265 荘英卓の決断・その7



「おい、萬姜。

 おまえも荘家に仕えて、もう長い。

 おまえの仕事は奥座敷内とはいえ、荘家の生業なりわいについて知らぬわけはないだろう」


 蛇の前に据えられた蛙のごとく、にらむ英卓から萬姜は目を逸らすことが出来ない。

 英卓の言葉に、操り人形のようにかくかくと何度も頷く。


「そうか、知っているのだな。

 知っておれば、話は早い。

 荒くれた男たちが出入りする生業なりわいであるから、世間には言えぬこともいろいろとやっている。

 その中に、言いたくないことを抱えているものたちの、口を割らせるというのもある」


 萬姜の丸い目が見開かれて、ますます丸くなった。


「手慣れた責め苦に、おまえだと十を数える間も持つまい。

 一応はおまえも女であるから、顔に傷をつけぬように気は配ってやる」


 取りつく島もないとはこのこと言うのだろう。

 英卓の声のあまりの冷たさに、萬姜は縮みあがった。

 允陶のところまでずるずると這っていき、彼の背中を揺さぶる。


「允陶さま、允陶さま。

 お助けください」


 何度か揺さぶっていると、石のように堅かった男の体がふと緩んだ。

 心を決めたようだ。

 英卓に逆らうことを諦めた允陶が、感情を押し殺した声で言う。


「荘興さまに誓った以上、たとえこの命を絶たれようと、わたしの口からは言うことは出来ない。

 しかし、萬姜、おまえは女だ。

 そのうえに、まだ幼い子どもたちのいる身でもある。

 事情を知れば、荘興さまもお怒りにはなるまい。

 おまえの見たこと聞いたことのすべてを、英卓さまにお話し申し上げよ」


 その言葉に、カタリと大きな音を立てて、英卓は茶杯を茶卓に戻した。

 今まで彼の手の中にあって一滴ひとしずくこぼれなかった茶が、飛沫をあげ英卓の手を濡らした。


「では、萬姜、語ってもらおうか。

 だが、焦ることはない。

 何年も昔の話だ、思い出すままに語ればいい」


  荘家の男たちは声がよい。

 その荘家の次男である英卓のほどよく太く柔らかい声が、平伏する萬姜の頭上より降りてきて耳に心地よく入ってくる。


 そしてそれは、彼が大怪我を追い意識のないまま慶央の荘家の屋敷に運び込まれたあの日に、萬姜の心をいざなった。





「わたくしには医療の心得がございません。

 それで、白麗お嬢さまの治療でなぜに、英卓さまのあれほどに酷いお怪我が治ったのかについては申し上げることはできません。

 見たことと、荘興さまと永先生のお二人のお話から、当時推測したことを申し上げます」


 覚悟を決めれば体の震えは止まり、昨日見聞きしたことを話すように、萬姜の口から言葉は出てきた。


「大怪我を負われた英卓さまが銀山より荘家のお屋敷に運ばれてきた時、英卓さまは大変な高熱で、その熱をまずは下げることが肝心だと、永先生が仰っておられました。

 それから腕を切り落とした肩の傷が膿んでも、命取りだと。


 しかしながら、英卓さまは意識のないままに苦痛で歯をくいしばっておられて、永先生がどのように工夫しても、薬湯を飲ませることができませんでした。

 薬湯は、英卓さまの喉を通ることはなく口から溢れるだけ。

 荘興さまも永先生も諦めかけた時に、お嬢さまがお部屋にお姿を現されたのです。


 苦しまれている英卓さまの横に座ると、お嬢さまは英卓さまのお着物の胸をはだけて、その胸に傾けた顔を寄せられて耳を当てられました。


『心の臓の音を聞いている』と、永先生が言われたことを覚えています。

 お嬢さまには医術の心得があるというようなことを、その時に荘興さまもおっしゃいました」


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