第24話 本郷は念願の再会を果たす
「樺太の鵜城は北緯四十九度で鵜城郡内に伊皿と云う村がありました。その村に入植した曽祖父の子にあたる祖父は実はアイヌの血を受け継いでいるんですよ」
するとこの西郷隆盛に似てる沢井のでかい図体はそこから来ているのかと山路は思った。
「藩は使役に現地のアイヌ人を雇っているのですが同じ様にロシアも彼等を雇っているのですが。そのアイヌがロシアとの雇用条件が違うと言って藩の会所に調停を求めてくるんですよ、そのつど藩の者がロシア側と折衝するんです。その折に曾祖父も付いて行く内にそこのコタンの娘と懇意になったらしいです」
樺太談議をするうちに沢井の運転する車が旅館に着いた。旅館は市内に面してはいるが近くに店は少なく他の乗り物などの時間待ちや予定のない滞在者はロビーなのでくつろいでいた。
沢井に誘導された三人は昼過ぎには直接和室の部屋に案内された。座卓には茶菓子とお茶が置かれていた。さっそく美咲がみんなにお茶を煎れた。
「中々いい部屋ね啓ちゃんが前に泊まった部屋もこんな感じ」
「山路さんは年末と今年は一月に二度ほどにお泊まりいただきましたがどちらも空いて居ましたがお一人なのでここより狭い部屋でした」
旅館の状況の分からない山路に代わって沢井が説明した。
「どっちも雲海の大野城が見られなかったが加藤さんと知り合えたよ。そのあとに本郷さんとも知り合えたから別な意味では凄い出会いのある度だったよ」
「山路さんが内の雲海の城に関心がなければ何も起こらなかったからこの山路さんの切っ掛けは大切ですね」
今更ながら沢井の物腰の柔らかさは旅館の跡取りとしては申し分なかった。早くに美咲と見切りをつけたのは正解だった。
「そうよ沢井さんと知り合った切っ掛けも同じで、丁度此の人と揉めていた所にデパートの家具売り場に居たこの沢井さんの接客態度が気に入ったからよ」
「そこへ跳ね返って来ますか。じゃあ内の加藤の都合を見て来ますからそれでこっちの部屋へ案内していいですね」
そうねと美咲と山路は本郷を見た。
本郷はお願いしますと
「加藤さんが来たらあたし達は部屋を出ようか」
美咲は山路に訊いた。
「いえ暫く居て下さい。上手く行けばその時は席を外してもらうように言いますから」
「そうね和気あいあいとしていれば邪魔になるから、そのままあたし達は観光に出ようか暫くロビーで待機して内線電話で確認してからお城でも行ってみるか」
「そうだなあ入籍してから用もなく二人で出歩いた事がなかったから丁度いいや」
と本郷の気持ちを考えると何となく落ち着かなかった。本郷は作り笑いで二人の気を紛らわそうとした。
内の加藤をそちらへ行ってもらっていいかと沢井から内線で確認の電話が掛かって来た。美咲が取り次いで来てもらう事にした。暫くして加藤がやって来た。
まず表で山路が応対して中へ招き入れた。座卓に本郷と対面するように座ってもらった。美咲と山路が座卓の端に座り、山路が先ずは美咲を加藤に紹介した。いい奥さんですねと受け答える加藤の表情が収まるのを待って次に向かい座る本郷を紹介した。
「加藤さん、こちらの方が本郷美希さんで旧姓では加藤美希さんになります」
加藤の表情が強張った。それを和らげるように本郷美希ですと笑みを浮かべて名乗った。
「旧姓の加藤と言うと……」
加藤は山路に何かを確認するように見返してきた。
「そうです加藤さんが思った通り石巻で一緒に暮らしていた人です」
「一緒に暮らしていた・・・ひと・・・と言うと・・・」
加藤の表情が更に強張った。
「そうです奥さんだった人です」
「だった人? ・・・」
加藤の目が宙を彷徨っている。ゴメンナサイとその彷徨っている目を必死に留めるように本郷が言った。
「ゴメンナサイ」
ともう一度繰り返した。
今度は加藤の目が死んだように停まった。
「加藤さんは憶えていないけれどそうなんです」
本郷はそのさまよう瞳に必死に訴えかけた。
「それじゃなぜ来たんですか」
加藤はほとんどいやまったく無表情でただ尋ねていた。
「風が雲を呼ぶようにあなたに逢いに来ました」
