第10話 僕と島風クンとさくらんぼタルト

 

 「島風クンはあなたに友達になってほしいのよっ!」


 あれからというもの、明石先輩の言葉が時折、銅鑼のように脳裏に響き渡るのだった。

 

 そもそも、この学園に入学して以来、腐れ縁の木曾を除いて、僕に友達と呼べる相手がいるのだろうか? 腐れ縁に甘んじていただけではないだろうか?


 「友達」とは、岩波国語辞典(第七版)によれば、勤務、学校あるいは志などを共にしていて、同等の相手として交わっている人。友人。とある。なるほど、その通りというしかない説明だが、これは僕が思い描いていたよりは、どこか機械的な定義だと感じた。これだと、クラスメイトもすべからく友達と言えなくもない。それでは「親友」ならどうか、仲がいい友人。うちとけてつき合っている友だち。「心友」心から理解し合っている友人。とある。


 なるほど、しんゆうは、心に友とも書くとは知らなかった。心から理解し合っている友人、心友。いい言葉だと思う。とはいえ腐れ縁ともなれば、否が応でも相手のことが分かってしまうのだが、これは例外とすべきなのか。


 因みに岩波国語辞典(第四版)でも、これらには一語一句まったく変わらない説明が書いてある。ということは、昭和から令和の時代まで、友達や親友の定義が一ミリも変わっていないということで、つまり、もはや普遍的な概念と言えなくもない。


 柄にもなくこんな、ドラマ「中学生日記」のテーマのようなことを考えながら僕は、島風との約束の第二視聴覚室に向かっていた。


「やれやれ、虎穴に入って、鬼が出るか蛇が出るか」

 別れ際に言った木曾の言葉だが、それは杞憂というやつだ。もう島風に対する疑念はない。が、しかし、何が出るか分からないのは寧ろ、僕の方かもしれない。


 僕は第二視聴覚室の扉を開けた。


 そこには──?


 誰もいなかった。

 

 というか、真っ暗だった。


「あれ?」

 とりあえず中に入る。が、視聴覚室の暗幕遮光カーテンで窓が完全に塞がれており、奥の方はまったく見えない薄暗闇となっていた。まさかほんとに、鬼か出るのか? 蛇が出るの? 部屋の真ん中辺りに来ると、椅子がぽつんと置いてあった。と思ったが早いか、突然ドアがぴしゃりと閉まったのだった! 

「なっ!」

 廊下から差し込む光でかろうじて見えていた室内は、もう完全に漆黒の闇となってしまった。

「ええぇー、なに!?」

 と、その次の瞬間、部屋の正面に据えられている大型モニターに電源が入り、画面が映った。  

「えっ、こわっ! なにこれ? おい! 島風? いるのか? てか、いるんだろ?」

 と辺りを見渡すが人影は無く、返事も無い。

「なに? てか、ホラー映画かよ! てか、なんなのこの演出? この椅子に座って、見ろってことか?」

 ますますホラー映画的展開ではあるが、真っ昼間から唐突に心霊現象勃発で僕が怪異に襲われるなんて、まず無いだろうし、島風の仕業なのだろうけれど、とにかくその椅子に座って観ることにした。

 

 あれ?

 

 その映像は、どこかの浜辺の風景だった。そして砂浜で遊ぶ小さな子供。幼稚園に行く前の3、4歳の、女の子かな? が映し出されていた。

「これ、ホームムービー?」

 波打ち際で貝殻を集めている。そして、拾い上げた貝殻を嬉しそうに、きっとお父さんかお母さんが撮っているのであろうカメラに向けた。あどけない笑顔。おかっぱのかわいらしい女の子だった。


 程なくして何の前触れも無くぷっつりと映像は切り替わり、次は幼稚園でのお遊戯会だろうか? 演劇のようなものをやっている。先程の浜辺の幼女は、茶色や緑の紙で作られた装飾を全身に施し、舞台の真ん中に立っていた。きっと樹木なんだろう。金色の折り紙で作った立派な王冠をかぶる王子様とお姫様の後ろで、時折ゆらゆらと揺れながら、やや退屈そうな表情で樹木を演じていた。


 その次のシーンは、小学校の入学式だった。定番の校門前でのご両親との記念撮影。紺色のブレザーにチェックの膝丈のズボン。あずき色の帽子にベージュのランドセル。ボーイッシュな恰好だが、同じ女の子だ。髪は肩まで伸びていた。顔つきも少しだけ凛々しくなり、賢そうである。

 そして更には、七五三の撮影だろうか? 立派なフォトスタジオ。藤色の振袖をキリっと大人っぽく着こなしている。髪飾りをつけ愛らしく結った髪、しゅっと澄ました表情。もはや美人と言って良い。


 この次は中学校の入学式か? また定番の校門前での撮影だが、そこに映ったのは、ご両親に挟まれて、学帽を深々とかぶる学ラン姿の、──彼女? 


