264 荘英卓の決断・その6



 強引に話を打ち切ろうして腰を浮かした允陶だったが、英卓の追及から逃れないと知って座り直した。


「若宗主こそ、いまこのような時に、なぜにそのことにこだわるのでございますか。

 四年も昔の若宗主の怪我と、今回の白麗さまが髪を切られたことと、どのような関係があるのでございましょう。

 わたしには理解しかねます」


 言葉を切った允陶は、主人に向かって聞えよがしのため息を一つ吐く。

 どのような命令であっても顔色を変えることなく忠実こなす允陶が、ここまで主人に逆らったことは今までにない。


「お言葉を返すようでございますが。

 白麗お嬢さまがこの屋敷から離れるという意思をお見せになった今は、過去のことにこだわるよりも、そのことを阻止する手立てを考えるのが先でございましょう」


 突き放したような允陶の言葉に、英卓もまた引き下がる気はなかった。


「理解してくれと、おれがおまえにいつ言った?

 おれが知りたいことに、おまえは答えればよいだけだ。

 父上に長年仕えていたからといって、おのれの立場を忘れるな」


 白麗が一人で屋敷を出ることを阻止するには、自分への執着を断つしかない。

 あの生意気な龍の子どもの言葉を言えば、この頑な男はおれの知りたいことを教える気になるのか。

 それとも小箱に収められた二つの丸薬をいまここで見せれば、おれが治療の内容を知りたい理由を納得するというのか。


 それは出来ない。


 允陶も萬姜も白麗が普通の<人>とは違うことには薄々に気がついてはいるだろう。だが、白麗が<天界人>だと知ることは、二人には許されていないのだ。


「確かに、白麗さまの治療によって、若宗主は命を得られましたが。

 あまりにも昔のことゆえに、わたしの記憶にないことにございます」


 荘家の生き字引との異名をとる允陶が、これを最後とばかりに言い放った。

 そして深く平伏してついに石のように固まる。


 これ以上どのように言葉を重ねても、勘のよい英卓をごまかすことは出来ない。

 顔を上げれば自分の言葉に嘘が混じっていることが知れて、英卓の怒りに油を注ぐことになる。

 ……となれば、石になるしかない。




 英卓の手の中で回っていた茶杯の動きが止まった。

 ついに茶杯が宙を飛ぶと思い、緊張した萬姜は思わず英卓の顔を見つめる。


 二人の目が合った。

 英卓がにやりと笑う。

 萬姜の豊満な胸の谷間を冷たい汗が流れる。

 大嫌いな蛇と目が合っても、これほど縮み上がることはないだろう。


「允陶ではらちが明かないようだ。

 萬姜、おまえに答えてもらおうか」


 石のように固まっている允陶の背中に、萬姜は視線を走らせた。

 英卓のしかけてくる無理難題も、允陶がいれば自分の身に火の粉が降りかかることはなかった。

 しかし、その固まった背中は、萬姜に助けは出せないと無言で語っている。


「わ、わ、わたくしも、允陶さまと同じく記憶にございません。

 ああ、関景さまであればご存じかと……。

 そうでございました、もうすぐ荘興さまがいらっしゃいます。

 あやふやな記憶のわたくしより、荘興さまにお訊きなってくださいませ」


「萬姜、おまえは本当に、雌鶏ほどの脳みそしか持ち合わせていないようだな。

 おまえたちでさえそこまで頑なに秘密にしておきたいことを、父上や爺さまに訊ねたとする。

『おお、よくぞ訊いてくれた』と、褒められるとでもで思うのか。

 萬姜、おれが爺さまや父上に手酷く叱責されるが、おまえはよほど嬉しいのだな」


「そ、そ、そのようなこと。

 滅相もないことにございます……」






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