第11話 僕と秘密とセクシャリティ

 「性」とは、


 岩波国語辞典(第七版)によれば、①天から与えられた本質。人の生まれつき。「ショウ」とよみ、仏教で、万物の本体。②物事の性質・傾向。素質。③身体的特質による男女・雌雄の別。その違いから起こる本能の働き。セックス。④陰陽道で、人の生年月日などを、木火土金水の五行にふりあてて、その相性・相克の理によって禍福・吉凶などをうらなうもの。とある。


 なるほど、流石に奥の深い言葉だ。まさか四番目に陰陽道まで出てくるとは思いもよらなかった。仏教でもそうだが、そんなスピリチュアルな意味があるとは。

 

 あと、性は「さが」とも読み、①(自分ではどうしようもない)うまれつき。性質。②運命。常のならわし。などの意味も持つ。


 どちらにせよ、生まれつきなのだ。 


 しかしながら、一般的には三番目にある説明「男女の別」というのが僕等にとって最も身近な意味だと思う。しかし、これは三番目なのだ。一番目は「天から与えられた本質」なのである。人の「性」は、天から与えられたもの。いやこれこそ、スピリチュアルと言っていい。要するに、人間の本質とは霊的かつ神秘的なものなのだ。


 島風を見ていると、疑いもなく、天から与えられた存在なるものを感じる。


 大げさかもしれないけれど、天使のように美しいからとか、僕の邪な目線があるのかもしれないけれど。好きのベクトル? いやまて、僕の想いは、物心ついた時からただ一点、ずっとねえさんに向けられているのだ。ずっと一途に。


 性に似た言葉は他にもある。最近よく使われるジェンダーだ。これは、同じく岩波国語辞典(第七版)によると、社会的意味合いから見た男女の性区別、という。

 

 島風に関して言えば、学園では男子でも、本当の彼はそれだけではない。じゃあ何だ? と言われれば、上手く答えられないけれど、先の定義を用いるならば、ジェンダーレスと言うのだろうか。では、僕はと言うと、どうなんだろう? 僕の好きのベクトルはねえさんに向けられている。ならば男か? がしかし、そのねえさんに扮して女装したあの感覚はなんだ? これはどこに向いているというのか。 


 性の在り方、つまりセクシュアリティは、12種類にも分類されると明石先輩は言っていた。性自認と性的指向だ。

 

 好きになった人が好き──。

 

 島風はそれをもジェンダーレスと言えるのだろうか。

 

 またもや僕の思考は、心の深淵に差し掛かった。なのでここらで深く考えるのをやめにした。もう淵から覗くだけでは答えは出てこない。そこに行かなければ見えないのかもしれない。

 

 因みに、ジェンダーという言葉は、岩波国語辞典(第四版)には載っていなかった。


 そんなわけで僕は、島風と一緒に昼休みの昼食をとっていた。

 

 代り映えしなかった腐れ縁のテーブルに、爽やかな風が吹き込んだというか、華を? 添えたといっても差し支えないだろうか、木曾と僕の間に島風を添えて、3人で食堂のテーブルを囲んでいた。


「島風はいつも弁当だな」

「はい。木曾クンは焼きそばパンとホットドッグ、好きですね」

「コスパだな」

「大淀クンはお弁当の日と学食の日と、あるんですね」

「ああ、うちは母親が一日おきに作ってくれるから。毎日は大変だからー、てね。たまーに、ねえさんが作ってくれる日もあるけど」

「えっ、大淀先輩が作ってくれるですか! 僕、羨ましいです」

「弟に生まれたことを天に感謝だな、大淀」

 確かに、それは大いにそうかもしれないが、

「大きなお世話だ。で、島風はいつも作ってもらってるのか?」

「いえ、僕は自分で作ってます、です」

 と言って島風は、海苔を帯のように巻いた真ん丸で小さなおにぎりを、パクリと口に入れた。

「料理できるの!?」

「うん。──両親は共働きで、だから僕自炊する時もある、です」

「ほう、料理男子ってやつだ」

 料理、男子? と、ついついエプロン姿の島風を連想してしまう。

「もし、よかったら、今度お二人にお弁当、作ってきましょうか? です」

 えっ、

「マジで!?」

「まさか、男子にお弁当を作ってもらえる日がくるとはな。しかし俺はパン派だからいいよ。大淀は作ってもらえよ」

「なっ」

 と声をあげつつ僕は、島風のお弁当を覗き込んでいた。カラッとした唐揚げ、焦げ目のない綺麗な卵焼き、たこさんウインナー、プチトマトにブロッコリーとマカロニのサラダ、色とりどりで、その見た目もさることながら、本当に美味しそうだった。