 彼? 彼女? ──見覚えのある顔立ち、いや、面影があると言った方が正しいかもしれない。


 また突然画面は切り替わって、フォトスタジオでの撮影の様子。ご両親と一緒に、今度はセーラー服を着たが真ん中にいる。肩まで伸びた髪、凛とした表情、透き通るような白い肌。そして、遠くを見つめるような、あの三白眼。


 それは、妖精のように美しい島風だった。


「島風──」

 と僕がつぶやくや否や、

「大淀クン!」

 という返事が真横から聞こえた!


 突然の声に驚いた僕は椅子から転げ落ち、椅子はひっくり返ったが、その直後ピッとリモコンの音が鳴り、部屋の明かりが点いたのだった。


 床に転がる僕の横に、学園女子制服姿の島風が立っていた。


 僕を見下ろし、短いスカートをさりげなく手で押さえている。しなやかな脚が摩天楼のように見えた。


「し、島風──」

「ごめんなさいっ、です。ただ、僕のこと知って欲しくて、あの、本当に、ごめんなさいです」

 なんだか僕は、吹き出して笑ってしまった。

「おどかすなよ。幽霊とか苦手なんだから。心臓止まるかと思った」


 島風は僕に手を伸ばし、起き上がらせてくれた。


「島風、その格好、お前──」

「うん──」


 不思議と動揺はしなかった。寧ろ予定調和のように、心のどこかでピンと感じていたことかもしれない。


 改めて女子制服姿の島風を見る。まるで違和感はない。どれだけ控えめに言おうとしても、一般論で誤魔化そうとしても無理なほど、性的に綺麗だと思った。


「あれは、ホームムービーなのか?」

「そう、です」

「ご両親も知ってるんだ」

「はい」

「というか、七五三は振袖姿だったし、そういうの、オープンというか、いいんだ」

「はい。ただ父は、本心ではあまり関心してはいないように感じるです。でも母は、僕の気持ちを尊重してくれて、それに、この格好の方が好きって言ってくれるんです」

 と言って、島風は胸に手を当てた。その仕草にふと優しさのようなものを感じた。

「そうなんだ。いいお母さんだ」

「うん」

「島風は好きなんだ。女の子の恰好、その、女装? っていうか、なんて言えばいいんだろう? これは──」

 言葉が見つからない。もはや女装という言葉もしっくりこないような気がした。

「こっちの方が僕、自然だと思っているんです」

 自然、たしかに、大自然のように神の神秘すら感じる。

「子供の頃から、そうなんだ」

「うん。あの、どうですか? 大淀クン、僕のこの格好、どうですか?」

 目を輝かせながらも、やや不安そうに訊く島風だが、いや、どうもこうもない。

「どうって、それは、に、似合ってるよ。とっても。というか、凄く──」

 綺麗だ!

「うん。ありがとです!」

 そう嬉しそうにはにかむ島風は、つい見惚れてしまうほどに可憐だった。本当に、事実を忘れるほどにに。学園ミスコンランキング上位に鰻登りで駆け上がりそうなほどに。


「あのさ、島風、こんなこと訊いていいのか、分からないんだけど、なんというか、島風は、つまり、男が、好きなのか?」

「え?」

 と一瞬、間が空いて、島風は唇を半開きにして固まった。マズかった? と焦るも、そんな島風の表情が可愛く見えてしまうのだから、もう僕はすでに馬鹿かも知れない。

「大淀クンて、案外正面切って、ストレートに言葉にするんですね」

「え、あっ、ごめん、言いたくなかったら、その、いいんだけど」

「いいんです。全然いいんです。言いたくないことは、ないです。僕は、男の子とか、女の子とか、そういうの、どうだっていいんです。僕は、僕が好きになった人が、好きです」

