273 再び、慶央へ……・その3


「永先生の話によると、父上の腹の中には硬いがあるそうだ。

 それが少しずつ大きなって、一年後には父上の命を奪う」


「まことに、不治の病なのでございましょうか?

 兄の承将軍に相談してみます。安陽で顔の広い兄なら、そのような病を治す名医を知っているかも知れません。

 いいえ、姉の正妃さまにお願いして、宮廷医に診てもらいましょう。

 そうでした、沈さまは薬種問屋でございます。

 きっと、よいお薬をご存じでございましょう」


「千夏、父上はすでにご自分の命運が尽きることを覚悟されている。

 すでに覚悟の定まったことについて周囲が騒ぐことを、父上はもっとも嫌う。

 父上はそのようにして生きて来られた。

 死もそのようにして受け入れられるおつもりだ」


「それは、あんまりなことにございます。

 これから荘家の嫁として、孝養させていただく所存でございましたのに」


「おまえのその言葉だけで、父上はお喜びだろう」


「でも、なぜにお嬢さまを慶央に?

 姉妹となったばかりです。

 白麗お嬢さまとまでお別れしなくてはならないなんて、酷すぎます……」


 涙声になった千夏を、英卓は引き寄せるとその胸に抱いた。

 我が事のように父・荘興の病を心配し、白麗との別れを悲しむ妻が愛おしい。そして、暗闇の中とはいえ、自分の顔に浮かぶ苦悩を新妻に読まれたくなかった。


「永先生の話では、父上の病の最後は痛みにさいなまれるということだ。

 しかしながら、麗の吹く笛の音は、かならずや父上の痛みを和らげるに違いない。

 それに父上は麗をことのほか可愛がっておられた。

 それを無理を言って、おれが安陽に連れて来たのだ。

 最期の日々を、父も麗と過ごしたいだろう」


 白麗は、父・荘興が三十年をかけて探し求めた白い髪の少女だ。

 不思議な縁で、少女も父を求めて遠い西の国から長い旅路の末に慶央にやってきた。


 その少女を、体に混じった少女の血のせいだとしても父から奪った。

 最後は父に返すべきだ。

 たとえあの生意気な龍が言ったように、心に風穴が開いて耐えがたい喪失感に苦しもうとも。


「別れるといっても、同じ青陵国内。

 再会する機会はいくらでもある」


 その言葉は、胸の中で嗚咽する千夏に言ったのではなく、自分自身に言い聞かせた。そして心の中で呟いた。


――しかしながら、再会することがあっても、おれもおまえのことも、麗の頭の中からはきれいさっぱりと消え去っているだろうが……――






******


 荘興と白麗が慶央に帰ることが知れ渡ると、ともに慶央に帰ると言い出すものが、次々と現れた。


 医師の永但州は当然だろう。


 自分が安陽で遊んでいる間に、長年の友が不治の病を得ていたとは。

 このようなことになるのであれば、安陽に来るのではなかったと悔やんでも悔やみきれない。しかし、『人の寿命は天の定めだ』とからりとした声で荘興に言われて、悩みは吹っ切れた。


 時を巻き戻すことが出来ないのであれば、友の命が尽きるまで傍にいよう。


 幸いにして自分は医師だ。

 死に向かう友の不安と苦痛を多少なりとも和らげることは出来る。

 そして最期の日まで毎日聞かせても、彼を退屈させない馬鹿げた面白い話は、安陽でたくさん仕入れている。


 医師を目指して勉学に励んでいた汪範連もまた、その勉学を途中で打ち切って慶央に帰ることを決めた。


 金持ちを相手に名医と呼ばれるための学問よりも、実際に病に苦しむ人に治療を施したいという想いが、彼の胸の中で日々に膨らんでいた。

 そして、母の萬姜と妹の嬉児が白麗について慶央に帰るのであれば、当然ながら彼の医師としての居場所もそこにしかない。




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