第11話 越前三国港と水島未奈子

 水島は彼にまた別な仕事をさせようとしていた。それは彼が二十年以上掛けて身に付けたものを、被災地が復興したように数年で復活させようとしていた。

 女将にしてみれば一人前に仕事をこなしてくれるのに今更手放すのを躊躇っていた。

 水島は彼が自分の存在を知った上で自分からこの仕事に就いているのなら申し分なかったが彼の場合はそうじゃなかった。だから一刻も早く自分の存在を取り戻す為には環境を変えさせてやりたい。その水島の思いを女将も察しているが、多くの刺激で記憶が戻るなら絶えず宿泊客が変わるここに居ても同じではないか。むしろ多くの見知らぬ人の中に置いた方が心の刺激には良いのではと女将は思うが水島はもう変え時期だと思っていた。

 水島は彼については出来るだけ多くの事を経験させて知識を増やす。それが記憶の回復になり、そして彼の前向きな思考につながっていった。

 彼は十ヶ月ほど三国で漁師をしていたが、車の運転を覚えてからは事務所で働かせていた。それも問題なくなった頃に大野の旅館を紹介した。

 彼は大野へ来て四年間で徐々に活動範囲を広げていった。それでも旅館の仕事の合間に一人で出掛けられる範囲は狭く、今年でやっと大野市から数十キロほどだろうか。それでも永平寺、東尋坊等の全国的に知られていた場所はもう行けるようになっていた。だか有名な観光地を除けば五年経っても広範囲を一人で出歩くのには無理があった。

 彼の行動はさながら方向音痴のように絶えず駅員や地元の人に頼りながら少しずつ行動半径を広げていた。しかし一度行った所はハッキリと憶えている。そこが普通の方向音痴とは一線を引けた。


 そんなある日に旅館で事務処理をしていた女将さんが岡田を呼び出した。

「三国の水島さんから変わった魚が入ったさかいあんたに料理に使えるかどうか目利きして欲しいと言ってきゃあはったから行ったげてほしい」

 と三国の水島さんに会ってくるように言った。

「水島さんが、ですかどんな魚なんでしょうね」

「それは内もよう分からんさかい。まあ丁度ええかも知れないわね、ここにずっと居て一年ぐらい行ってないでしょう。まああなたの場合は出歩くにも初めての場所へは一人じゃ何も判らないからね。でも三国なら心配ないわね」

 三国までJRと地元電車を乗り継いで二時間ほどで着いた。彼は水島とともに市場で水揚げされた魚介類を見て回った。

 そこで水島から見せられた魚は値打ちがなくて流通しにくい物だった。水島はこれに付加価値を付けてもっと売れれば漁師も助かるそうだ。

「最近は漁に出てもこう云う魚が増えてきてね。最近のきみの料理は評判が良くて、で使えるか見てくれんかと女将さんに言って来てもらったんだ」

 しかし傍に居る仲買人からは「水島さんは資源保護の方法を考えるべきで魚の調理方法を考えるのはお門違いだ」と揶揄されてしまった。

 これには笑っていたが水島さんの立場の辛さも分かった。

「何匹か持って帰ってやってみましょう」

 そうしてもらえば有難いと市場を離れた。

 事務所から来た迎えの車には三年前に嫁がれた娘さんの未奈子みなこさんが運転していた。

 可憐さが漂う彼女からお久しぶりと挨拶を受けて事務所に戻った。そこの流し台を借りてその魚と暫く格闘した。未奈子さんはお茶を入れ替えに時々やって来た。

「ここで昼間は働いてるんですか」

「ええ」

「じゃあ実家に帰ってるんですね」

「ええ」

 彼女はそれ以上は言わないで直ぐ給湯室を出た。岡田も何か訳あり気味で聞きそびれた。


 ここでこの魚の癖のある味を知ってから、調味料で替えてみようと結論した。そこで応接間に居る水島さんに残りを送ってもらうように頼んだ。

「ここには相性の合う食材が少ないからそれが良い」

 と水島さんも賛同してくれた。

 事務机で作業する未奈子さんが目に入った。旦那さんは朝早く出航すると昼間は暇だから少し手伝っているのか、それとも実家に帰ってたまに出て来てるのか。

「ところで大野で会った山路さんとは最近はネットを使ってメールで情報を交換してるんですよ」

 大野で会った時に水島はアドレス入りの名刺を渡して、山路にはどんな些細な事でもメールを送って下さいと付け加えていた。

「なんせ山路さんはタクシードライバーですから頻繁には来られませんので手紙だと返事が来るのに一日掛かるから重宝してますよ」

 何で私でなく、とそれには岡田も驚いていた。

「アドレスが判ればメールの交換ぐらいでしたら今の私でも出来ますから……」

 と催促したが先方からそれは待って欲しいと返事された。

「じゃあ山路さんからはどんなメールが来るんですか? 」

 ーー大した事はないとお茶を濁された。それよりは旅館の夕食に間に合うように大野は無理ですけどJRとの乗換駅の福井駅まで娘に送らせましょうと言われた。そこからなら一時間で帰れるから楽だった。