 好きになった人が、好き──、

「こんな格好する僕、変ですか?」

「へぇ、変じゃないよ! 全然」

 僕はぶるぶると首を横に振った。寧ろ大いに分かる部分があるし。

「本当ですか? 気持ち悪いって思ったりしませんか?」

「思うわけないよ、島風は、その、とっても、なんというか、──き、綺麗だよ」

 島風にその言葉を伝えて、ふと心に思った。彼の容姿が美しいから似合うのではなく、自分に対して自然だから、自然体だから美しいのかもしれない、と。


「ありがとうです。僕、その、ほんとは、とっても不安だったんです。自分の本当の姿を見せると、嫌われるかなって、ずっとずっと、それが心配で、今もずっと緊張しっぱなしで──」

 嫌う理由なんてどこにもない。それよりも勇気があると思う。僕が女装姿をクラスメイトに知られでもしたら、精神が宇宙の彼方にすっ飛ぶかもしれない。

「嫌ったりしないよ。絶対に。それどころか、そういう大事な秘密を、僕に打ち明けてくれて、なんというか、嬉しいと思う。寧ろ僕なんかでいいのかって。ほんと光栄と言うのかな? そう感じてる、かな」

「ありがとです。大淀クン──」

 と言った島風の目は、潤んでいた。


「今も心臓がどきどきです」

 そう言って島風は僕の腕を取り、自分の胸に押し当てた。

「あっ」

 分かっていても、ドキッとする。伊八先生や明石先輩にされた時と同じように、いやそれ以上か? 股下のを震源にP波が伝わるかのように。というか、なぜ皆そんな大胆なことする!?

 

 島風の鼓動がドッドッドッと手に伝わる。速く強い鼓動。それを感じていると、僕の鼓動も速くなった。体はおろか心も、S波が伝わってグラグラとするかのようだ。


「あ、島風、下着も着けてるのか?」

「はい。あっ、あの──」

「変じゃないよ、全然」

 というか、僕も着けるし。女装してるときは。

「大淀クン。僕も、ゆっくりでいいから、少しずつ、大淀クンのこと知っていきたい。です」

 僕のこと──、ひょっとして島風は、僕の女装のことを知っているのでは? それとも本当は知らないのか? 或いは、僕から告白するのを、待っているのか? 僕は、もう言うべきなのか!?


「友達、だよね。島風は、この学園入学以来、僕にできた初の友達かもしれないな」

「うん。僕にとっても、大淀クンが初めての友達、今まででも、です」

「そうなんだ」

 友達。ずっと胸に手を当てながらこの言葉を連呼するのは、流石に恥ずかしくなってくる。

「よかったです。とっても嬉しいです。僕、ずっと誰にも言えなくて、でも、本当は知って欲しくて、──大淀クンなら、きっと、僕のこと受け入れてくれるって、そう感じてたんです」


 島風、やっぱりお前は──、


「出逢えて、よかったです」

 と言った刹那、島風のその大きな瞳から一筋の涙がこぼれた。

「あっ」

 僕は何か言おうとして、そして何も言えなかった。

 島風の潤んだ瞳と、彼の半開きの唇が、目に眩しいほどに焼き付いて、映える。

 その瞬間、宇宙が止まったようで──、


 僕は、島風の背中に腕を回していた。島風は、されるがままになっていた。


 涙を流す必要なんて無い。


 島風──、


「……」


 と、突然、昼休み終了の予鈴が鳴った。


「あああっ!」

 僕は咄嗟に手を放し、島風から一歩後ろに後退りした。

「ヤバい、今昼休みだった。放課後と勘違いしてたな」

「う、うん」

「島風、次の授業、どうするんだ? その格好」

「うん、僕は、次は休んで、保健室で過ごします、です」

「え!? いいの? そんなの?」

「うん、保険の鹿島先生は僕の、知ってるので」

 保険の鹿島先生? あの女子大生のようなかるーい感じの、あの人が。

「そう──。じゃ、僕は行くよ。次は実験で、化学実験室だから」

「うん」

「じゃあ、島風、あっ! そういえば、部活というか同好会の今後の話が、まだ」

「うん、それは後でいいです。それであの、お願いがあるんです。よかったら今日、一緒に放課後帰りませんか? です」

「ああ、今日は美術部のお手伝いがないから、いいよ」

「うん。ありがとです。じゃあ校門前で待ってるです」

「校門前? 分かった、じゃあ──、また!」

「うん、またです」

 そして、僕は第二視聴覚室をそそと出たのだった。

 

 いやまて、というか! 僕は、さっき、何をしようとした──!? 