「そのお弁当──、ほんとに料理上手そうだな」

「全然いいですよ。いつもおかず余っちゃって。余ったおかず、家に帰って晩御飯でまた食べることになっちゃったりも、あるんです」

「それならある意味、人助けだな、大淀」

 木曾め、また上手いこと言って、すぐに何でもけしかける。

「僕も、自分が作ったもの食べてもらえて、そして感想とかも、聞いてみたいんです。大淀クンなら、その、なおさら、嬉しい、です」

 と言って島風は、何と無しにたこさんウインナーをお箸でつついていた。


 と、そうこう話していると、


「おやおやぁ? これはこれは新同好会メンバーではありませんかぁ!」

 とわざとらしい声が背後から聞こえた。明石先輩だ。で、振り返ると、

「あっ、ねえさん!」

「みなさん、こんにちわ。あなたは島風クンね。こんにちわ」

「あっ、大淀先輩っ! こ、こんにちわ、です」

 島風の頬がほんのり赤くなったように見えた。

「あなたのことは前から知っていたのよ。図書館の常連さんでしょ。いつもご利用ありがとうございます」

 というか、別に店舗じゃないんだから。

「い、いえ、こちらこそ、同好会に入会してもらって、ほんとに、ありがとうございます。です」

「いいえ、それはこちらこそなのよ。第一に! たっくんが課外活動に参加できて、本当によかったわ。姉として心配してたの。学園に溶け込めてないのかしら、ってね。うん、でもようやく安心できるわ。たっくんのこと、よろしくね、島風クン」

 と得意げに、若干のドヤ顔こみで、人差し指をピッと振りながら言うねえさん。いやいや、そこまで僕は不肖の弟ですかっ。

「なんだよそれ、ねえさん」

「いい? たっくん、島風クンに迷惑をかけてはだめよ」

「かけてないよ。ていうか、ねえさんも明石先輩もみんな同好会メンバーだろ」

「うん、そうね。でもねぇ、同好会発足そうそうで申し訳ないんだれども、私と木曾クンは常任の図書委員だから、あまり頻繁には会に参加できそうになくて、さっそく幽霊会員宣言なの。ほんとごめんなさいね。その分、たっくんが頑張るからって」

 なんだよそれ。

「私もぉ、一応、美術部部長だかんねぇ。ごめんなさいね。にひひっ」

 と明石先輩も悪びれずニンマリとして言う。

「なんだこのいい加減なメンバーは!」

「ああ、あの、その、メンバーになってくれただけで、僕、とっても嬉しいです。明石先輩には色々お世話になって、本当にありがとうございます。です」

「しかし同好会の新規承認って、本来もっと難しいはずでは? これほどの短期間によく承認されたもんだな」

 と木曾。そういえば確かに。

「はい、明石先輩に申請書の書き方のコツを色々と教わって、ですね。それで、この同好会の基本的な活動としては、定期的にシネマ新聞を発行して、各掲示板に掲載することにしたんです。そこが評価されたから、です」

