286 再び、慶央へ……・その16



「萬姜、子どもが増えたそうだな?」


「えっ?」


 突然、予期していなかった話題を振られて、堂鉄に詰め寄っていた萬姜の肩の力が抜ける。


「それもいっぺんに六人もだとか」


「堂鉄さま、その話をどこで?」


「徐平が地獄耳の持ち主でな。

 いや、若くて姿のよい徐平に話しかけたくて、屋敷の女たちがあれこれと教えたがると言うべきか」


「まあ……」


「峰新だけならともかく、あとの五人はまだ幼いと言うではないか。

 あいつらを我が子として慶央に連れて行こうとは、いかにもおまえらしい考えではあるが」


 十日ほど前、暗い顔をした峰新がやってきた。


 峰貴文が荘興たちとともに慶央に行くことを決めたので、自分も面倒を見ている五人の小さい子たちを連れてついて行きたいと言う。


『だけど、どんなに考えても、今回ばかりはおれ一人の力では無理だ。

 おばさん、助けてください。

 この恩は、おれの一生をかけてもお返しします』


 そう言って俯いた峰新の目から、涙がぽたぽたと落ちた。


「峰新の思いつめた顔を見ていると、むげに突き放すことは出来ませんでした」


「まあ、それはおまえが決めたことだ。

 その是非を、ここで、おれがとやかくいうつもりはない。

 ただ、六人も子どもが増えれば、旅の道中、いろいろと物入りだろう。

 六つの口に食わせねばならんしな、草鞋わらじも毎日、新しいものがいる」


「今までに溜めた給金がございますれば、なんとか……」


「そうか。

 しかしその銭は、範連や嬉児のために溜めたものだろう?」


「そうではございますが……。

 これからも働き続ければ、給金はいただけます」


「まあ、萬姜、人の話は最後まで聞け。

 それでだ、この銀子箱の中の銭も、おれの今までの給金を溜めたものだ。

 若宗主に願い出て、昨日、すべて払い出してもらった。

 おまえに使ってもらうためにな」


「まあ、そのようなこと。

 とんでもないことにございます」


「おれが死んだら、おれの亡骸とともにこの銭は寺に寄進されることになっている」


「堂鉄さま、そのような不吉なことを言ってはなりません!」


 思わず声を上げて叫んだ萬姜の真剣な表情に、強面の堂鉄の顔が緩んだ。

 つっと体を進めて、目の前に座る丸い目を見開いた女を抱きしめたいと思う。

 しかし目を閉じて、彼はその想いを追い払った。


 頭に浮かぶ邪念を即座に打ち消すことには慣れている。

 でなければ、彼の仕事では命がいくつあっても足りない。

 再び目を開けて堂鉄は言った。

 心を決めた彼の声には、もう微塵の動揺もない。


「会ったこともない寺の坊主を喜ばせるのだったら、ガキどもの食い物に変わった方が、銭も喜ぶというものだ」


「でも……。やはり、戴くわけには……」


 これ以上の押し問答は無用とばかりに、堂鉄は立ち上がった。


「長話をしてしまったようだ、許せ。

 慶央でも、達者で暮らすのだぞ」


 銀子箱に手を伸ばして押し戻そうとしていた萬姜の手が、その言葉に止まった。

 銀子箱を受け取るということは、堂鉄の想いを受け取るということだ。

 手を揃えて床につき、深く頭を下げる。


「銀子、大切に使わせていただきます。

 堂鉄さまも、いつまでもお元気で」


 萬姜の別れの言葉に、背中を見せたまま堂鉄が答えた。


「そうだった、萬姜。

 今まで、おまえが縫ってくれた着物の礼を言っていなかったな。

 おれの融通の利かぬ性質のせいで、迷惑そうな顔をしてしまったことを謝る。

 本当は、嬉しかったぞ」





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