 

 足早に教室へ向かいつつ、自問の嵐が僕の脳裏に吹き荒れた。


 が、それは、考えれば考えるほど、答えは深淵に沈み込み、僕が深淵に潜り込まないと見えないような気がして、それでもう考えるのは止めにした。


 教室に戻ると、木曾の奴が何か言いたげにニヤニヤとしていたので、僕から口を開いた。

「なんだよ」

「鬼が出たか?」

「蛇が出たよ」

「ほんとうか? 大淀」

「嘘に決まっているだろ」

 と言って席に着いた。蛇が出たのは寧ろ、僕の心かもしれない。 


 そして、僕の心は呆けて、ここにあらずのまま時間は流れ、あっという間に放課後となる。


 校門を出てすぐのところに、島風は立っていた。


「って、島風! その格好!」

 僕は駆け寄り、小声で島風に言った。

「大丈夫です。大淀クン、髪を下ろして、伊達メガネをかけていれば、誰も僕だって気が付かないです。みんな素通りしていきますから。です」

「嘘? ホント? ていうか、お前、普段でも女子生徒から人気があるらしいんだぞ! 注目されてるんだよ。それに今は、──普通、か、可愛い子がいたら、注目しない男子なんていないぞ!」

「そうですか? でも、今までも何度も女子制服で帰宅しましたけど、誰にも声かけられなかったです。誰にもバレてないです」

 まじで? 何度もやってたの!? 恐るべき女装大先輩がここにいた!


「てか、ここで立ち話も余計に不安だ。とにかく行こう」

 

 と言って、僕は島風の手を取って歩き出した。が、手を繋いで歩き出してしまってから、急に恥ずかしくもなる。島風はなんの戸惑いも違和感もなく、そのまま手を繋いでいた。

「手を繋ぐのって、とっても、いいです」

 あっ、

「そ、そう? うん。なんか、なんていうか、調子狂うっていうか、なんなんだろ、これ」

「手を繋ぐの、嫌ですか? 大淀クン」

「え! いやっ、嫌というわけでは、ないけど、なんというか、慣れないかな? というか、女の子と手を繋いだことなんて、無いし」

「ふふっ」

 っと、島風は楽しそうに笑った。

「ていうか、女の子じゃないし!」

 と言うと、「んん!」とむくれたように少し唸って、手を強く握り返してきた。

「いやっ、そういうんじゃなくて、なんていうか? 違うよ」

 と言うと、

「ふふっ」

 と、また楽しそうに笑うのだった。


 まさか島風がその格好のまま帰るとは、思ってもいなかったけれど、 


「ただ一緒に家まで帰るだけで、いいのか?」

「うんん、そんなことないです。大淀クン、一緒に行きたいとこあるんです。いいですか?」

 やっぱり。

「いいよ、暇だし」

「暇だから、ですか?」

 と、島風は僕の顔を覗き込んだ。

「あっ! いや、そうじゃなくて、そうじゃない、──行きたいよ」

「うん。僕、行きたいカフェがあったのです。大淀クンと一緒に行けたら、嬉しいなって」

 と晴れやかな表情で、島風は言った。


「カフェ? へぇー」   

 と返すと、島風は少し前にでて、僕を引っ張るように歩き出した。

「ふふふっ」

 と笑いながら、振り向き僕をチラっと見て、そしてまた笑った。


 僕の家とは反対方向の、学園最寄り駅の商店街を抜けて、住宅街に入る。どちらかと言うと大きな屋敷が立ち並ぶ、閑静な住宅街だ。そこを数分歩いて、それはあった。スタバのようなチェーン店ではなく、古民家を改造したような、古風でありながらモダンな一軒家のカフェだった。


「うわっ、お洒落な。僕が入っていいのか、これは?」

「大丈夫です。きっと大淀クンも気に入るです」

 島風は、似合いそうだけど──。

「入ったことあるの?」

「いいえ、初めてです」

「なんだよ、それ。もうすでに常連みたいなこと言って」

「僕、いつも登校する時にここの前を通るです」

「そうなんだ。お洒落でいいけど、なんか、高そうだな」

「やっぱり、やめますか?」

 と少し寂しそうな顔をする島風なので、

「いや、行くぞ! 折角の今日なんだ」

「うん」


 そして、僕等はいざカフェに入った。

 