「シネマ新聞!?」

「はい、映画鑑賞&評論同好会なんです!」

「映画鑑賞&評論!?」

 僕はひとりで声を上げていた。

「あれぇ? 弟クン、今知ったの?」

「そういえば、今まで、ちゃんと聞いてなかった」

 というか、みんなは聞いていたのか。というか、僕だけが肝心なことを忘れていた。

「要は映画のその紹介と論評、或いはコラムを書いて、学園の全生徒に向けて発表する会だな。ネタバレにも注意が必要だな。がんばれよ、大淀」

「って、オイ、お前はなんで他人事なんだよ!」

「難しく考えなくていいのよ、たっくん。慣れないうちは、簡単な読書感想文みたいなものでもいいのよ。きっといい勉強になると思うわ」

「てか、ねえさんもその感想文とやらを書いてよ」

 というか、放課後にも勉強とか勘弁してくれ。

「あの、それで、ですね! もうさっそく、僕、本日の第一回上映会の映画は決めてるです!」

 勢いよく、目をキラキラとさせて島風は言った。ほんのり得意げな表情。やっぱり嬉しいんだな。

「えっ、もう!?」

「あー、でも弟クン、今日の放課後はぁ、美術部でモデルのお手伝いをやってもらうー、約束なんだけどぉー」

 あっ──、

「そういえば──」

 そうだった。

「そっ、そうなんですね。じゃあ、上映会はまたで、ですね。スケジュールもちゃんと決めないと、駄目ですよね」

 と島風。ぱぁーっと咲いた表情が明らかに萎んでしまった。なんだか申し訳なく感じてしまう。

「そうだ! ならぁ、もしよかったら島風クンも掛け持ちで図書委員とかは──」

「って、オイ、ねえさん、島風は読書が好きなんだよ。図書館の仕事に興味があって通っていたわけじゃないだろ」

「あっ! ふふふっ、言ってみただけ、冗談よ。ごめんなさいね」

 ほんとかなぁ? なんだそのてへぺろはっ!

「あー、でも島風、もしよかったら今日中に映画の話は聞かせてもらうよ。図書館で本でも読んで待っててくれれば、美術部の方が終われば、すぐに行くよ」

「本当ですか? お時間大丈夫なんですか? 大淀クン!」

「ああ。そんなに遅くはならないですよね? 明石先輩」

「まあ、そうねぇ、うん──」


 などと、一応の新同好会顔合わせのような機会となった。


「じゃあ、島風クン、図書館のいつもの特等席を空けて待ってますね。それから、たっくんは明石の言うこと、ちゃんと聞くのよ。他の美術部の人達の邪魔にならないようにね」

 と言って、ねえさんと明石先輩は行ってしまったのだった。


「映画を観るなら、それぞれが時間を作って図書館の視聴覚コーナーで観て、後日レビューを持ち寄るでもいいんじゃないのか?」

「オイ木曾、そんなの味気無いだろ。映画は大画面で見るからいいんだよ」

「あの、じゃあ僕、今度の上映会はポップコーンを用意しますね。家でチョコレートポップコーンを作ってきます、です。」

「自家製!? マジで? でも、それ食べてみたいかも!」


 嬉しそうに微笑む島風だった。


 

 考えてもみれば、僕があの時あれほどすんなりと島風を受け入れられたのも、きっと僕自身が女装をし、その素敵さと、それが素敵だと感じる自分を発見していたからかもしれない。逆に言えば、もしそんな自分を見いだすことなく、つまりあの時女装をしていなかったら、僕は島風を真正面に見つめることができたであろうか。


 或いは島風が、天使のように美しいから? 

 

 もしかして、誰だってそうなのだろうか。誰だって性別に関係なく、美しいものには無条件で惹かれるものなのだろうか? 例えば木曾だって──。


 好きになった人が好き。性別も関係無く。それは見方によっては、僕がねえさんを好きなのと似ているのかもしれない。好きになった人が好き。自分の心に正直に。間柄も関係無く。

  

 ともあれ僕と島風の繋がりは、季節の移り変わりのように自然に、交わり始めている。


 そして放課後、僕は美術第二準備室にいた。


 イーゼルに立てかけたキャンバスを前に、真剣な表情の明石先輩に僕は尋ねた。

「明石先輩、ひとついいですか?」

「なに? 弟クン」

「今日のこの衣装、これは一体はなんなんですか? なんでメイド服なんですか」

「いいじゃない。可愛いわよ」

 いや、そうじゃなくて。

「あのー、学園生活には関係ないのでは──」

「いいえ! 大ありなのよ。次の学園祭の出し物は、きっとメイドカフェになるんだから。うちのクラスね」

「またテキトーな事を」

「いいの、いいの。私はなにがなんでも次の学園祭では大淀にメイド服を着せちゃうんだから。その先取りよ、先取り。ほらもっと、お尻突き出して。大淀はお尻が魅力的なのよ。あのコの武器なのよ。もっとアピールして」

 そうかもしれない──、って、ちがーう! ねえさんをそんなグラビアアイドルみたいにっ!

「ほら、椅子に片膝乗せてる方の太ももももっと意識して。もう少しぃ、かるーくスカートたくし上げるようにしてぇ、太もものチラ見せよ。ほらもっと、色っぽく」

「なんて恰好を──」

 よくこんなエロいポーズを思いつく。僕に、というかねえさんにこんなこと──、

「後でちゃーんと写真撮ってあげるからぁ。欲しいでしょぉ? ほらぁ、もっと小悪魔っぽく微笑んでぇ」

「……」

 確かに、こんな格好をねえさんにされたら──、なんてーっ、今そんな邪な考えをめぐらすのは、色々と危険だ!

