27 生贄(人柱)



 前々回の『殉葬』そして前回の『劉邦のトイレ!?』と書き進めていたら、突然、我が町の中心にあるお城についてあることを思い出した。


 我が町のお城は、江戸時代初期に建てられた、地方の田舎町にしてはもったいないようなみごとなお城だ。

 そして、観光の目玉としての改築・改装も、何十年という長い年月をかけて、現在も続けられている。


 その改築・改装工事の中で、地中深くに埋められた女の人の骨が見つかったという地元新聞記事を読んだのは、もう10年近く前のことだったかな。


「おお、やはり、噂の<人柱>はあったんだ!」


 記事を読んだ私も興奮したし、しばらくは、新聞記事の雰囲気もそんな感じだった。しかし、それにしては、その後のテレビも新聞もまったく盛り上がらない。


 そしてある日、「お城で見つかった女性の骨は、<人柱>か、それとも工事中の事故で亡くなったものがそのまま残されたのか、はっきりしない」と、新聞の隅に小さく書かれて、その話はそれっきりとなってしまった。




 その後、観光客気分でお城見学に行ったことがあるのだが、まったく、発見された女性の骨についての説明書きのようなものはなかった。

 いま、ネット検索にかけても、それらしい書き込みもない。


 死者への敬意として、人の死を見世物にしないという趣旨なのだろうか。

 それにしては、お城の近くにある考古館では、弥生時代のお墓を発掘して出てきた人骨をそのままの状態で展示している。


 我が町の観光客を呼び込むキャッチフレーズが<のどかな城下町>ということなので、やはり<人柱>の存在は不適切なのだろうと想像するしかない。


 



 『史記』を表した司馬遷は、漢の皇帝に仕えていた人であるから、どうしても漢の建国に不都合だった人物は悪人となってしまう。


 しかしいま、研究により、『史記』の中に登場する有名な宦官の趙高や劉邦に敵対した項羽や韓信の実像が、明らかになりつつある。

 趙高が宦官ではなかったという説など、その最たるものだろう。


「歴史は勝者によって、書き換えられる」とは、有名な言葉だ。


 しかしまた、経済活動とか善意の価値観によっても、歴史というものは容易に書き換えられるのだなと思う。


 






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