再び、慶央へ……
271 再び、慶央へ……・その1
慶央からのんびりと数か月、旅の空の下を楽しんだ荘興たち一行だった。
安陽に着けばすぐに英卓の婚礼と知ってはいたが、荘興は馬車を急がせることはしなかった。
過ぎ去ること三十年と少し前、彼は十五歳から二十歳まで青陵国を放浪した。旅の途中で、その時の思い出の地が近くにあると知ると、そこまで足を延ばした。そして、しばし滞在しては忘れかけていた景色を楽しんだのだ。
中華大陸の東、その先にある果て知れぬ海にそって背骨を持った形の細長い青陵国。荘興たちは冬の終わりに慶央を出て、花咲く春をゆるゆると南から北へと追いかけた。
そして寒さ厳しい冬が終わり短い春を経て、夏の花が同時にいっせいに咲き始めた六月に、彼らは無事に英卓の待つ都・安陽に到着した。
安陽では、六十年に渡る袁家の悪政が終わり、落ち着きを取り戻していた。
人々の顔が笑いに輝き、明るく響く声に活気が溢れる。
そんな安陽の人々のいまの最大の関心事は、承家の出戻りお嬢さま・千夏と男ぶりよい若者・荘英卓との婚姻だ。
今度の婚姻は何か月持つのか。
承千夏の三度目の出戻りはあるのか。
いやいや今度のお相手の荘英卓は千夏よりも年若く、いままでの夫たちなど霞む男ぶりのよさだ。いまは婚姻をひかえて慎んでいるようだが、妓楼でのモテぶりも半端ではなかったらしい。
妓楼では馴染みの妓女が客を取るという自分の立場も忘れて、英卓にぞっこんだったとか。
その妓女は英卓の婚姻を知って世をはかなみ井戸に身を投げたとか。
いやいや、髪を下して尼になったとか。
安陽の女たちはやっかみも込めてあれこれと憶測し合った。
そして男たちは、二人の仲になけなしの銭を賭け合った。
千夏が三度目の出戻りを決行する前に、彼女の我が儘を見かねた英卓に愛想つかされ追い出されるに違いない。
いったい二人の新婚生活は何か月持つのか。
それは千夏の兄の承将軍も同じだ。
この婚姻を強引に決めた男であるのに、彼の口は誰より悪い。
「みっともなさに、あいつも三度も婚礼衣装など着たくもないだろう。
そもそもが三十路を迎えようとする女に、真っ赤な婚礼衣装が似合うはずもない」
見かねた皇帝の正妃である千夏の姉が、祖母の冬花の古い婚礼衣装を借り受けて、後宮の衣装係をせかして仕立て直させた。
その甲斐あって、五十年前の古色蒼然とした婚礼衣装は新しく甦った。
それを身に纏って惚れた男に嫁ぐ幸せに輝いた千夏の花嫁姿は、のちのちにまで安陽の人々の語り草となるほどに美しかった。
******
荘興たちが安陽の英卓の屋敷に到着して、三日後に婚姻は執り行われた。
赤い造花と布で飾り立てられた馬車に乗った千夏は、荘家の屋敷前に立つ同じく赤い着物で盛装した英卓に迎えられた。
これから夫婦になる二人が手に手を取り合ったその時、期せずして、屋敷の奥より白麗の吹く笛の音が静かに鳴り渡ってきた。
美しくも優しい笛の音だ。
屋敷内で二人を祝福しようと待ち構えているものたちも、その賑わいを一目でも見たいものだと屋敷を取り巻いている安陽の人々も、また料理や酒を抱えて小走りに駆けまわっていた使用人たちも、しばし皆がその立場を忘れて頭を垂れて聴き入った。
そして英卓と千夏もまた手を取り合ったままその場に佇んだ。
白麗の吹く笛の音は、ともに白髪となった英卓と千夏が多くの子や孫に囲まれた姿を、人々の脳裏に鮮やかに見せたのだ。
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