「明石先輩の前世はきっとオッサンですね。いや絶対に」

「なによそれぇ、酷いわねぇ。感性の問題よ。私は女の子をより可愛くするのが大好きなの。女性の魅力を引き出す、そう、これは美意識よ、美意識!」

 この人の感性、本当に女子なのか?

「美意識というか、スケベ意識ですよ。明石先輩の中にはなんとなく、スケベ男子を感じます」

「言ってくれるわねぇ。そんなこと言ってぇ、弟クンの方こそ、島風クンに、向けちゃってるくせにぃ」

「なっ!?」

 そういう目って──、

「ほらぁ、動揺した。ちょーっと彼がキュートで、天使のように美人だからってぇ、ほんとはドキドキしちゃってるんでしょぉ? ねぇ」

 明石先輩は手を止めて、僕を見据えた。

「そんなこと──」

「あれぇ? 知ってるのよぉ。弟クン、この前、島風クンと一緒に下校してたでしょ?」

「えっ?!」

「美術室から正門はよく見えるのよぉ、にひひーっ」

 ええ!? まさか──、

「いやぁー私も驚いたなぁー。彼って、そうなのねぇー。もう完全に見た目は女子生徒よねぇ」

「あっ、明石先輩、まさか──」

 見られて、しかも完全にバレている!?

「そうよ、もう分かってるのよ。島風クン、女子制服着てたでしょ?」

 あっ──、

「でもそうよね。やっぱりねって思った。うん、あの容姿だもの、不思議じゃないわ。寧ろ当然かなぁ。島風クンの物腰もそうだし、もしかしてって、思ってたのよねぇ。私もこう見えて美術が専門だから、女の美にはうるさいんだからぁ。あんなに美しい彼が、ではないってことぐらい、ピンとくるんだからぁねぇ。にひひっ」

「そ、それは──」

 誤魔化すか? もう無理か? 何故こんな簡単に分かった?

「誤魔化そうとしても無駄よ、弟クン。でも、秘密を知ったからって、別に取って食うってわけじゃないのよ。二人で下校デートっぽいこと、したんでしょ? ねぇ」

 

 もう嘘ついても無意味か。島風、ごめん!!


「──はい。僕の口から言うのも、どうかと思うんですけど、その、島風にとっては、学園では秘密のことなので、なんて説明したらいいのか。本当の彼は、ジェンダーレスというか」

「ほらぁ、やっぱりね!」

 と言って、明石先輩は立ち上がった。

「え?」

「えへへ、ちょこっと鎌かけてみたのよ。弟クンが女子生徒と一緒に下校するなんてありえないから、もしかしたらあれは島風クンなんじゃないかなぁってねぇ。にひひっ」

「なっ! ええええーっ!」

 やられたぁーっ! というかやってしまったぁーっ!


「ひどいっ! てか、明石先輩ずるいですよ! 島風の大事な秘密なのに!」

「だからぁ、取って食うってわけじゃないのよぉ。私達にも親しくなったらいずれは話してくれる事でしょ? いいじゃない! それにぃ、弟クンにだって私は女装させてるんだからぁ。で、自分の秘密も彼に言ったの?」

「いえ、それは、まだ──」

「あれ、言ってないの? なんで?」

「なんでと言われても──」

「ふーん、そっかー、てっきり秘密を共有して、だから二人してを出してるのかなぁってねぇ──」

「あんな空気って、なんですか!?」

「特別な空気感ってやつよ。島風クンが弟クンに向けるあのキラキラした目、そういうやつよ」

 ふと顎に手をやる。心なしか、明石先輩は何かを思案しているように見えた。 


「そんな目してますか? 僕等は、ただの友達っていうか、いや、心友になったっていうか──」

「友達ぃ? そうなの? ふーん、で、下校デートして、島風クンってぇ、どうだったのよ」

「どうって、その、島風の家は駅の反対側で、一緒に歩いて、商店街をぬけて、彼の家の近くの一軒家のカフェでお茶して──」

 手を繋いで歩いて、そして、キスしたことなんか、絶対に言えないな。

「ふーん。で?」

「で? な、なにがですか」

「なにもなかったの?」

「なにもって? なにもないですよっ」

 と言うと、明石先輩は眉をひそめて、探るような眼で僕を見つめてくる。

「ふーん、そう。なんかつまんないなぁ、ほんとかなぁ?」

 ヤバいヤバい。無駄に鋭い明石先輩だけに、ここは抜かってはならない。

 死んでもキスのことは、絶対に!

