第12話 僕とねえさんと走馬灯

  


 学園の廊下の景色は、まるで走馬灯のように流れていた。


 或いは、僕とねえさんが走馬灯になってしまったのか。


 ねえさんの長い髪が揺れている。すらりと長く健康的なおみ足、スカートの裾とニーソックスとの狭間に見える太ももの肌が、幻のように眩しく瞬く。このスピード、類まれなる脚力を物語るかのように、激しくはためくベリーショートなプリーツスカート。その布の内側に、はあるのだ。明石先輩が常々語っている──そう、あなたは正しい──ねえさんのけしからん悩殺武器、思春期男子を惑わすであろうソレ、熱く躍動する大きなヒップ。もうスレスレ限界に、スカートからはみ出さんばかりに、おパンツが見えんばかりに、ソレは躍動していた。

 

 そして、それを追う僕。際どいメイド服に身を包んだ僕。下半身は生まれてこの方初体験といえる、恐ろしくスースーとした感覚を伴い。


 まるでサラブレッドの尾っぽのように、ふっさふっさと揺れる艶やかな黒髪、それに魅かれ、後ろ髪を引いてやりたいと、ひたすらに僕は走った。


 というか走ってて、大丈夫なのか?


 と思うが早いか、ねえさんはキュッと廊下を曲がり、階段に飛び込む。

「ねえさん! 待って!」

 と叫びつつ、声上げて大丈夫か? とも思うが、そんな心配なんてしてられないのだ。つねに穏やかで、僕に対しいてはいつもドヤ顔気味で、面倒見や包容力といった、いわゆるを発揮してくるねえさんなのに、こんな突発的ともいえる反応は初めてなのだ。


 どうなってしまうのか、ねえさんがどう感じて、何を思い駆け出したのか、訳が分からない。が、今は追いかけるしかない。


 階段を駆け上がるねえさん。その勢いは衰えず、ほとばしる瞬発力、躍動する太もも。図書委員としてのその姿からは、想像もできないその肉体美。そして、そんな勢いで駆け上がるものだから、お約束というのだろうか、ねえさんのおパンツが、僕の目に眩しく光った。

 

 ねえさんっ! 見えちゃってる──。


 俗に言う階段パンチラ。だが、そんなラッキースケベに喜んでいる場合ではない。が、ちょっと待て、今の僕の衣装もすこぶる超ミニの破廉恥メイド服であり──、ならば、まさか!? 僕自身もチラリと──?


「おっ、大淀、お前なにやって、ちょ、まじかっ!! オイっ!」

 

 後ろから聞こえた木曾の失笑と、明石先輩のテンション爆上げなアホみたいな笑い声に、僕は戦慄した。


 げげっ! ついてくんなーっ!


 というかっ! 明石先輩ならまだしも? 糞腐れ縁のこいつに、スカートの中をのぞかれるなんてっ! しかもノーパンってぇ! そんなの絶対に無しだろうーっ!


 だがもう振り返って木曾に注意する勇気もなく、というよりは奴の顔を見る勇気もなく、さりげなく手でスカートを抑えながら駆け上がるしかなかったのだった。


 お願いだからねえさん、止まってくれーっ! いやまじで。


「ねえさん! ちょっと、話を聞いてっ!」


 がしかし、ねえさんは止まることなく一つ上の階に出て、そして更には、3年生の教室が並ぶ廊下を、なんの躊躇もなく突っ切らんばかりに駆け出すのだった。


 いや待って、こんな教室横の廊下なんて、ヤバすぎるでしょ、ねえさん! と心でツッコむも、足を止めるわけにはいかない。


 が──、


「!?」


 ねえさんがさらりと通り過ぎた2年S組の辺りで、突然教室の扉が開いたのだった!

「うわぁ(小声)」


 おそらくねえさんのクラスメイト? の女子であろう先輩方が三人ほど、廊下に出て、そして僕の方を見るなり──、

 

 ひぃーっ!