 店内はカウンター席と、テーブル席が四つ。奥にソファーの席もある。

 テラス席も良さそうではあったが、僕らは店内の窓際の席に座った。ちょうどテラスや通りを見渡せるような、見晴らしのよい席だ。

 メニューを見ると、やはりそれなりの金額で、ほとんどが4桁だった。


「うーむ、まあ、コーヒーでいいかな?」

「コーヒー好きですか? カフェラテとかもありますよ」

「うん、でも──」

「今日は僕が誘ったです。だから今日は僕がおごります」

「いや、それは、だめだ、お──」

 女の子に奢ってもらうなんて、と危うく言いそうになってしまった。

「うん?」

「せめて、割り勘でいこう」

「でも僕、大淀クンに好きなもの注文してもらいたいです」

 と、少し残念そうな顔をする島風なのだが、いや、もちろん僕も好きなものは頼みたいけれども──、

「そうだな! うん、よし分かった。折角の今日だし、こんないい感じのカフェ来るのもそうそうないし、ガツンと行くか!」

「うん!」


 で、とりあえず僕はショコラ・カフェラッテというのにし、島風はモカ・カプチーノというやつに決めたのだった。


 手を上げると、ワインレッドのシャツに黒のタイトスカート、黒のエプロン姿のカフェのお姉さんが、にっこりして注文を取りに来た。

「ご注文は、お決まりですか?」

「えっと、ショコラ・カフェラッテと、モカ・カプチーノお願いします」

 と僕が注文する。

「かしこまりました。もしよろしければ、ケーキなどはいかがですか?」

 と、さりげなく壁に貼ってあるケーキの写真を指し示した。

「え! えっとー」

 僕は島風の方を見た。

 メニューの季節のスペシャルスイーツの写真をじっと眺めていた。

 山形県産さくらんぼ佐藤錦のタルトケーキ、とある。1,890円! 高っ!

 つやつやに光るさくらんぼが山のようにうず高く積まれた、見るからに美味しそうでかつ高級そうなタルトケーキであった。

「甘いの、好きなのか? 島風」

「──うん」

「もしよろしければ、こちら、いかがですか?」

 と髪をアップにした品のいいカフェのお姉さんは、ゆったりとした手つきで、メニューの裏側を見せた。

 

 カップル割引!?


「カップル割引、半額!?」


「今週のサービスですよ。もしお二人がカップルだったら、こちらの佐藤錦のタルトケーキも半額で提供させていただきますよ。いかがですか?」

「カップル、だったら、半額ですか?」

「ええ、そうですよ。カップルなら半額です。いかがですか?」

 カップル。というか、男同士なんだけど。というか、男同士でもカップルの人もいるか。今の島風は完全に女の子しているし、もともと声質も細くて、普通に話してても女の子として違和感ないし。というか、僕と島風の関係は? 島風はどう思って──、

 

 というか、そもそも、これ言ったもん勝ちか!?

 

「じゃあ、半額で、注文する? いいよね?」

 と僕は島風にそう言った。

「う、うん、大淀クンがいいなら、僕、いいよ」

「よし、じゃあ、カップル割引で、このさくらんぼのタルトケーキもお願いします」

「はーい! かしこまりましたぁ。カップル割引で!」

 やった! これはラッキーと言うべきか。そう、これは僕や島風がどうあれ、言ったもん勝ちなのだ。運がいいぞ、これは! 


「はい! では、いいですか、カップルの証明をお願いします」

「え? 証明!?」   

 僕と島風は顔を見合わせた。

「えっ、えっと、それって──」

「フフフッ、可愛いお二人ですが、カップルを宣言していただくだけじゃあ、ダメですよ。フフフッ」

「なっ、どうやって?」

「カップルの証のキッスをしていただきます」

 と、とても楽しそうにカフェのお姉さんは言い放った。

「ええええーっ!」

「そのリアクション、待ってましたよ。フフフ。みんなそんな感じです。このチェキで、証拠を撮影させて頂きますからね」

 と、お姉さんはポケットからインスタントカメラを取り出したのだった。

「えぇぇ、キスですかっ!?」

 島風を見ると、顔を真っ赤にして両手で口元を隠すようにしていた。

「はい、キッスですね。可愛くチュッて!」

 お姉さんは嬉しそうに、もうノリノリだった。

 

 キス、島風とキス! まじか?! 


