70 『後宮の烏』 ≪2≫



 <カクヨム>を知って中華ファンタジー小説を書き始めた3年前、いや正確に言うと、カルチャーセンターの『史記』の講座に通い始めた5年前となるが。


 その時より、私は、巷で中華小説と言われるものを、広く浅くかなりの冊数を読み漁った。



 しかしながら、広く浅く読み漁りながらも、心の奥では、


「この1冊!と言える中華ファンタジー小説に、出会いたい。

 その本をぼろぼろになるまで何度も読み返して、そこに書かれている文章と語彙を、自分の血や肉となるまで吸収したい。

 そして中華ファンタジーとはなんぞやという神髄も追及したい」


 と、願っていた。




 そして白川紺子さんの『後宮の烏』で、私はその1冊に出会えたように思う。




 ① 砕け過ぎず、かと言って重厚過ぎない、『後宮の烏』の文章が好きだ。


 中華ファンタジー小説は、当然ながら古代中国が舞台なので、その世界観を表すのに作家さんたちは苦労されている様子。


 しかしながら、「○○は、現代でいうと××のこと」などという文章が小説の中に突然出てくると、読み続けたいという想いが一気に冷めてしまう。


 その反対に、「よくここまで調べているなあ」と感心するような難しい漢字熟語の羅列というのもある。


 しかしながら古代中国の雰囲気は出ているが、「やっぱり、小説というものは雰囲気ばかりではだめだ。魅力的なストーリーがあってこそ」だと思う。


 その点において、白川紺子さんの『後宮の烏』は私にちょうどよい。


 不思議なもので、中華ファンタジー小説というものは解りやすくスラスラ読める文章では、読んでいて味気ない。


 やっぱり、自分のいま生きている世界とは違う、別世界での出来事という感じを読者は味わいたいのだと思う。


 ちょっと難解だけど、想像力を働かせば理解できる喜びが味わえる。

 そして、想像力を働かせている間に、いつのまにか読者は小説の世界にどっぷり……。


 相乗効果だ!




 ② 情景と人物の描写がよい。


 私はくどいほどのネチネチした描写が好き。


 あさのあつこさんの『弥勒シリーズ』なんてその最たるものだけど。

 やっぱりちょっとくどいかな。(笑) 


『弥勒シリーズ』は、<カクヨム>では、読むのにも書くのにも向いていない気がする。


 その点、白川紺子さんの『後宮の烏』はちょうどよい感じだ。


 やっぱり小説において、うっとりするような情景描写は必要だし、登場人物たちの立ち居振る舞いが目に見えるような描写も必要。


 それを、読者が面倒くさがって読んでくれないだろうという理由で書かないのは、なんか変だ。


 書きたいのに書いちゃいけないと常に悩んでいると、ものすごいストレスになる。


 『後宮の烏』に書かれているくらいの情景描写と人物描写、そして一文の長さもこれくらいでOK。


 そういう指針があれば、執筆していても、<カクヨム>での情報に右往左往することもなく、すごく楽だ。

 


 






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