第28話 未奈子の決意

 駅前に止めた車から降りた二人に水島も未奈子も付いて行かないでここで本郷を見送った。

「改札までかと思ったらホームまで行っちゃった見たいね加藤さんは」

「本郷さんはずっと想い出の中に生きていたけれど、加藤にすれば夕べ彼女を知って翌日には別れるんだから。短すぎたからホームまで見送りたいんだろう、いや一緒に行きたいだろうなあ。それはもう少し想い出に浸りたいのが人情で決して未練とはおもむきが違うだろう」

「そうねたった一日逢って、はいサヨナラなんて。それをどちらも受け容れなけゃあいけないのってそんな理不尽な世界を作る世の中の摂理が可怪おかしい。それに風穴を開けるべくあたし達が努力するべきでしょ」

 と言っては見ても仕方のない。そんな分かり切った事を言う今日の未奈子は珍しかった。

「未奈子、あの震災がなければ続いていただろうあの二人の絆をお前はどう思っているのだ」

 時流に竿させば流されて浮かばれない。そんな人生は好きじゃない。だからどうも思ってないと言えば父は面食らうだろう。だがそんな父のために正論を通した。

「誰のせいでもない、それを運命なんてひと言では片付けられないのに二人はそれを甘んじて受け容れようとしているところが意地らしくて切なすぎるけどこれも人生なら仕方がないでしょう。でもそんな世間の見方が偏っているのは理不尽だと思うけど」

「それと同じ想いを俺は四十年数年前に味わったよ」

 この時は恋をする女は一筋縄ではいかないと云う教訓を水島は知った。

「お父さん、それが仁和子になこさんなのね」

 そうか、そう云う恋だったのか。

 ーー水島は少し笑って「お前に言ったっけ」と惚けた振りをした。それが未奈子みなこには子供じみて愛おしかった。

 やがて加藤はお待たせと水島の車に戻って来た。

 どうでしたのと未奈子がバックシートに腰掛けた加藤に声を掛けた。その柔らかな物言いにハンドルを持つ水島は調子抜けした。

「ちょっと目を潤ませたが泣かなかったいや泣けなかったのだろう」

「やはり気丈な人なのねでも今頃泣いて居ると思うけど」

 そうは思いたくない加藤に未奈子は余計な事を言ってしまったと同情した。

 二人の会話を無視するように水島は車を走らせた。

「そうかなあ」

「そうよあたしが本郷さんならそうしている」

「悲しいからか」

「いえ気持ちが通じた嬉し泣き」

「何か見て来たような言い方だなあ」

 好きってそう云う事よともありなんと未奈子は笑った。その笑いが何を意味するのか判らないまま着いた旅館で加藤は車から降ろされた。


 加藤を旅館まで送り届けると水島は三国港を出る時に言ったように仁和子の寺へ向かった。佳境に入った歳で仁和子は一人で父から受け継いだその寺を今は守っていた。あの越前での雪の別れから四十年近くが経とうとしていた。

 両親はすでに亡くなりその親が勧めた跡継ぎの婿養子にも先立たれて寺は一時は別の住職に代わった。しかし仁和子が僧侶としての修行をして今はこの寺を守っていた。それを数年前にある親戚筋の法事で聞かされた。寺は九頭竜川沿いの勝山市にあった。

 国道沿いにはスーパーや各種のストアー、ディスカウントセンターなどが建ち並んでいた。が、国道筋を外れると長閑な田園が住宅街とパッチワークのように組み込んだ一角にその寺はあった。

 玄関から奥まで通る声で水島が呼び掛けると仁和子は出て来た。仁和子はすぐに隣の若い女性にも目を合わせると奥へ案内した。

 玄関の中は広い三和土たたきに面してる三畳の間に文机が受付台代わりに置かれていた。次が八畳の部屋でその奥と謂ってもそう広く無い場所に仏像が安置された。その本堂に連なる部屋へ通された。

 普段はこの裏にある納戸のような部屋を生活空間にしていた。何もないこの部屋は差し詰め和室の応接間に使われて居るようだった。隅にある石油ストーブだけが不釣り合いに鎮座していた。仁和子はそのストーブに小さめのヤカンを置き点火して座布団三つ用意して二人に勧めた。

