第22話 再会への誘い2
翌朝、山路は会社へ出勤した。この日は週一で行われる朝礼に出た。松本係長の事故報告とその安全対策があり、その後に伝達事項が終わると解散した。例によってみんなバラバラに事務所二階の部屋を出て行った。山路は自販機の缶コーヒーを長椅子に座って飲んでいると、早い時間の朝礼に出る西本さんが珍しく同じ様に隣に座ってきた。
「最終の朝礼に出るなんて珍しいですね、寝坊したんですか」
「そうやなあ、三月とはいえ朝は冷えるから中々寝床から出られんから春眠暁を覚えずやなあ」と西本さんは笑っていた。
「定年を前にしての余裕ですね」
この業界には定年はないのだがひとつの区切りには違いなかった。事実この後にも五年以上も働く運転手はざらに居た。それだけ西本さんは老後の人生計画を立てていたと云う事だろう。
「その余裕の西本さんには何ですがこの前の忠告通り元カノを入籍しました」
「よりが戻った相手とか、それは良かったおめでとう」と半分揶揄された。
「それで今度の土日は久し振りに連休します」
「それは何や今更でもないが新婚旅行か」
「まあそんな所でしょうか」と言う内に缶コーヒーを飲み干してしまった。
そろそろ行くかと事務所の会議室を出て二人は車へ向かったが西本さんは相変わらず付いて来る。
「方向が違いますけど車どうしたんですか」
「車検で今日は代車で松井の車や」
そう云やゃあ松井を見掛けなかった。
「あいつ今日は休みか、じゃあうちの隣の車ですね。出庫前の点検はしっかり見た方がいいですよ」
「営業車やのにそんなにだらしないんか」
「いや毎日ボンネットは開けてますが見方が甘いんです。この前なんか水が減ってるやろうと注意したのですがそんなに走らんから今日はこれで十分と言うから、青森まで高速を走る遠距離客を掴んだらどうすると訊くと『山路さん冗談きついですよ』と来ますからね」
「確かに青森はないやろが名古屋までならあるか、でもそれも十年に一回あるかないかやなあ。岡山で五万やさかい青森やったら片道十五万は軽く越えるな。帰りは旅行気分で一泊できるか、もっとも会社は夜通し走って早う帰れ言うやろなあ。一日車を遊ばす訳にはいかんやろう。今日のわしみたいに代車としてあてがう事も出来るしなあ。それはそうといつからまた一緒暮らしてんにゃ」
「昨日からです」
「ホウ、扶養家族が出来たか。まあ山路はんは最近は水揚げも調子ええし当分は心配ないわなあ」
だが本郷美希が再会すればもう仕事は大幅に減るだろう。そんな心配をよそにして西本さんは羨ましそうに出庫した。
山路は予約を受けた佐藤の会社に向かった。着いた会社の前で歩道側に幅寄せする頃を見計らったように彼は出て来た。足取りはいつもより引き摺り気味だった。歩幅に合わすようにそっと自動ドアのノブを引いた。彼は乗るなりドアの開け方って調節出来るのですか。いやいつもより静かに開いたもんですからと愛想良く着席した。
「微調整は出来ませんがそこそこの動きは出き来ます」
「なるほどそれでいつもよりゆっくり開きましたから、一寸パニックになりましたよ。さすがは山路さんだとこれほどの気遣いのいいタクシードライバーはいませんよ」
車はゆっくり走り出すが加速はしない。それもそのはず佐藤はまだ行き先を指定していなかった。
「所で今日はどちらへ? 」
これには佐藤も迂闊だと直ぐに行き先を指定した。これで山路は安心してハンドルを握れた。
「大原ですこの前は大原野でしたが一字違いで大違い、北と南西ですから十数キロですから相当離れてますからここまで離れていると直ぐに方向が違うからお客さんは気付くでしょうね」
「まあそんな間違いはないですが。三条河原町から乗られて丹波橋ですから五条河原町を直進しょうとして『運転手さんそこ右、右でっせ』と言われて丹波橋ですね訊けば『すまん、すまん間違ごうた丹波口』と言われて交差点の途中からウィンカー出して右折ラインに入るのですから往生しました」
