269 荘英卓の決断・その11



「英卓さま、荘興さまにそのような言われ方。

 仮にも、荘興さまは英卓さまのお父上でございます」


「煩いぞ、雌鶏!」


 思わず口を挟んだ萬姜だったが、英卓に一喝されて慌てて允陶の背中の陰に身を隠した。その後も二言三言、英卓は口の中でぶつぶつと父・荘興への罵りの言葉を呟いた。

 允陶が言葉を続ける。


「荘興さまが白麗さまを娶ろうとしたのは、天涯孤独な白麗さまに居場所を作ってさしあげるためにございました。

 決して、若宗主が考えられているようなことでは……」


「怪しいもんだ。口ではどうとも言える。

 允陶、慶央での父上の麗の可愛がりようは、おまえも見て知っているだろう。

 下心がまったくなかったとは、思えんな」


 そこまで言ってふと真顔に戻った英卓は、もうこの話は打ち切りだと右手を顔の前で振った。そして崩していた背筋をまっすぐに直すと言った。


「おい、萬姜」


「えっ?」


 今度は何ごとで叱責されるのか。

 首をすくめた萬姜が允陶の背中から顔を覗かせる。


「いや、萬姜、そのように構えるな。

 おまえにではなく、おまえの娘の梨佳に頼みたいことがある。

 梨佳は確か料理が上手かったな」


 突然の話の変わりように丸い目をますます見開いた萬姜だったが、育て上げた娘を褒められた嬉しさはすぐにその声色に出た。


「はい、英卓さま。

 初めは白麗お嬢さまに美味しいものを召し上がっていただきたい思いで始めた梨佳さまの料理にございます。

 慶央では千松園の料理人・徐高さんの元に通い腕を上げました。

 今では、嫁ぎ先の沈家の皆様にもたいそう重宝がられていると聞いております」


「うん、梨佳の作る菓子を、麗もたいそう気に入っていると聞いている。

 それでな、梨佳に麗のための菓子を作って欲しいのだ。

 それも特別に甘くて美味い菓子をだ。

 いまの元気のない麗を慰めるものは、甘い菓子しかないだろう」


 そう言った英卓がその端正な顔を少しゆがめたのは、自分自身は甘い菓子が死ぬほど嫌いなせいに違いない。


「まあ、そのようなことでございますれば、すぐにでも梨佳さまにお願いいたしましょう。そして、お作りいただいたお菓子を、こちらに届けさせます」


「いや、そうではなくて。

 菓子を、梨佳にこの屋敷のくりやで作って欲しい」


「と、申されますと?」


「麗の好む甘い菓子がどのようにして作られるのか、おれも見てみたい」


「まあ、英卓さまが……。

 なにゆえに?」


 萬姜の問いには答えることなく、今度は、英卓はその視線を允陶に向けた。


「允陶、梨佳の望む通りの菓子の材料の揃え、またくりやの手配を頼む。

 そして、梨佳が菓子を作りおれがそれを見ている間、誰も厨には近づけるな。

 おれと梨佳の二人だけにして欲しい。


 このおれが甘い菓子の作り方を知りたがっていると、知られては困る。

 そのようなことが安陽の街に知れ渡ったら、おれの荘新家・若宗主としての威厳が地に落ちると思わないか?」


「承知にございます。

 すぐに萬姜に文を書かせ、使いのものを沈家に伺わせましょう」


 主人の突然の気まぐれな要望に、允陶は驚きを顔にだすこともなく答えた。







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