」

 未奈子が代弁してくれた事に加藤は胸が熱くなった。

「それで君に最後の頼みがあるんだ聴いてくれるか」

「何なの? 」

「なんせ何処を当たればいいかも分からないし、それにもう日にちがないんだ。そこで君のお義父さんに頼んで欲しい。三陸の沖まで行ってくれる船を捜し出して欲しいんだけど」

「地元の漁船をチャーターするのね」

「なんせもうすぐ六年になるから、誰が震災を乗り越えて生きているかも解らないからねそれに期日が迫ってるどうしてもその日に慰霊をしたい」

「分かったわ、お父さんは仙台の水産庁の職員だから明日には返事できる。三月十一日に福島沖まで行ってくれる漁船で良いのね」

「ああ、五年間ためた金があるから」

「それは私が出す」

「君はその佐藤さんって言う人と結婚するんだからお金はなんぼでも入るだろう。俺にはそんな予定がないから良いよ」

 ウ〜ンと本郷は少し考えてから「石巻へ慰霊に行く決意を未奈子さんに言って見たら良い返事が返って来るかも知れないわよ」と思わせ振りに言った。

「ウ〜ンどうかなあ」

 福井行きの列車の案内放送が流れた。本郷の顔が少し強張ったように見えた。

 二両編成の福井行きのジーゼル車がレールの向こうに見えた。

「三月十一日は一緒に三陸に行けなくてゴメンナサイ」

「いいよそれにもう福井に来なくて良いよ。今朝は夜通し枕元に居てくれた。それで十分君は尽くしてくれた礼を言うよ」

 本当の思いが伝わったと本郷は嬉しくなった。

「ありがとう、それでモオオ……」

「モオオなんだ」

「何でも無い! 」

 なんでも調子に乗りすぎたと本郷は自分を戒めた。

「言えよこれでお別れなのに」

 二両編成のジーゼル車がプラットホームに滑り込んできた。

「電車が来たぞ。なんだ」

「あ〜の……もう、もう一度逢いたいの」

「ウんん? 」

可怪おかしい? 」

「いや君らしい」と加藤は笑った。

 その笑いが本郷にはこたえて、うーんと寂しく首を振った。そして暫く加藤の眼差しを捉えていた。その横を数人の客が素通りして行く。それに続こうとした本郷はまた立ち止まった。

「あなたに佐藤さんを紹介したかったけれど来てくれる……。ゴメンあなたの気持ちも知らないで我がままな女なんでした」

 そう言って急ぎ列車に乗り込む本郷の腕を掴んだ。

「いつ来て欲しいんだ、いつ行けば良いんだ」

 振り向いた本郷は笑ったが、余りの優しさに目尻が濡れてしまった。

「加藤さん、最後の我がままな女の最後のリクエストを聴いてくれるの?。ーー披露宴に招待したい、あなたに佐藤を紹介したい」

 息を沈めていたジーゼル車が息を吹き返して小刻みに震え出すと、ワンマンの運転手は乗客に発車を告げるアナウンスを鳴らした。

「分かった、いくよ。じゃあサヨナラ」

 時間の迫った加藤は手短に答えた。そのサヨナラの言葉に反応した本郷の瞳はあうれそうな涙をこらえて「二人で来て欲しい」と言った。

 強い美希には涙は似合わないと、泣くなと云う思いを込めて加藤は軽く手を振って。 

「それは解らんよ」と笑った。

 これには本郷も精一杯に笑った。今度は加藤がその笑いに一寸渋い顔をしながらも笑顔が自然と零れた。これで本郷は再び会えると確信すると加藤にエールを贈った。

「あのひと、きます、これは昔あなたを恋した女の勘です。サヨナラ」

 発車の迫る列車から言葉を選ぶように言うと、ドアを閉めるアナウンスと重なるように本郷がサヨナラを言うの待つようにドアが閉まった。

 眠り着いた子供を起こすようにジーゼル車は急にうなりを上げると甲高い汽笛を響きかせてプラットホームをゆっくり離れた。二人は閉じたガラス戸を挟んで思いの限り手を振った。加藤は目の前を通り過ぎて遠ざかる二両編成のジーゼル車を見送った。

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