「で、弟クンは、どう思ったのよ。島風クンのこと」

「ど、どうって、だから、なんというか、女装のことは理解できるし、彼の気持ちも、彼の考え方もスタンスも。というか、そもそも彼のは女装とは言えないですよ。自然なんですよ。きっと、そういう意味で、僕は、心友ですよ」

「ふーん。そうなんだ。親友──」

 心なしか、真顔になる明石先輩。何故だか、いつもらしくないようなものを感じた。


「もしかしたら、ですけど、島風は僕の、知ってるかもしれませんよ」

「それは、そうかもしれないわねぇ。島風クンは、弟クンにだけ本当の自分を告白したんだしねぇ。うん、そうね、彼もやっぱり鋭いのかもねぇ。まあ、そうよねぇ」

 

 やはり僕は、秘密を彼に告白すべきだろう。


「まあ、いいわ。今後は、島風クン、要チェックねぇ」

 要チェック?

 そう言って明石先輩はまたキャンバスの前に座った。


「じゃあ、いいかな弟クン。次はぁ、仁王立ちになって、それでぇ、ショーツを膝までずらそうか?」

 え?

「はあ?」

「ショーツ。おパンツよおパンツ。そのまま膝まで下ろすのよ。スカートを穿いたままでね。ちゃんと見えるようにね。どうもねぇ、セクシーさが足らないのよねぇ」

「って、なに考えてるんですかっ!」

 セクシーじゃなくて、どエロだろっ!

「うるさいわねぇ、ギリギリの破廉恥が可愛いんじゃない。男子のくせにぃ分かってないわねぇ。いいえ、ほんとはわかってるんでしょ?」

 いや、分かるけど、僕がやってどうするっ!

「そんな、明石先輩のように変態じゃないです!」

「嘘よ、大淀のそんな姿、見てみたいと思ってるくせにぃ」

 それは、そうかもしれないっ! じゃなぁーいっ!

「できませんっ」

「もうっ、チンチン見せろって言ってるんじゃないわ。ちょこーっとだけおパンツをずり下ろして、膝のあたりに持ってくるだけでいいのよぉ。簡単なことじゃない」

 簡単て、あなたほんとに女ですか?

「そんなこと言って、どんどんエスカレートさせる気でしょう? もう明石先輩のやり口には引っかかりませんよ」

「まったく頭が固いわねぇ弟クンわ。もうっ、硬いのはチンチンだけにしてよね。じゃあ、もういいわ。わかった」

 と言って明石先輩はこちらにやってきた。というか、さらっと下品なことを言っている。

「じゃあ、弟クン、ちょっと真っすぐに立って。ピンと背筋を伸ばして。で、両手を上げてみて。ばんざーいって」

「はあ? 今度はなんですか?」

「いいから」

 とりあえず言われるままにした。

「それでぇ、両手を頭の後ろで組んでみて」

「はい」

「で、目をつぶる」

「え?」

「いいから」

 よく分からないが、とにかく目をつぶる。

「目、ちゃんと閉じたぁ?」

「はい」

「じゃあ、そのままね。いいわねぇ、弟クン」

「はい。っていうか、これなんですか?」

「いいから、いいから。そのままねぇー。にっひひっ」

 その刹那、僕は嫌な予感がした。


「ハイ! 隙ありぃーっ!」

 

 げっ!!


 明石先輩は突然僕のスカートに手を突っ込み、勢いよくおパンツをズバッと膝まで引き下ろしたのだった!


「ちょっ、なっ! やめっ──」


 僕は慌てて後退りしようとして、パンツが膝に引っかかりしりもちをついた。が、その拍子でスカートがふわりと捲り上がりそうになり──、ぎょっとして、慌てて手で押さえて股を閉じ、膝をくっつけてスカートでしっかりとガードした。

 はっ、恥ずかしぃーっ! なんだこれ。


「はははははっ!」

 と大声で笑う明石先輩。

「なにするんですかぁっ!」

「弟クン、その仕草いいわぁ、サイコーよ! 完璧に乙女しちゃってる。うん、とっても可愛いんだからぁ」

 と言って、両手でいやらしい構えをして僕に迫ってきた。

「ちょっ、なんですか、それ──」

 まさか、襲われるーっ!

