第25話 宴会

 旅館に帰った山路と美咲にさっそく紋付き羽織袴姿の沢井が迎えた。

「結婚式はどうだったの。それにしても体格がいいから紋付きの羽織袴も立派に見えるわね」

「加藤さんはどうでした」

 まんざらでもないと云う顔をして沢井は訊いて来た。

「それがダメなの今は本郷さんが付いているから気が付けば連絡してくれるように言ってるから」

「そうか、それじゃあその本郷さんと云う人に任すしかないか。ところで頼まれた着付けですけど花嫁の打ち掛けから振り袖に今着替えてますから手が空き次第に連絡しますから部屋で待ってて欲しいけどいいかなあ」

「分かったはじゃあ部屋で待ってるから連絡頂戴ね」

 それはもう間違いなくと伝えると美咲の念の入りように沢井は恐れ入って退散した。

「あの人は余程に美咲を煙たがってるね」

「そんな人聞きの悪いことを云わないでよただでさえ気弱な私なのに」

 どこがと呆れた山路は美咲と部屋に戻った。

「本郷さんの呼びかけでほんの少しだけど思い出したのは朗報だと思えるけど」

 ーー彼は波間に漂う自分を船長から報されていた。今まではそれしか知らなかったのが津波に襲われる少し前の記憶が蘇った。

「本郷さんが問い掛けたあの長谷寺の十一面観音菩薩が、まるでフラッシュバックのように数秒間の記憶だけ蘇った。それも途切れ途切れだからそこから過去のすべてが思い出せるんだろうか」

「でもたとえ数秒間の記憶でも復活したのは確かね。あとは僅かでも本郷さんが過去を引っ張り出そうとしたのがああ云う結果を招いたのかしら」

 そこに内線で美咲の着付けの用意が出来た報せが入った。


 一人になると山路は加藤の容態が気になった。携帯とにらめっこするが病院へ行っても宴会の時間を考えるとトンボ帰りになり待つしかなかった。本郷さんは独りじゃ心細いか、いやそんなはずはない目の前には昔の人が居るじゃないか。だが彼は昏睡状態でもう三時間以上になる。あと一時間もすれば宴会が始まるその為に美咲は振り袖を着付けてもらってる。

 何とも気は焦るが身動きが取れないから余計に動揺してくる。やっと着付けの終わった美咲が戻って来た。成人式に一回袖を通して実家に眠っていたのを今日の為に持ちだしてきた振り袖だった。まあ少しはおしとやかに見えるか、それが喋り出すとまた元通りなった。

「さっきの着付けの部屋で跡取り息子のお嫁さんに会ってきたのよ」

 と元カレの新婦にあれこれとまあ十人並みねと評価していた。何でも銀行に勤めていた人で接客と金銭感覚がここの女将さんの条件を満たしているとの事だった。

「でどうだったの」

 と美咲は加藤の様子を訊いてきた。

「こっちから一度気になって電話してみたが変わらないそうだ。それで彼女の方から意識が戻れば電話があるそうだ」

「そうなの、電車は福井までならまだあるけれど京都まで連絡している電車は七時過ぎまでだけど。それで沢井さんと相談したけれどもう部屋は空いてないんですって。なんせ旅館も少ないから福井なら空いてるビジネスホテルもあるらしいけれど結局翌朝またこっちへ来るのならこの部屋に泊まってもらってもいいと沢井から承諾をもらった。和室だから布団を増やせばいいから部屋も広いしそうするけど。だから彼女が浴衣に着替えるときだけ席を外して頂戴ね」

「まあその時は風呂でも入ってるよ」

 

 その内に宴会への案内が入り二人は和室の宴会会場の広間へ行った。三十畳敷の両サイドに向かい合うように白いクロス掛けの長めの座卓がずらっと一列に並んでいる。上座には白いクロスがけのひとつの座卓に新郎新婦が座っていた。四十人ほどの招待客の七割が親戚や仕事関係の人々で山路のような友人は数名だった。普通の服装なら団体旅行の宴会場だが留め袖とか羽織袴に着飾った人が多いから披露宴に見える。

 ここは座り方が反対だった。普通は友人知人が前で親戚は特に両親は一番うしろに来るんだが、特にスピーチも余興もないただ親戚筋の顔合わせ的な意味合いが強いからだった。

 末席の友人はどちらも四、五人だった。だがペアで来ているのは山路と美咲だけであった。その末席に座る新郎新婦それぞれの立場の友人が二人を紹介した。あとは銘々が自己紹介して行った。

 両脇の席は壁際で中央が余興でも出来るほど空いている。向こうの親戚同士はさっそく中央に出て酒やビールを持って挨拶していた。末席の友人達は新郎新婦とは顔見知りでもお互いは今日初めて会う顔ぶれだから交流がない。和食の会席料理だから頻繁に空いた中央を仲居が酒と料理を取り替えて運ぶから結構賑やかになっていた。

「顔ぶれを見ると何で美咲が招待されたのだろう」

「それだけ特別扱いしてくれているのよ」

 ここの女将さんとは二三度会っているからさっそくビールを持って挨拶に来てくれた。美咲も一度だけ会っているが女将さんは「山路さんにこう言う人が居たなんて知らなかったわ」ととぼけたように遠回しに揶揄された。