 半額に目がくらんで、抜かったーっ!

 

 ──とも思ったが、しかしまてまて、そもそも男同士ではないか? 知り合ったばかりの女の子との初下校デートでこの展開は、いわゆるまさかのハプニング! だが男同士の僕等なら、開き直っても問題ないのでは? 半額のためと割り切れば、思春期青春初キッスだとか、そんなことノーカウントでいいのではないか? 友達だし。友達だから。──と島風をちらっと見る。彼は一体どう思う?


「どうする島風、キス、するか?」

 と、僕は小声で訊いた。

「え、ぼ、僕、その──」

「注文しちゃったし、べ、別に、お互い、だし、気にすることはないか? どうだ?」

「う、うん。大淀クンが、僕なんかでよければ、いいよ。うん」

 僕なんかでとか言うな。変に意識してしまう。

「よし! 分かりました。じゃあ、お姉さん、やりますよ」

 と言って、僕は島風と向き合う。

「いいか? 島風」

「う、うん」

 僕は島風の両肩に手をかけ、真正面に見据えた。まっすぐに瞳を見つめる。やったことはないけど、多分こんな感じだろう。恥ずかしそうに、でも真っすぐに見返してくる瞳。こうしてまじまじと見ると、本当に島風は可憐だ。と感じた。

 が、そう思うと、途端に心も頭も熱くなって、その三白眼の瞳、形の良い唇を、見れば見るほどに、僕の鼓動は32ビート、あれ? 寧ろ僕が? いいのか? と思ってしまって、どうにも動けなくなってしまった。


「──お、大淀クン?」

 メドゥーサに石にされてしまったかのように、僕は固まっていた。

 どうしても──男同士だから開き直ってやっちまおうぜ──なんて風に考えられなくなっていた。


「あ、あのー、おにーさん?」

 とカフェのおねーさんに声をかけられ、少し正気を取り戻した。

「はっ! すみません、急に、恥ずかしくなってしまって」

 と、僕は島風から手を放し、軽く深呼吸するように息を吸った。

 だめだ、なんだか出来そうにないぞ。

「あ、あのぉ、ほっぺでいいんですよ。ほっぺにチュって、ね? フフフッ」  

 そうカフェのお姉さんに言われ、僕はさらに恥ずかしくなった。

「へっえ」

 そうだったのかぁー!? と顔を上げると、彼女はチェキをこちらに向けて、構えていた。

「え?」 

 とその直後、不意に島風が僕の頬にチュッとしたのだった──。

 

 フラッシュが光る。

 唇の柔らかい感触。そして島風の髪が僕の耳にサラリと触れた。

「はーい! ありがとうございます。では、写真が出てきたら、ケーキと一緒にお持ちしますねぇ」

 と言って大きなスマイルを置いて、カフェのお姉さんはカウンターに戻って行った。


「し、島風──」

「ごめんね、大淀クン」

「いや、全然、ごめんとかじゃないよ」

 と、僕はキスされた頬に手を触れた。 


 それから僕等は色々な話をした。ラテとカプチーノ、そしてさくらんぼタルトケーキを二人でつつきながら。好きな映画、好きな音楽、好きな作家。島風は夕日が好きで、コーヒーが好きで、スイーツが好きで、そして、本当は人が好きなのも知った。


 店を出るとき、カフェのお姉さんの勧めで、僕と島風のインスタントフォトを店のコルクボードに張り付けることにした。キャンペーン中は貼られるという。きっとこんなお洒落な店には、少なくとも学園の同学年は来ないだろうと。特に木曾なんぞは。それに、僕が誰か分かったとしても、この姿の島風に気づく人はいまいと。

 

 フォトを見る限りは、普通に高校生カップルのようだった。まさか、これこそ本当の下校デートというやつか? 明石先輩との時は、僕はねえさんに扮していたのだから、女子と女子? と言っても今回はその逆で、男子と女子? 


 そして僕は、島風を家まで送ることにした。


「そういえば、新しい部活、同好会かな、どうする? 二人だと部室はもらえないぞ」

 というか、そもそも何の部活なんだ?

「うん。でも、もう人数は集まったです」

「え?」

「明石先輩が今日の午前中に3人分の入会希望用紙を持ってきてくれて、それで、僕と大淀クンを合わせれば5人だから、すぐにでも同好会として発足できるですよ」

 明石先輩が!?

