第23話 本郷美希は再会へ
自宅を出た二人は着物とダブルの黒いスーツの入ったキャリアバックを引っ張って駅に着いた。すでに本郷は烏丸口の改札口に来て居た。福井での乗り換え時間を入れても三時間も掛からなかった。一方で披露宴に出ない本郷は身の回り品以外に荷物がなかった。濃いベージュのコート姿は正に日帰りの出で立ちだった。
三人は改札を抜けて目の前の北陸線のホームから福井の特急電車に乗った。三人は椅子を回転させて対座シートにして座った。
美咲は出席の返事は送ったが宿泊の予約は沢井に直接言った。それから昨日は確認の電話を入れたさいに加藤に会うことを初めて沢井に伝えた。沢井が実家へ戻った時に母親の女将から加藤の身の上を聞いていた。しかし本名と生まれ先を知ったのは加藤本人と同じ時期だった。だから水島以外は越前では誰も知らなかった。それほど真っ先に接触した水島のお陰で山路は本郷と加藤との言われなき非難を避けての再会に寄与した。美咲も沢井にはただ加藤さんに会いたい人が居るとしか伝えていなかった。
それを聴かされた本郷は改めて美咲と云う人も口は悪いが山路同様気遣いには
「だからあたしが紹介するまでは親戚か知人なのかは加藤さんはまだ知らないからそのつもりで」
「その前に俺がお前を紹介しなけゃあ始まらないじゃないか」
「あっそうだったけ、あたしも加藤さんとは初対面なんだ。紹介は旅館でするけど、まあ余り大きな旅館じゃないわよ、なんせ福井から一山越えた山奥だから、最近は雲海の城が結構人気があってお客が増えてきてる程度なのよ」
「そう云う美咲は行った事あるのか」
「半年前に元カレから女将さんの話を聴かされた時にね、その時は彼の車で日帰りだったから」
「じゃあ向こうの両親に一応は紹介されたのか」
「いやに一応に力を入れるのね、まあ友達としてねそれでこれは大変だと思ったからサッサと帰ったのよ」
「その時は調理場には案内してもらわなかったのか」
「行ってもまだその時は啓ちゃんも知らなかったんでしょう」
「まあそうだなあ」
「そんな訳だから沢井にも本郷さんの事は
「なんて言ったのですか」
「調理場の加藤さんに会わせたい人が居るって、やっと自分が何者かが解った矢先にどう云う人なんだと沢井が聴くから明日解るからって言ったの」
「その話を加藤は知ってるんですか」
「でも会わせたい相手は男か女かも知らせてないから五年、いやもうすぐ六年になるのね、六年ぶりで初めて訪ねて来る人だから何処で自分を知ったか加藤さんも気を揉んでいると思うの」
「随分と思わせ振りなのであの人の期待を裏切れないように努めないと想うとちょっと気が引けるけど」
「大丈夫よ多分写真を見た乗客が石巻へ帰って伝えたんでしようと思ってるから」
「美咲のその説明は大筋では合ってるんだが肝心なところが……」
「合わないことはないわよ、それより本郷さん、心配ないわよ、男は少しは気を持たした方が後々有利に運ぶこともあるのよ、そうでしょう啓ちゃん」
「何でそこでこっちに振るんだまるで俺が当事者のようで気分が悪い」
「そこまで言ってないわよだからそんなにひがむ事はないと思うけどこれはあくまでも本郷さんへのアドバイスだからなにも角を立てることはないのよ」
そう美咲に言われても承服しがたいがここは本郷を立てないといけない。美咲の思惑が見え見えなのでこれ以上の追求は控えた。相手のプライドは絶対貶してはいけない持ち上げないと話は進まない。
「加藤さんが相手を思いやる人かどうかは内の山路からとくと聞き分けているはずだから」
ついこないだ入籍したばかりなのにこんなに態度が変わるんかねぇ。
「言っておきますが加藤さんから何かを聴き出そうとしてもあの人は無垢ですから本郷さんのホウから積極的に話しかけてね」
「もうひとつ付け加えるとこれは水島さんから『あんたは何も知らないから人から利用されやすいから簡単に信じないように』としつこいほど言い聞かされてますからね」
「でも啓ちゃんは簡単に信用されたのね」
山路は一言多いと
「それは解ってます、あの人に信頼出来る人かを見極められる事がまず第一で次に想い出だけの人になれるのかどうかが今のわたしに必要なのですから」
「普通は顔色で相手を窺うが加藤さんにはそんな特技はありませんから同じ様に彼も相手にして対して作れないから無意味です。だから真剣に目だけも見ればいいんじゃないの」
記憶を無くしていても性格は生まれながらそなわっているものですから。それで加藤さんの真意を掴みなさいと美咲は言いたげだった。
ーー夕方の披露宴で出す料理で彼の仕事は昼から仕込みで忙しくなる。でも美咲から旅館の跡取り息子、沢井さんへは加藤さんとあなたについての関係は十分に相談して本郷さんの意向に沿って段取りを勧めました。だから前日に沢井から加藤さんには、ご自分を良く知る人が会いに来る、と連絡しました。本郷さんの事は水島さんしか知りませんから機密は十分に再会する直前まで保たれていますのでご安心下さい。成功か失敗かの成り行きはすべて本郷さん次第ですから。と美咲は彼女に自覚を促した。それまでの配慮に本郷は美咲を頼もしく思えてきた。
