第20話 東尋坊2

 先ほど差し伸べた加藤の手ひらを掴むと一気に引き寄せてくれた。その心遣いの優しさとは打って変わって今度は、彼は黙って歩いたがそれが未奈子みなこには照れくささと受け取ると可愛い人と思えてくる。二人はそのまま軒を連ねる東尋坊の商店街を歩いた。

 土産物屋が多いが食事処や感じの良い喫茶ルームもあって見て歩くだけでも愉しそうだ。人並みもさほど多くなくほどほどなので歩きやすかった。

 加藤は山路さんへ何かお礼の品物を贈りたいと一緒に選んで欲しくて歩いた。

 そうは言っても先日に敦賀で初めて会っただけで、いやにアップルパイを頬張る印象しか浮かばなかった。

「あたしより加藤さんは三回も会ってるんでしょう」

「だから迷っちゃってそこへ行くと未奈子さんは浅いからその第一印象を参考にしたいんですけどダメですが」

「そうね参考にとどめてくれるならお付き合いしましょう」

 二人は昼食を兼ねて小綺麗な軽食も出来る喫茶風の店に入った。結局は山路への土産はなぜか東尋坊が印刷された箱に収まったアップルパイだった。未奈子が云うにはお礼はあなたの心のこもった手紙が一番良いからそれを添えれば良いとアドバイスした。

「水島さんから聞きましたがお母さんの具合が悪くて入院されてるんですね」

「福井の病院なんですけど」

 と言い掛けて未奈子は話題を変えた。加藤は気になったが、突っ込まずに東尋坊の話題に振り替えた。

 東尋坊はお寺のお坊さんの名前であの崖から落とされたそうなと加藤は持って来たパンフレットを棒読みした。加藤が東尋坊の話題を講釈する内に未奈子が遮った。

「実はお父さんもお坊さんになるつもりで京都の仏教系の大学へ行ってたのよ。そこで得度を積めば晴れてお坊さんになって福井にある寺の住職としてそのお寺を継ぐつもりでいたらしいの」 

「でも水島さんは船乗りでしたよね」

「お父さんは潮目を見付けるのが上手くて会社から漁労長を任されていたから、今は組合の仕事してますけれど船乗りとしては腕が良かった」

「そんな人が何でお寺の住職の修業を……」

 と加藤は気になった。

「父の初恋の人がお寺の住職の一人娘だったからなの」

 ーー父がなぜ加藤さんに肩入れするのかそれは今のあなたと重なる所があったからだと思う。だから本当はもっと早く解っていましたが、報せがこんなに遅れたのは父が学生時代に知り合った初恋の仁和子になこにあった。

 仁和子と云う名前は京都の仁和寺から付けたそうです。それほど親は養子を迎えて寺を継いで欲しかった。水島はそれに応えたようとして水産高校を出ると京都へ修行に行った。

*  *  *

 この大学を卒業すれば郷里へ帰って仁和子の寺を継ぐつもりだった。だが仁和子の父が懇意にしていた僧侶から弟子を是非住職にと横やりが入った。仁和子は此の事情を水島に説明が出来なくて避けていた。と云うか、いつか自分の主張が受け容れられると軽く踏んでいた。一人娘の願い話がこれほどアッサリと変えられるはずもなかった。彼ももうすぐ晴れてお坊さんになれる身だから、今更親に文句を言われる筋合いもないと高を括っていた。だから私が押し通せば必ず両親は折れると疑わなかった。

 卒業する一年前の春休みに水島は僧侶の報告を兼ねて帰った。来年卒業すればいよいよ彼は僧侶になれるとこの時も確信していた。

 きちっと修行を積んで僧侶になれば親も文句は言えないと思いますので必ず説得します。この仁和子の言葉を頼りに一層励んだ。

 そして修行を積んで卒業を目の前にした身に、突然に届いたのは仁和子が結婚すると云う知らせだった。これに水島はどん底の哀しみに打ちひしがれた。しかし直ぐ後を追うように駆け落ちの手紙が届いた。そのめまぐるしさから彼女の心中を察すれば居てもおられず直ぐ福井へ向かった。

 早朝に京都を出る時は粉雪だったが、北陸トンネルを抜けると一面の雪景色の中を列車は走りつづけて朝遅くに着いた。

 福井駅の改札を抜けて広場に出ると、横断歩道の向こうから降りしきる雪の中を駆け寄る仁和子の姿が見えた。微笑む彼女の顔が次第に失せて行くと、入れ替わるように涙がその頬を濡らし始めた。すると水島の表情は一変した。