「あれっ! 大淀さん? どしたのその格好! なにぃ? ちょー可愛いっ!」

 

 前方に壁のように立ちふさがる三名の先輩女子、僕は止まるしかなかった。すかさず取り囲まれてしまう。

 

「なになに、それぇ? えー、どしたの大淀さん?! うそー、メイド服ぅ?」

「うわぁ可愛いーっ! ちょー似合ってるよぉ、大淀さんてぇ、そういうのすっごく似合うぅ!」

「ていうか、なんでそんな恰好してるの? なにしてるの?」

「いいなぁー、私も着てみたいなぁー」


 矢継ぎ早に質問攻めとなってしまう。「ひえぇー」という言葉しか浮かんでこない。体の芯から縮こまる思いだが、若干がいて──。

 マズいー、これは色々とヤバすぎる。一歩間違えれば確実に死ぬ。ここは、どうする僕っ!


 もういっそのこと、この場でスカートをがばっとたくし上げて変質者にでもなってみようか? そして「そうです、私が変なおじさんです」と名乗って、この場を切り抜けようか?

 

 なんて、この期に及んでそんな馬鹿な妄想をしてしまうのは、股下の奴のだろうか?


 とその時、後ろからすっと僕の横に明石先輩と木曾の奴が現れた。


「にひひ、これは美術部のモデル用の衣装なのです! そして今大淀にはモデルになってもらってるのでしたぁー!」

 と明石先輩。

「へーぇ」

 と先輩女子お三方。

「ちょーっと急いでるから、ごめんねぇー」

 そう言って明石先輩は僕の手を取って、その場をすり抜けたのだった。


「ひやぁー、危なかったわねぇ、弟クン」

「俺たちが追いかけてこなければ、詰んでたな、大淀」

「うるさい、元はといえば、お前が口をすべらせたからだろっ!」


 そうして廊下の突き当りまで三人で行き、階段の踊り場に出た。


「大淀、どっちに行ったんだろう?」

「きっと、ねえさんなら、上の階にあがったはず」

「なぜ分かる?」

「弟だからさ!」


 というよりは、なんだか股下の彼が、上へ上へと導くのだった。


 そして上の階、つまり最上階まで僕は駆け上がった。


 いざ屋上に出てみると、やはりねえさんはいた。だだっ広い屋上の、その端っこでひとり、ポツンと突っ立っていたのだった。


 まさかのまさか「私もうここから飛び降りるっ!」とか?! なんてのは冗談としても──、


 木曾や明石先輩は屋上には上がってこなかった。僕のノーパンの意気込みに怖気づいたのか。いや、ドア口でこっそりと、僕とねえさんのやり取りを見守るつもりなのだろうか。


 僕はゆっくりと近づいた。きっと気が付いているだろうけど、ねえさんは背を向けたまま黙っていた。


「ねえさん、あの──」


 すると、ねえさんは静かに振り返る。そっと涙を拭って。


「!?」


「あなたは、たっくんなのよね──。どうして、どうしてそんな恰好しているの」

「いや、あの、これは──、その──」

 ねえさんの黒髪そっくりのウイッグに少し触れる。そう、これは単なる女装ではない、これはねえさんなのだ。


 僕はねえさんのことが大好きだから、本当はねえさんに近づきたくて、一つになりたくて──、なんてのは言えなくて、


「あ、明石先輩が、ねえさんをモデルに作品を作りたいと──」

「たっくんは、明石と、関係なのね」

 と言って、ねえさんは再び背を向けた。

 そういう?

「あっ! いや、そうじゃ、なくて──」

「いいの! 分かってるわ。たっくんは私の大切な弟で、そして明石は、私の大切な心友で──、だから私、とてもびっくりして。でもそれと同時に、急に、なんだかすごく寂しくなってしまって。──でも分かってるの。ちゃんと分かってるわ」


 いやいやいや、全然分かってない。というか、絶対に誤解しているその動揺っぷり!


「私もちゃんと覚悟は出来ていたの。出来ていたのよ! たっくんはもう高校生だし、もうそういう年頃だし、彼女が出来てもおかしくないって! いつかはこうなるって、私もそれを、心からお祝いして、応援してあげなきゃって、姉として、たっくんを、たっくんのために、私──」


 まさか、あれ、ねえさん?