「てっきりまだ京都に居ると思ってましたのにいつこちらへ」

「もう二十年も前になるがその時は別の住職だったからそれっきりだ」

「それっきりと云うことはまだ恨んでるのですか」

「なら来ないよ」

 それもそうねと二人は笑い合った。今は笑って此の言葉が言えるほど二人の間に流れた年月としつきがあの時の関係を風化させていた。

「そうよね、あ、そちらの方は娘さんですか」

「あ、そうだ未奈子と言うんだ」

「になこ さん? 」

「いえ、み、な、こと言います」

 未奈子自ら名乗った。仁和子はじっくりと水島を見て少し笑った。

「その名前を決められた時は奥様は何か言いませんでしたか」

「特に反対はしなかった。うちの奴は幸か不幸か全く経緯いきさつを知らないから」

「水島さんが見初められた人はそう云う方だったのですか」

 穏やかな口調だが此の言葉にはどこか皮肉っぽい響きがあった。その様な話し方で水島は仁和子に少し見くびられたようだ。それを察したのか彼女は直ぐに話題を変えた。

「いつこの寺の住職があたしになったことを何処でお聞きになったか知らないけれどよく訪ねてくれましたのね」

 ーー入り婿に先立たれて寺は絶えたと聞いていたのが、まあこの歳になると身内の不幸に遭う事が増えてねえ、そんな葬儀の席で寺が復活した話を聞きました。

「それはいつですか」

「最近ですよ」

「それで来てくれたのですか昔のわだかまりをよく乗り越えられましたのね」

「もう笑って来られる歳に成りましたよ」

「嘘、嘘です。あなたならあのままなら来ないと思ってました。きっと私に関わる別の話も聴かれたのでしょう」

「別の話ですか……」

「そう別の話です」

「やっぱり目が鋭い、ただの人じゃなかったのですね仁和子さんは」

「おだてても何も出ませんよう」

「久し振りの訪問に関わらず何も出てないじゃないですか」

「お湯を沸かしていたのですよ」

 そう云うと仁和子は立ち上がりストーブに乗せたヤカンが噴いていた。そばに置いた急須に注ぐと二人にお茶を出した。

 ーーさあどうしましたと仁和子は別の話の続きをせがんだ。

 ーー約束の列車にあなたは来ませんでした。次の大阪止まりの最終便に乗りました。随分後になって、そうずいぶんあとです。その列車に飛び込もうとした人が居たと知りました。それであなたの辛い立場もその時に一緒に知りました。

「じゃあどうしてあたしを迎えに来てくれなかったのですか」

 あなたなら堂々とさらいに来るはずだと。

「君の居ない寂しさから求めた女に子供が出来て居たのですよ」

 仁和子は隣の若い女性に目をやった。

「それであたしに似た名前を付けたのですか」

 水島はそれには答えなかったいや応えられなかった。そこが此の人らしいと仁和子は笑った。四十年近くの邂逅かいこうの時を経て二人はやっと笑ってこの場を過ごせた。しかしたとえ親の意にはんして自殺の道を取ったとしてもそれまでの行動は永久に許されるものじゃない。それを彼女は肝に銘じて欲しい、それが水島のこの訪問の最大の目的だった。しかし初老に差し掛かるこの二人にはそれも無意味かも知れないそれほど遠い遠い想い出だった。


 寺を出た水島は三国港に向かって車を走らせた。

 前から仁和子には会うとは言っていたがそれがなぜ今日だったのか。単に加藤さんが入院した日でなくても良かったのにと思えるのは私だけなのか。

「今日は病院へ行くあたしをお父さんが乗せて送ってくれた訳が少し解ってきた。仁和子さんに会いに行くのが目的であたしの用事はその次だったのでしょう。あたしにある決心を促すための……」

「言ってる意味が解らんなあ」ととぼけた。

 娘の気持ちを後押ししょうと父はここへ足を運んだ。それなのに初恋の人に逢うのがそれほど気恥ずかしいのか。それを確かめようと「石巻へ行っても良いでしよう」と突然言い出した。

 ーーホウそこへ来たかと水島は加藤さんに付いて行くのかと問うてきた。

 ーーそのつもりだと核心に迫る未奈子だが断定は避けた。

「石巻へ付いて行ってどうするんだ」

「あの人は船上であの日の慰霊をしたいのです」

「三月十一日のか」

「他に何があるの」

「日がないじゃないか」

「九日だからあと二日あるわ」

「止めるつもりはないが行くつもりなのか」

「お父さんも昔は漁師をしていたでしょう」

 ーー五年の空白をたった三日で埋めるのか。

 ーーそれは本郷さんのせいであの人じゃない。

「違うだろう、それはもっと大きな時流だろう」

 ーー加藤はやはり漁師に戻るのか、まあその苦労をお前は承知の上だから何も言わんよ。

「あら雪が舞ってきたのね。丁度あの日も三陸の海に舞っていた雪が……。あの人を呼ぶように舞っている春の雪なのね」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る