 

 僕は床にお尻を付きながらも後退りしたが、明石先輩のタックルは電光石火、霊長類最強女子の如く鋭かった。

「やめっ──」

 両手を掴みあう。もう取っ組み合いとなっていた。

「もう観念なさいっ! 弟クン。もう容赦しないわよ、今日という今日は、チンチン御開帳なんだからぁ」

 御開帳って、あんた誰!

「なんでそうなるんですかぁーっ!」

「うっさいわねぇ、男子のくせにぃ。女の子が見たいって言ったら、堂々と見せるのが男子ってもんでしょおお! 糞度胸もなしかぁ! 大人しくチンチン見せなさい!」

「無理無理無理!」

 両手をがっちりと組んで、寝技に持ち込まれそうになるっ!

「ほらぁ、そんなこと言ってぇ、おっきくしてるんでしょぉ? そうなんでしょぉお? もういいじゃない、私はソレをこの手で鷲掴みにしたのよ、一度握られたんだから、もう見られても同じことでしょおぉ」

「同じじゃないし、あれは事故ですよ!」

 お互いに「ぐぬぬぬぬ」と力み合う。

「自分でスカートをたくし上げるなら、優しくしてあげるからぁ。ほらぁ」

 って、変態紳士かっ!

 だめだめだめ、マズいマズいマズい、なんなんだこの人のエロ場の馬鹿力はっ!?

「私が最初に握ったんだからね、ソレはもう私のモノなのよ」

 

 なんという理屈!?

 

 と思ったその刹那、突然! ガラリと音がして、第二美術準備室のドアが開かれたのだった!


 嘘ーっ!


 現れたのは、ねえさんだった。


「あっ」

 これ、まじでヤバいやつだ。


「え、あれ、なに? え? たっくん!? 何してるのぉ!!」

 ねえさんはドア口に立ち尽くし、目を見開いていた。

 

 と、僕と明石先輩は手を放し、さっと離れた。

「えへへ、えーっと、あれ、なにぃ? どしたの? 大淀ぉ、急に」

 どしたの? じゃないでしょっ! 明石先輩。


「なに? たっくんなのよね? たっくんがそんな恰好して──、それって、私なの? ちょっと待って、いま二人でなにしてたの、え!? なにしてたの? なにして──」


 もう手に取るように分かるその心の動き。まるで理解が追い付かない、そんな感じが伝わってくる。まったくもって動揺を隠せないねえさんがいた。

 

 これはどうやって説明すべきか。どこから話せば、誤解なく、正しく状況を説明できるのか。どうすれば、この変態の所業を訂正できるのか。どうすれば、ねえさんの心の動揺を、取り払うことができるだろうか? 


「あ、あのね、ねえさん、これは──」


 と言いかけたその時、


「すまん大淀。ついお姉さんに、お前がモデルで女装してること言ってしまった」

 と木曾が顔を出す。走ってねえさんを追って来たのだろうか、息を切らしながらそう言った。


 バカヤロー木曾。よりによって一番ヤバい時に。


 想定外は重なるから、事故は起こる。


 僕のおパンツは、もう足元にまでずり下がっていた。


「そんな──」


 ただそう呟いて、ねえさんは走り去ってしまった。


 ああっ! 嘘でしょ?!


「ねえさん!!」


 僕は咄嗟に立ち上がり、構わずそのままねえさんを追いかけた。


「ちょっ、待って、弟クンーっ!」

 と明石先輩の呼ぶ声がする。が、もうそれどころじゃない。ドア口に立つ木曾にも目もくれず、僕は廊下に出てねえさんの後を追い走り出した。


 実のところ、ねえさんは子供の頃から足が速い。そして、廊下を10メートルほど進んで気が付いた。ねえさんを追いかける、メイド服のねえさん。これ、大丈夫か? と。そしてもっと最悪なことにも気が付いた。そう、僕は完璧にノーパンだった。


 メイド服姿でノーパンで廊下を走る女装男子。


 真面目に考えれば、戦場で敵陣向かって地雷原をフルチンで突っ走るぐらい無謀なことだ。 


 だがもう後には引けない。ねえさんをほっとくわけにはいかない。 

 

 とそう思うが早いか「いいんじゃないのぉ? いったれいったれぇ! 欲望のままに突っ走れぇ!」と言わんばかりに、股下の彼が僕を鼓舞するかのように、舞いだすのだった。 




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