「いや、あの、ねえさん、明石先輩は──」


「明石よっ! 明石なのよ、私の心友の明石なのよ! まさか、明石とたっくんが、そんな関係にまでなっていただなんてっ! 私のたった一人の心友の、明石が──」

「いや、ねえさん! だから、僕と明石先輩は別にそんな関係じゃ──」

「しかも! そんな明石がたっくんと、でっ!」

 と半ば叫んで、ねえさんはこちらに向き直る。涙をぽろぽろと流しているっ!?

 いやいやいやっ! 違うからぁーっ!


「ごめんなさい、たっくん、私、たっくんも、そして明石も、二人同時に私の知らないどこか、行ってしまう、いいえ、言ってしまったような気がして、こわくなったのっ! 二人して倒錯の世界なんてっ!」


 倒錯て! 違うからっ!


「いやいやいや、違うよねえさんっ! 僕のこの格好は、単に明石先輩の作品作りのためだけど──、いや、でも違うんだ! 僕はねえさんが好きだから! 大好きだから! 少しでもねえさんに近づきたくて! 単なる憧れじゃなくて、ほんとにねえさんと同じになりたくて、一つになりたくて、本気で愛しているからっ! 僕はねえさんの姿になってるんだよっ!!」


 ──って、思わず叫んでしまった!


 やばっ、


 がっ!

 

「たっくんの馬鹿っ! 私もたっくんのことが大好きなんだからぁっ! 誰よりも愛してるんだからぁっ!!」


 と、ねえさんは叫び返したのだった!


 え?


「!?」


 ほんの刹那のことだが、ハッとした眼差しでお互い、僕とねえさんは見つめ合っていた。


 真面目に? ねえさん、それって、文字通り、そうとっていいの!?


 と僕がその幸福なる、或いは希望的思考をめぐらそうとするが早いかその刹那、突然のつむじ風が、屋上に舞い狂ったのだった。


「!」


 そして、僕のひらひら破廉恥メイド服のスカートが、ふんわりと大胆に捲れ上がったのだった!


 全開に──。


「うわぁっ」


 僕は慌ててスカートを抑え、股間を、股下のを抑え込んだ。


「!?」


 この時、僕の脳裏に、様々な思考が、まさしく走馬灯のように流れていった。


「た、たっくん──」


 そうねえさんはつぶやいた、ような気がした。パンドラの箱を開けてしまったかのように目を見開いて、あんぐりと開けた口を両手で隠して、それでも隠し切れないほど、あんぐりと呆然としていた。


 もしかして、見られた? 一番見られてはいけない、一番彼を。


 僕はどうにもこうにも興奮していて、股下の彼がどのような状態だったか気が付いていなかったが、というか興奮していたから、つまり興奮していて──、

 

 両手で押さえられた彼は、それでもなおテンション爆上げといった感じで、強く脈打つのだった。やめろーっ!


 絶句のねえさん。穴があったら入りたい僕。もうどうしようもなかった。


 その直後、なにやらばつの悪そうな空気と共に、明石先輩と木曾の奴が後ろからそろりとやってきて、僕の代わりに色々とねえさんに言い訳だの弁明だのを話し出したのだった。


 僕は、気まずさと恥ずかしさと、ほんの少しの妙な高揚感により、ねえさんをチラチラと横目で見ることしかできなかった。


 口八丁手八丁、あれこれとその場を取り繕う語りは上手い明石先輩と、無駄に論理的で饒舌な木曾により、ねえさんの表情は少しづつほころび、笑顔が戻っていく。


 しかし、素直にこの二人に助けられたと思っていいものかどうか。


 そしてこの後、僕は島風と会って普段通りに話せるだろうか? というか、何故? 何故かそんな心配が頭によぎって、それ自体が不思議だった。


 ともあれ、事なきを得たといっていいのやらどうかは分からないが、女装の件や、明石先輩の作品の件、その逢瀬と淫行の誤解やら、その他諸々、ねえさんは納得してくれたと思う。


 結果として、晴れてねえさんの承諾を得て、僕はねえさんの姿に女装し、明石先輩の絵のモデルになり、またあちらこちらと、外にも連れまわされることになったのである。


 因みに、岩波国語辞典(第七版)及び(第四版)によると、走馬灯とは、まわりどうろう、としか書いていなかった。つまりは、それだけなのだ。

 




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る