福井駅で乗り換えた越美北線はやはりローカル線らしく地元の人が次々と乗り降りしていく。渓谷の入り口ある一乗谷の朝倉氏遺跡で福井から乗り継いだ観光客はすべて降りてしまった。
特急から乗り継いできたのは三人だけで後は地元の人ばかりだった。春とはいえ渓谷沿いには冬の名残の残雪が消えずに残っていた。だが地元の人々はこの残雪を払い除けるほどの笑顔があった。誰も慌てる様子もなく譲り合って和気あいあいとひとときを過ごして語り合って降りて行く。それが三人の乏しい笑顔を際立てさせた。乗る人も誰一人としていやな顔をしないでゆずり合って列車は越前大野を目指して走った。
「人情のある町ですよ、二回三回とこの列車を乗るたびにそれは感じました。おそらく加藤さんも
ただ一人加藤を知る山路の口振りに本郷は昔のあの人への思いを馳せて頷いた。
「あの人はこういう人たちの中で日々自分を見詰めていればおおらかになるでしょうね、記憶喪失者でなくても居着きたくなるところね、そう思うと気の荒い漁師町の三国港からここを勧めた水島さんには先見性があったのですね」
本郷はしみじみとして言った。
「無垢なあの人には落ち着いて自分を見詰める場所かも知れません」
山路が付け加えた。
「だからあたしがこんな山里の女将に収まり切れないのも本郷さんには解ってもらえるでしょう」
確かに一理あったが率先して褒められない。それだけまだ美咲の性格をつかみ切れてなかった。
「営業に
「そんな有望な男を振って後悔はないのかい」
「籍を入れてからそれは無いわよ」
美咲は調子に乗ってと云う顔をした。
「わたしは仕事でなく人柄で決めた。そうでしょう本郷さんも佐藤さんのそんな人柄に惹かれたのでしょう」
そうはっはり言って仕舞えば身も蓋もない。もっとあの人にしかないものに惹かれたと本郷は言いたい。
「そうね、何なのかしら、もう何度もあってる山路さんなら佐藤の気心にはお気づきと思いますが、それにも増して加藤との再会にあれほど心を砕けてくれる人は居ないでしょうね」
佐藤と加藤 この二人は似てると云う事実を美咲は、瞳を輝かせて語る本郷の眼差しから見せ付けられた。しかし佐藤の気心は解っても過去を一切なくした加藤の気心がそのままなのか、それはまだ未知の存在に等しい。それをこれからの出会いでどれだけ復活出来るのかそれは本郷の思いに掛かっていた。
駅に着くと沢井自ら迎えに来ていた。沢井は大学時代はラグビーでもやっていそうな頑丈そうな体格だ。だがその物腰の柔らかさは一見してアンバランスさを感じさせた。美咲はこの物腰の柔らかさの方に気を惹かれたのだろう。その美咲と沢井が向かい合うとその間にはもう因縁めいてた物は感じらなかった。それ以上に今は爽やかな友情にすり替えたのは、いつまでも引き摺らせない美咲の人徳だろう。
美咲はすでに友人に徹した沢井を本郷と山路に紹介した。沢井には返信された招待状に山路美咲と書かれた苗字で嫌でも認識させられた。それ以上に沢井が関心を持ったのが本郷だった。
調理場の加藤とは昨日まではそんなに意識したことはなかった。ただ母の女将が特に目を掛けていたのは解っていた。実家に帰って半年とはいえやる事は多く特定の人物にまで仕事以外では肩入れしている間がないほど追われていた。
沢井と加藤は半年間だがほぼ毎日料理の内容で顔を会わしていた。それ以外は特に込み入った話はしないし、昨日まではする理由もなかった。だがこの日は違ったまず沢井は加藤の今日の様子を三人に話した。加藤は三国港に一年近く居てから大野にやって来て、もう五年になるが彼の限られた交友範囲では無理もなかった。それが身元が分かると同時に彼を訪ねてくる人が急に現れたのである。それに元カノが一枚噛んでいると解れば沢井にはもう訳が分からない。沢井はその対象者である本郷をじっくり観察した。
「とりあえず旅館に向かいましょう。すでにお部屋もご用意できてますので」
と沢井は車に案内した。
「チェックインは三時じゃなかったの」
「特別招待の人にそんな野暮な事はしませんよ。本郷さんは日帰りだそうですけど同じ部屋でくつろいで下さい」
笑って沢井は三人を乗せて旅館へ向かった
「
車が動き出すと車体に書かれた屋号を見て本郷が尋ねた。
「ここはもと徳川親藩の土井さまが納めていた所でしてね特に幕末の藩主土井利忠公は藩政改革に熱心な方で樺太開拓にも乗り出され、その時に当家のご先祖様が入植した苦労を後世に残すようにその土地の名前を付けられたそうです」
「昔の名残を屋号にされたのですか」
「昔と云っても百五十年ほど前ですから四代前に遡ればいいんですよ。だから親父はそのひ孫なんですよ。だからおじいちゃんが子供の頃に聞いた話だとロシアのウラジオストックもまだ清国領だった頃ですよ」
傍で聴く山路には城を案内してくれた加藤さんが同じ話をしたのを思い出した。此の人も半年で加藤さんの様にスッカリ地元に根付いていた。
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