「どうした」

 不安に駆られて掛けた言葉に未奈子は我に返ったように凜とした。

「お父さんとの約束が違うのよ、もう縁談を決めているのよ」

 両親は彼女の意見を無視して話を進めているらしかった。

 二人はそのまま福井城の堀端を歩いた。

「あなたが僧侶になっても今のお寺は継がせない事がハッキリしたのよ」

「なんで急に」

 ーー去年から話は進んでいたけれどあたしは反対してました。それで断ち切れかと思ってました。でもすっかり話しが決まっていた。それが最初の手紙で、一度はめげかけたけれど思い直してすべてを捨てる決心をしました。

 それが二度目の手紙なのか。

 福井駅はまずいからそれで四つ目の鯖江駅で落ち合う段取りを決めた。今日の夜行列車で一緒に関西へ向かう。下宿先は足が着くから姫路まで行く予定を立てた。姫路に同じ大学生の友がいてそこへ向かう。

 姫路行きの最終列車に乗る予定で一旦は彼女と別れて雪の福井市内を当てもなく歩いた。修行中はなんともなかった寒さがこの日はなぜか身に堪えた。それでも何とかやり過ごして鯖江駅で約束の列車を待った。

 昭和の面影を残すレトロなジーゼル機関車が客車を引っ張って雪のホームに入って来た。だが彼女は現れない。彼は改札口を尚もじっと目を凝らして待ったが来なかった。結局は次の大阪止まりの最終列車を待ったが彼女は姿を見せなかった。発車のベルが鳴り響くホームで肩に降りしきる雪も払わず閉まるドアを手で押さえて飛び乗った。汽笛は払いきれない無常の闇を掻き消すように雪のホームを遠ざかって行った。水島は過ぎゆく窓辺に映る自分の顔に哀しみのどん底を見つけた。

*  *  *

「それで水島さんはどうしたのです」

「その後で結婚したと云う知らせが届いたのです」

「ええどうして急に」

「急じゃ無かったんです。もうすでに結婚していたので卒業を前にしてこれ以上は伸ばせないとひと目だけでも会いたかったんですって。でも父と一度会うと気持ちがまた揺れたんですって。それで駆け落ちを決めたその時は本気だったそうです。それで一旦は身の回りの物をまとめに家に帰るとまた心が揺れて仕舞ったそうです。この時ほど弱い自分をさらけ出してしまった。それで悔やんでも悔やみきれないほどの自責の念に駆られて自分を見失ってしまったそうです」

「でも来なかった」

「いえ来たそうです。改札口からひと目、父を見て踏切へ向かったそうです。そこであの人の乗る最終列車の前に飛び込もうとしたのを近くの人が咄嗟に。ほんとに間一髪のタッチの差で最終列車はもがく苦しむ仁和子さんの前をすれすれに通り過ぎたそうです」

「水島さんにはそう云う辛い過去があったのですか」

「今の加藤さんにはそんな思いを絶対にさせたくないからです。それだけは解って下さい。だから今まで報せるタイミングを見計らってました」

仁和子になこさんですか、そう云えば言葉の響きが未奈子みなこさんと似てますね」

 加藤は水島の思いに心を寄せるうちに閃くように言った。

「何故そう名付けたか解りません」

 未奈子は余りにも突然すぎてぶっきらぼうに言って仕舞った。

「忘れないように口ずさむには良いかもしれませんね」

「そうかしら」

 気に入らないのか彼女は一寸顰めた。それを見て思い出すように加藤は呼び掛けた。

「未奈子さん、さっき聞いた話、山路さんから聞いたすべてじゃないんですか? まだ解ってない事実もあるかも知れませんね」

「そうね・・・。でも加藤さん、あなたは五年も彷徨っていた事実に終止符を打つ報せにも動じないのはやはり三陸の海が鍛えたのですね、あなたにとってふるさとの海があなたを育んだようにやはりあなたに山里の越前大野は似合わないのね」

「でも一人じゃあ何処にも行けないからどうしょうもないんです」 その言い分と彼の笑い顔が余りにもサッパリとして爽やかに見えた。

 父は彼に気を使い過ぎている予感がした。彼に必要なのは多くの真実なので、それをどう捉えるかはもう考えなくても良いような気がする。

 今のあの人が一番に不足しているのは生きる試練だった。そしてそれを唯一、与えられるのは本郷さん、あなただけなのです。だから今こそ会う時だと伝えたい。この時に未奈子はそう確信した。

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