「そうなんだ。って、3人分て──」

「それが、その、明石先輩と、大淀クンの幼馴染の木曾クンと、そして、その、大淀先輩なんです」

「なっ!? 嘘っ! ほんとに?」

 ねえさんが!?

「うん。3人とも掛け持ちだから、あんまし参加できないよーって、です」

「まじかー」

 いや、明石先輩が捏造したのでは? 帰ってから訊いてみよう。

「でも、良かったです。ね?」

「まあ、そうだね」


 そうこうしている内に、島風の家に着く。


「ここが僕の家です」

「でかっ!」

 大きな門と、その奥に広がる庭、生い茂る木々のその先に、もはや邸宅と言えるほどの建物がドンとある。

「ありがとです、大淀クン。家の前まで送ってもらったりなんかして」

「いや、いいよ。島風がその格好だと、なんだか心配だし──」

「心配ですか?」

「いや、なんていうか──」

 学園の生徒と出くわしてバレたりとか、或いは他校の男子にナンパされたりとか、色々だっ! が、言えないな、こんなこと。

「ほんとに、今日は、楽しかったです」

「ショコラ・ラテもさくらんぼも超旨かったし、まぁー、なんというか、その、──うん」

 こういう場面での言葉というのが、僕は苦手かも知れない。

「ほんとうですか? 僕、その、キスなんかしちゃって、嫌じゃなかったですか? き、気持ち悪いとか思わなかったですか? あの、その──」

 島風の顔が急に赤くなってきた。

「気持ち悪いとか、そんなことないから、全然。島風だし。まあ、男同士だし、なんていうか、ケーキ半額のためなら、っていうか、別にー、問題ないよ」

 と、こういう時に、なんだか曖昧な返事をついしてしまう。


「ほ、ほんとうですか? 今は、そう言って、明日から、僕が声かけても、返事してくれなくて、話もしてくれなくて、避けられて──、そんなことになったらって、僕、ほんとはそんな心配ばっかりしちゃって、その──」

 そう言葉にして、声に出して、それが逆に心に響いてしまったのだろうか? 島風はみるみる涙目になっていった。


「島風──」

 

 過去に何があったかは分からないけど、ただ僕は、本当に島風のことを嫌だとは感じないし、本当はラテやケーキは二の次で、純粋に楽しかったのだ。


「ご、ごめんなさいです。変なこと言い出して、今のは無しです。忘れてください、です」

 と言って、島風は俯いた。涙を隠すように。


「──島風」

 と僕は肩を抱いて引き寄せ、そして、島風の頬にキスをした。


「はっ」

「おあいこだ」

「大淀クン!」

「嫌なわけないだろ。色々島風と話せて楽しかったし、これからも楽しくなりそうだ」

「あ、あの、ぼ、僕──」

「またあのカフェ、行きたいな。まあ、でもちょっと高いか?」

「うん、僕も行きたいです。大淀クン、あの、ありがとう! じゃ、また明日、ですっ!」

 と言って、島風はやや慌てて家の門に飛び込んだ。

 そして、門を閉める前にそっと顔を出して「また、です」笑顔を見せた。

 とても柔らかい微笑みだった。


 

 そんなこんなで、僕は岐路についた。


 今までの自分を顧みても、そして冷静に、菩提樹のもとで瞑想するように心を静めて考えても、僕は驚くべきことをやった。

 が、それほど驚きもしないのもまた、驚きだった。


 僕は島風にキスをした。まさか自分にこんなことが出来るなんて、思ってもいなかったし、自分でもよく分からない。咄嗟に、自然に、そう動いた。というのが正直なところだ。友達、友人、親友、心友。歩きながらも、様々なことが頭を駆け巡ったが、確かなことは何も出てこない。


 島風は、勇気があるけど、結構泣き虫でもあることも分かった。

 

「まあ、いいよね」ととりあえずつぶやき、僕はただ夕空を見つめることにした。

 

 流石のも、股下の彼も今回ばかりは黙として、無駄に自己主張してこなかったのだから、それはよっぽどのことであろう。が、それは寧ろ、あたかも僕を上から、いや下から静かに見つめているようでもあり、ある種の悟りを開いたか? 逆に此奴が疑わしくなってくる。


 それはそうと、結局なんの同好会なのか聞くのを、僕は最後まで忘れてしまっていた。




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