第21話 再会への誘い

 実家から山路のアパートに美咲が引っ越して来た。事前に連絡はあったが何事も即断即決の美咲らしいやり方に振り回された。

 荷物は半日も掛からずに運び終えた。何せ身の回りの物しか持って行ってないから当然だった。荷物の移動が終わった所でさっそく石油ストーブに火を点け、暖かさが戻るとひと息つけた。彼女はキッチンテーブルの上に置いたポットからティカップに湯を注いでティパックを掘り込んだ。

 山路が加藤さんから届いた土産みやげのアップルパイを出した。

「あの人東尋坊へ行ったのか、でもそんな所で記憶喪失者の身元を明かすなんて、未奈子みなこさんって云う人も思い切った所へ加藤さんを連れて行ったものね」

 土産物に印刷された東尋坊の風景をしみじみと眺めながら言った。

「刺激が有っていいんじゃない」

「そうかしらあたしなら別の方法を採るけど、まあこれで加藤さんって云う人も道が拓けるわねえ、それにしても何で東尋坊の土産がアップルパイなのかしら」

 そこで美咲が今度の土曜日に沢井の披露宴に出席すると変な事を言い出した。これには開いた口が塞がらない。

「今なんて言った」

「だから一緒に来てね、もう旅館予約したから」

「旅館ってまさかあの加藤さんの居る旅館か」

「物わかりがいいのね。そうその伊皿いざら旅館で夕方の六時から披露宴が始まるの」

「それで泊まりか。その前に式を挙げておくって言わなかった」

「もう面倒くさくなっちゃったから。ああ、その代わりにこれにサインしといて」

 と美咲が置いた紙切れに思わず「なに、これ?」と

「見れゃあ解るでしょう、あなたか待ち望んでいた婚姻届け。何か不満でもあるの」

「別に待ち望んでは……」

「いらないの、いるのどっちなの」

 引っ込めそうな美咲の手付きに慌てて「いりますいります」と繰り返してしまった。

 署名と押した判をじっくり美咲は見直した。

「これであの跡取り息子と対等に披露宴に乗り込める」

「その紙ってそれだけの意味しか持たないのならやっぱり式挙げた方がいいんじゃない」

 美咲はウッっとひと息つくと少し顎を引いて上目遣いに見た。

「もう、冗談でしよう」

 山路も同じ仕草をした。

「だから俺も冗談で返したのだけど」

 二人はにらめっこするとプッと吹き出した。

「やっぱり啓ちゃん昔と変わってないのね」

「当たり前だ俺はカメレオンじゃないんだ」

「それ前も聞かされた。じゃあ一緒に出席するわよね」

「当然だけれど、じゃあ丁度良い本郷美希さんにも行ってもらおう」

「ホゥあの人、会う気になったの」

 よく聞くと水島とのメールのやり取りで今が絶好のタイミングらしい。それと土産にと一緒に入っていた加藤からの身元判明に奔走してくれたお礼の手紙も見せた。

「良かったわね、これで前向きになってきたからいいタイミングだけど。でも勝手に決めないで本人に聞かないとダメじゃないの」

「だからこれから電話する」

「じゃあさっそく本郷さんに連絡して」

 アップルパイを頬張る美咲を前にして彼は席を立ってトイレで電話する。これには美咲も止めたが、美咲に途中からああだこうだと言われれば話しが進まないと察してトイレに籠もった。

 出て来ると「長いトイレね」と早速成果を聴いてきた。 

 彼女が越前大野へゆくからと宿泊の予約を頼んだ。土曜の夜に着いて翌朝には帰るらしい。

「分かった一人一泊ね」

「いえ佐藤と二人分で宿泊予約して欲しいと言っていた」

「何言ってんのそれはダメ。加藤さんの事も考えてよ一人じゃないとそれじゃ見せびらかしに来る様なものよ、それなら来ない方がましでしょう」

 なるほどよく考えれば迂闊だったと納得した。

「じゃあもう一ペン電話する」

「何処へ行くのよ、もう加藤さんの心境は説明したのだったら後はイエスかノウだけならトイレで無くてここで電話すれば良いでしょう」

 なるほど一理あると納得した。さっそく美咲の意向を伝えると、会うのはあたし一人で佐藤は部屋で待機しているとのことだった。それでも美咲は予約者を見れば一目瞭然だから良い印象は与えないと言った。