「交差点に進入してからの進路変更は大変ですね。JRの丹波口か近鉄丹波橋と付け加えて言えば語呂合わせで間違いはなかったでしょうね」
「そうですね、でも料金は倍ちがいますからショックでしたね。あとは外国の方とかは何度も聞き直して確認しますよ。それよりは本郷さんはどうしてます」
「アッ、話それましたね。昨日本郷から電話がありまして折り返し連絡するのは失礼と思い直接会って話したいと思ったのですから、いやご心配なくあの山路さんからの電話を聞かされなくても社用がありましたから連絡がなくても配車を予約しますから」
こう言ってもらえればたいした社用でなくてもホッとした。
「本郷に関しては他人のあなたの方が言いたいことが言えるのか私より彼女の心情を理解しているのではないですか、いやあ、ご安心下さい。それで嫉妬するような了見の狭い男ではないのは山路さんが一番ご存知だと思います。それより本郷は区切りをつけたいんですがただ『はいさいなら』ではなく。いつまでも笑って会える別れ方を望む余りに本郷は山路さんの好意に縋り付いてしまって言っただけですから」
「解りました。だから一人で来られるのですね、で一緒に行かれますか? 土曜の朝にはここを出る予定ですが……」
「どう云うサプライズを予定しています」
「まず美咲から旅館の跡取り息子に連絡して事情を説明して長い時間二人だけで良ければ越前大野城でも散策してもらうつもりです、まあ
「披露宴に呼ばれた二人にすれば本郷は邪魔な存在なのに、そこまで考えてもらってるんでしたら京都駅から一緒に同行させます」
タクシーは大原の寂光院へ行く手前の駐車場に駐めた。
「内は大きい会社からこう言う観光地の小さい店とも取り引きがあるんですよ」
そう言いながら佐藤は車を降りた。程なく戻るといつもの様に寂光院へ足を運んだ。
細長い石段が続く参道には我が物顔で多くの樹木がはみ出していた。それらを避けるように石段を登り詰めた先にこぢんまりとした茅葺きの小さな門をくぐると目の前に本尊があった。
中はすべてが数百歩以内に収まる空間だが狭い参道から抜けた開放感からひと息付けた。
「平家物語は読まれましたか? 私は京都へ来てから勉強しましたよ。ここにまつられている建礼門院平徳子ほど数奇な運命を辿った人はいませんね」
ーー徳子は高倉天皇の妻、皇后になられて天上人から落ちる所までまで落ちるんですから。平家物語の最後は平家追討の院宣を出して一門を滅ぼした後白河法皇とここで最後は語り合うのです。だから本郷も私との生活を夢見ていても遠い将来にそう云うひとときの想い出を呼び止める人に加藤さんをしておきたいんですよ。老いて長い空白の後にこころを振り返ったときに本当の愛が解るように、その指標を残して置きたいんですね。
なるほど水島さんが仁和子さんに会いにゆくのもそれを確かめに行くんだなあ。
佐藤は寂光院から確認しますと会社の昼の休憩時間をみはからって本郷に電話した。
「朝から行くのなら日帰りするから宿泊はいらないそうです」
「解りました。そうですね後は電話か手紙にすればいいでしょう」
「山路さんたちは旅館の息子さんの披露宴に招かれているんですね」
「美咲がどうしても出ると言い張るもんですからまあ加藤さんの身の上もありますからよしみを通じて置くのもやぶさかではありませんから」
「恐れ入ります、全くこれは本郷ただ一人の一身上の出来事に過ぎないのにそこまで関わってもらって恐縮です」
「まあ乗り合わせた船ですから落ち着くまで見極めたいんですよ」
二人は本尊に安置された建礼門院の像と対面した。
「どうですかここは建礼門院の波乱に満ちた生涯を語るような静寂さが漂って
ーー華々しい門出をした人だけに……。
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