「今日は初めてご主人を拝見しましたが良い方ですね」

 まあっと女将は愛想笑いを浮かべた。

「主人は裏方に徹してますからめったにみんなの前には顔を出しませんから。それより加藤さんが再会したのも束の間ですぐ病院に運ばれて、その相手の方がまだ付き添ってられるんですねでもやっと巡り会えたのですから無理もないわね」

「でも本郷さんには結婚を決めた人がいますから……」

「まあ! それは加藤さんは知ってるんですか」

「初めて聴かされましたから……。まあそのあとに倒れてしまいまして」

「まあ! 相当なショックだったんでしょうか」

「いえそうでもないんです。聴いた時は加藤さんはまだ平常心だったんですが本郷さんが記憶の回復を願う余り頭が混乱したようです」

「そうね長い過去の月日を一気に巻き戻そうとすればゼンマイなら切れてしまうわねでも加藤さんは柔軟な人だから直ぐには切れないと思うけど」

 と女将は美咲を見やった。

「お母さんの期待に添えなくて残念ですけれど旅館の女将さんはわたしには向いてないんです」

「それはあなたに会ってすぐに判りました。今では感謝していますわ、お陰であたしが目を付けた人と結婚してくれましたから」

「それはようございましたわね」

 と美咲は皮肉っぽく言った。まあっとその顔を見て女将は思わず吹き出す口を押さえて笑った。釣られて美咲も頬を緩めた。

「でもあの時は本気で付き合ってくれたのでしよう。息子から訊いてますからそんな野暮な事は言いませんよう。それよりまたいらしてくれて、そう云うあなたのサッパリしたところは気に入っても大雑把な所を直してくれれば良かったんですけど……。無理だったんですねでもよく来てくれました」

 と女将が言うと美咲はさっそく沢井を冷やかしに寿の席へ向かった。

 それを黙って女将は見送った。

「余りにもサッパリして玉にきずな所も有るけど山路さんにはお似合いだと思うわ、それはそうと加藤さんの事では感謝していますのよ」

「どうでしようかあの人だけハッピーエンドじゃないから心苦しいです」

「そうかしら、で、本郷さんって云う人はもう帰られたのですか? 」

「いやそれがさっき電話したのですけれど、まだ病室で意識が戻るのを待ってるんです」

「あらまあ! どうして」

「このまま擦れ違えば今までの苦労が水の泡ですから。映画じゃないですけど粋な別れを望んでいるんです」

「どんな人が良く解りませんが性急に会われなかった理由がそこに隠れていたのですか、でもまあ良かった」

「ハァ? それじゃあ残された加藤さんは堪りませんよね」

「そうでもないんですよ水島さんが娘の未奈子みなこが加藤さんの行く末を気にしてると仰ってましたから」

「気にしてる。だけ、ですか? 」

「先の事は誰も解りませんから」

 そう言うと何処か怪しげな瞳を残して女将はビールを持ったまま席を立って向かい側へ行った。

 その山路の向かい側、新婦席の末席の若い三人は友人なのか振り袖の女性二人とスーツの男性一人は、羽織袴と留め袖の列席者からはひときわ目立った。三人から零れる話し声からやはり新婦の銀行員仲間だった。上座を見ると美咲が居た。

 美咲は新郎新婦の間の席に割り込んでいた。

「沢井さんおめでとう」

 沢井が花嫁を紹介しょうとするとさっきの着付けの部屋でお嫁さんとあたしは結構喋っていたのよと、美咲は遮った。すると余計な事を聞き出したのかと沢井は身構えた。何を悟ったのかそれは早合点だと美咲は笑って否定した。

 その早合点に花嫁が笑い出すと一体美咲は俺の新婦に何を喋ったのか更に不安に駆られると疑心暗鬼になり益々意固地なっていく。

「ところで加藤さんの事は心配じゃないの」

 と美咲は沢井の矛先をかわした。新婦の手前渡りに船と乗って来た。

「さっきから気になってたんだ加藤は大丈夫なのか? 」

「命に別状はないようだけどこのまま昏睡状態が続くとブドウ糖の点滴を打たないと言っていた」

「そんなに意識が戻らないのか」

「長いこと閉ざしていた神経回路を修復するのに時間が掛かるんじゃないの」

「医者がそう言ってたのか」

「医者でなくあたしが勝手にそう言ってるの」

「何だ、それは」

 隣で花嫁が口を押さえて笑っている。

「さっきの着付けの部屋で初めて会ったのに美咲さんってユーモアセンスがある。でも私はそろばん勘定はしっかりしてますからこれから若女将としてあなたをこき使いますからね」

「それが新婚の花嫁の言う事か」

「冗談です、ただ美咲さんの口癖を真似しただけですからと……」

 花嫁と美咲が揃って笑い出した。

 その笑い声は末席の山路には伝わらないが雰囲気は十分に伝わった。

 余りにも独り病室で加藤を看る本郷とは対照的なこの光景に山路は心を痛めてビールを煽った。

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