「言ってる意味が解らない」
加藤は魂が抜けたように相変わらず無表情だ。
「そうね、なにも知らないのね、でも思い出して欲しいの貴方と三陸の海で一緒に暮らした日々を……」
「やっぱり水島さんが言うようにぼくは漁師だったんですね」
加藤の表情に少し変化が認められた。
「そうあなたは毎日海が荒れない限り三陸の海に出ていたあの日までは」
「あの日……」
「そうもうすぐ六年前になるけど三月十一日を」
「思い出せない……」
「でもあなたはその時に長谷寺の十一面観音菩薩を持っていたでしよう」
「あの観音様は助けられた貨物船の船長から『お前、これを大事そうに握りしめていたんだ』と渡されました」
「それは憶えいるのね」
「ああ、あの仏像を握りしめていれば寒さが忘れられた」
「それはわたしがあなたには渡したものなの」
「いつ」
「初航海の時に『何が遭ってもこれであたしを見付けてくれる』そう言って操舵室にあなたは飾ってくれました。船が津波に巻き込まれたときにあなたはそれだけを持っていたのね」
加藤の目はもう焦点が外れてとんでもない所を見ている。
「もの凄い高さの壁の様な波が横から来た、咄嗟に舳先をその津波に向けて乗り切ろうと舵を一杯廻したその時に居た。もう一人若い男が乗っていた。彼がそれを手渡してくれた。その時に固い壁のような波がぶち当たって来た。その後は何も思い出せない」
もう加藤の焦点はどこにも合ってなかった。それは山路が初めて観た異質の顔色だった。だが本郷は夢中になっていた。
「一緒に居た人を思い出したのね。もっと思い出して、その人がいつから居たのか」
「……ダメだ解らない頭が混乱してきた」
「ねえ思い出して」
本郷は身を乗り出すと頭を抱え込む手をたぐり寄せて「しっかりして」と握りしめたが。加藤は振り切って必死で頭を抱え込んだ。もう一度たぐり寄せようとする本郷の手を美咲が止めて顔を左右に振った。加藤は座卓に両肘を付いたまま項垂れて頭を抱え込んだ。美咲と山路は座卓に頬を擦るようにして横から加藤を覗き込んだ。加藤の正面には困惑する本郷がいた。
やがて
「沢井さんを呼んでいやその前に救急車を呼ばないと」
「俺が救急車を呼ぶから美咲、お前内線で沢井さんを呼んでくれ」
美咲は内線のボタンを押し山路は携帯で救急車を呼んだ。どうしましたかとまず沢井が飛んで来た。沢井は意識のない加藤を背負ってロビーまで運んだところでこれから神社へ行かねばならないと言い出した。
「こんな時に何考えてるの」
と美咲が諫める。
「式が始まるんだ」
「誰の」
「俺の」
そこで美咲は沢井を見て吹き出しそうになった。
「そう言えば今日があんたの結婚式だったんだね」
だから披露宴に呼ばれたんじゃないかと山路が言う頃に救急車が来ていた。後はよろしくと沢井は出て行った。加藤に付きっきりで介抱する本郷はそのまま救急隊員に付いてゆくと二人もそのまま乗り込んだ。
加藤は集中治療室から病棟へ運ばれたが以前昏睡状態だった。
二人は椅子に座ったままでベットで寝込む加藤を覗き込んだ。
「脈拍が高い以外は異常がないそうなのよ」
眠っていても脳細胞は活溌に動いているそうだと本郷が美咲に言った。
「いつまで? 」
「お医者さんも見当が付かないらしいの」
「それじゃどうするの。でも本郷さんはどうするの越前大野発の最終は夜の七時過ぎだけど」
そこへ山路が食料を仕入れてきた。山路と美咲が少し手を付けながら様子を見ていた。
「あの跡取り息子はそろそろ神社で挙げた式が終わる頃だわ、終われば旅館に戻るけどその頃にはあたし達も戻らないとお嫁さんとあたしも一緒に着物の着付けをしてもらうことになってるから……」
二人は旅館に戻る時間になった。
「披露宴に呼ばれたお二人に甘えて便乗させてもらった結果がこんな事になってしまって……」
何処までもあなた方にご迷惑を掛けてしまってと、本郷が詫びる中で山路と美咲は病室を出た。
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