「それは助かります。未奈子さんは今は実家に帰られてるんですか。それはお目出度ですか」

 これには水島は苦笑を浮かべた。

「いやもうずっと家に居るんですよ」

「確か私がここへ来るときには婚約なさっていたのですね」

「そうだなあ結婚した相手はあんたのようにがっしりした体格で漁師向きだったよ。しかしなあ三年目に急性虫垂炎でねえ手遅れだった。惜しい事をした」

 その落胆振りから咄嗟に言葉が出て仕舞った。

「まさか亡くなられたのですか」

「ああ、半年前に操業に出る前に横っ腹が痛み出してなあ。ただ前にもあってねぇあいつ食べるのが速すぎて消化不良で時々横っ腹が痛み出すが時間が経てばケロッとして腹減ったと云う奴だからなあ沖で操業すればまたケロッとして戻って来るだろうと誰もが不審に思わなかったが……」

「それは知らなかった。どうしてたんです」

「あんたに知らせても……。それよりも自分の存在をハッキリさすことが先決だろう」

 そう云って水島は送り出した。彼は未奈子の運転するライトバンで事務所を後にした。 

 彼女は五年前に初めて会った時にはまだ三回生になったばかりの大学生だった。彼女はその頃から付き合っていた人がいた。だから彼の第一印象は遠い東北の出来事が身近に感じられて未奈子には気の毒に思えた。そして卒業して一年後に一緒になって三年目に不幸が訪れた。

 彼が大野へ行くまではまだ大学生で挨拶程度の中にも励ましの言葉を添えていた。その時にはホッとしたように笑ってくれたのが復興する北の地とダブるようになった。だからこの人は頑張ればきっと家族に巡り会えると声援していた。でも大野へ行ってからはほとんど会ってないし新婚生活になればそれどころじゃなかった。 

「一年ぶりですね」

 そう言って頬を緩めた彼女はさっきより快活に見えて、今は学生時代と変わらなかった。

「さっきは事情を知らずに余計な事を言ってしまいました」

「お父さんから聞いたのですね、黙ってた私が悪いんですから気にしていません。それより車はずっと運転されてるんですね。道路標識や案内板に不慣れなあなたには運転中は気が休まれないでしょう。それでもあなたは必死でハンドルを握り続けている。それほどまでして記憶のリハビリに取り組まれるあなたには頭が下がります」

「大野市内限定ですよ標識見ても方向が頭の中で瞬間には中々判読出来ないから行き過ぎてしまって堂々巡りですよ」

「それでもあなたは新しい一歩が踏み出せないままなのに探し求める。その原動力は何なのかと思うと私でなくても何とかしてあげたくなるでしょうね」

「確かにあなた以外にもそう思ってくれる人が居ますね。その人はそして今も無償で活動しています」

 この言葉に。

「そうなんですか ? 今時そんな奇特な人が居るんですか」

 と彼女は驚いた。

「だから世の中まだ捨てたもんじゃ有りませんよ」

 世の中から捨てられたも同然の彼が言うと、なるほどと彼女は微笑んで応えた。

 その微笑みに釣られて岡田はその奇特な人から何か情報は入ってないか訊いて見た。

「いいえさっきも言ったとおりその奇特な人の存在も今あなたから知りましたから」

 でも父とはそんなに希薄きはくな関係ではないと未奈子は強く否定した。水島さんは娘さんには山路さんのことは伝えてないのか。


 山路のメールでは、岡田をよく知る女性はかなり思慮深い人だと伝えていた。そして彼女は不意の事態が起こってもどの様に接すれば最善の策なのか思案されているとも伝えていた。そこには手放しで再会できない何かが秘められていると察して今までどおりに岡田さんとは接して欲しい。それも長くはありませんから近いうちにすべてが判ります。私を信じてあと数日待って欲しいと締められていた。そこには停まったままの五年の月日が流れ出す何かを感じさすものがあったからこそ水島は岡田には何も告げずに未奈子に送らせた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る