「もしもし、やはりそれは良くないんじゃあないのかなあ」

「それも美咲さんの意見ですか」

 う〜ン此のまま美咲に押されっぱなしなのは体裁が悪い。

「いえ、私も冷静に考えるとそこに落ち着いたもんですから」

「でも佐藤も情けを知る人です。加藤の立場をよく理解しています。相手に寄り添って話せる人です」

「私もそう思いますが、加藤さんは全くの無垢な人ですからどう受け取られるか判りません。言い換えれば一部にはまだ未発達な子供の様な所を残しています。ひとつひとつ様子を見ながら接する為にここまで再会を日延べしてきましたものがこれで台無しになるか解らないからこそ小出して対応するのが得策でしょう」

「でもそう何度も会ってられないんですこちらも勧めたい物もありますから」

「佐藤さんとの事ですね」

 加藤との五年ぶりの再会を佐藤は温かく見守っている。だが本郷には返ってそれが冷めたように見えるらしいその焦りに矛盾を感じた。

 彼女はどうしても二人で行くと言って話しがまとまらない。それに美咲が業を煮やして電話を取り上げて代わると「何を言ってるんですこれ以上自分の都合で勧めるのならあなたはもう会わないと水島さんから伝えてもらいます」

「ま、待って下さい、会いたいんです。私は加藤に会いたいんです、会って納得してもらいたいんですが、もう少し早ければ良かったと……」

「それならとにかく一人で来て下さいいいですか」

 本郷が無言になると美咲はもしもしと返事を催促すると、足りかねて山路が電話を取り上げるようにして代わった。

「もしもし、本郷さん、聴いているんですね」

「……ハイ……」と気弱な返事が返って来た。

「美咲の言い方は乱暴ですが初めての再会なんですから一人で会って様子をみましよう。わたしも水島さんも加藤さんとは幾度と会って上で今が良いと思い、悪い方には行かないと判断したのですから……」

「分かりました美咲さんにはよろしくお伝え下さい」

 山路が電話を切るとすかさず美咲が一人で来るかと確認を入れた。

「行くそうだ」

「曖昧ね。聴いたのはあなたよ、彼女はひとりで会いに行くのね」

「一人は間違いない」

「彼女はあたし達と一緒に行くの? それとも一人で別で行くの? どっちにしても相手は何も解らない人だから会う段取りを付けられる人の立ち会いが必要なんじゃないの」

「この話が突然なんで一寸パニックになってるだけで気持ちがハッキリすればまた連絡が来ると思う、それほど彼女にとっては伴侶を亡くした思いを五年も持ち続けた気持ちを察してやらないと少しは待ってやる心の余裕が此の先の二人には大切なんだ。現に水島さんは近々三十年前に君は知らないが別れた仁和子さんと云う人に会いに行くらしい三十年後でも笑って会える時が作れるかの瀬戸際なんだ」

「どうしても会いたいのんならそんなん考える余裕なんてないでしょう。そんな理由なんてあたしには分からない。第一に三十年後なんて生きてるか分からないのにそれを今どき思案するなんて馬鹿馬鹿しい」

「終わりかけた恋にちゃんと終止符を打ちたい。それでなければ前へ進めない切ない本郷さんの女ごころがお前に解りはしないだろうなあ」

「そんな中途半端な恋心なんて解る訳ないでしよう。恋は好きか嫌いかその間に何があると云うの」

 恋に駆け引きの知らない美咲のサッパリした性格が、今までの恋に疲れた山路には心を洗われたのも事実だ。それを忘れて今更ながら駆け引きを考えるのはとうの昔の恋に疲れた哀れな男の言い分だった。それを忘れさすように寄り添う美咲に心を託すのがどんなに気楽な人生かを知ってしまった。しかし新旧二人の狭間で苦悩する本郷美希と云う女性にはそれを見せてはならない。苦しい恋ほど値打ちがある。その苦悩に寄り添う佐藤を褒めてやりたい。その佐藤からタクシーの配車の予約が入った。もちろん山路は引き受けた。美咲もその予約の意味を感じ取って明日また返事を聞かせてもらうわと矛を収めた。

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