276 再び、慶央へ……・その6




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「まあ、二年半で、このように持ち物が増えていたとは……」


 布に包んだ着物や帯や髪飾りを長持ながもちに詰めながら、梨佳は小さなため息をついた。彼女の横で荷造りを手伝っていた下女が手を休めることなく、梨佳の嘆きに答える。


「梨佳さま、それは当然のことにございます。

 お一人、家族が増えたのですから。

 それも可愛らしく賢いお嬢さまが」


 その言葉に二人は揃って、部屋の隅で一人遊びをしている桃秀を見やった。

 一歳を過ぎた幼子おさなごはよちよちとおぼつかない足取りで、小さな木箱に玩具を入れたり出したりを無心に繰り返している。荷造りをしている母親たちを真似ているつもりらしい。


「梨佳さま、若旦那さまの仰られる通り、旅の道中で入用なものだけを選んで荷造りをすませましょう。残りのものは、あとから慶央に送ってくださるようにと、沈家の皆さまにお願いすればよいのです」


 子を生さないという理由で婚家を追い出され、その後、世の中の辛酸を嘗め尽くしたという下女は、頼り甲斐がある。

 彼女を前にすると、梨佳はついつい弱音が出てしまう。


「それはそうだけど……。

 あまりにも急なことで……」


 本来なら母の萬姜に甘えて助けてもらいたいところだが、母も白麗の突然の帰郷の準備で慌ただしく過ごしていることだろう。


「確かに今回の慶央行きは急なことではございますが、わたくしは、若旦那さまはよい決断をなされたと思います。

 いずれはこのお屋敷を出て、ご自分のお店を持たなければならないお立場であったのです。その場所が慶央になったことは願ったり叶ったりではありませんか」


 その通りだ。

 白麗が荘興とともに慶央に戻るという話が沈家に伝わり、突然に訪れた家族と別れに梨佳の胸が押しつぶされていた夜に、夫の如賢が言った。


「今日、親父さまに呼ばれて、慶央で新しく薬種問屋の店を開いてみないかと言われた。

 その気があるのなら、慶央では荘家が後ろ盾になってくださるそうだ。

 親父さまも願ってもない話だと言うし、おれもそう思う。

 梨佳、おれが独り立ちをして店を持つ時、桃秀とともにどこにでもついて来るって言ってくれたよね」


「ええ、あの時の言葉に嘘偽りはございません。

 ただ、あまりにも急な話で驚いているだけです」


「急な話と言えば、慶央に戻られる荘興さまの道中に、おれたちも同行させてもらおうと思っている。

 そのほうが安全だからな。

 いくらなんでも荘興さまを襲おうなんて考える追い剥ぎや山賊はいない。

 それに、まだ幼い桃秀を連れての長旅だ。

 萬姜さんや永先生も一緒であれば、おまえも心強いだろう」


 そして急な話の展開にただ目を見開いて驚いている梨佳の手を取ると、如賢は言葉を続けた。


「さっそく明日から、荷造りを頼むよ。

 おれは新しい店の準備があって手伝ってやれないが。

 大丈夫だ、当座に要るものだけを持っていけば。

 あとは、慶央の新居に送ってもらえばすむことだ」


 ……、……。


 物思いにふけって止まってしまった梨佳の手元を見て、下女はくすりと笑った。


「お疲れでございますか、梨佳さま。

 ここらで、一休みいたしましょう。

 厨のものに茶と菓子を運ぶように言いつけてまいります」


「おまえの気配りに頼りっぱなしで、わたしは情けない主人ですね」


「何をおっしゃいますか。

 わたしこそ、優しい梨佳さまにお仕えすることが出来て、果報者でございます。

 それに生まれてこのかた安陽より出たことがなく他の町を知りませんので、正直言って、わたしも慶央行きが楽しみなのです」


 そう言って立ち上がり、下女は部屋を出て行った。




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