252 承宇項の謀り事・その4


 

 英卓と関景の二人は、満面の笑みを浮かべた承宇項に迎えられた。


 私人としてくつろいだ姿の承宇項を見るのは久しぶりだ。

 衿もとの重ね色が涼やかな青い袍衣をゆったりとまとい、銀糸を織り込んだ白い帯を締めている。宮砂村で、赤銅色の半裸の体に赤い褌一つの彼を初めて見た時とは、別人とまでは言わないが印象が違っている。


――体に肉がついたのか。

 刀を手に戦場を駆け回る武将から、朝廷で言葉を武器にして戦う知将になったということか――


 不躾ぶしつけな英卓の視線を読んだのか、承宇項は言った。


「最近は鍛錬が足りていなくてな。

 武人として情けない」


 すかさず関景が愛想を言う。


「第五皇子が太子になられてより、伯父上となられる将軍の忙しさはいかばかりかと……」


「いやいや、禁軍の将としてのおれの仕事は、天子さまと正妃と太子をお守りすること。なまった体は、禁軍の将として恥ずべきことではある。

 しかし、今日はそういう話で来てもらったのではない。

 まあまあ、座ってくれ。

 客人をいつまでも立たせている訳にはいかないだろう」


 その言葉が合図だったようだ。

 宇項の着飾った四人の妻たちが盆の上に茶器を乗せて現れた。

 口々に土産ものへの礼を言うその喜色溢れた声からして、関景と允陶が時間をかけて選んだ品々は彼女たちを十分に喜ばせたようだ。

 

 しかし今日はその中に千夏の姿がなかった。


「千夏さまはいずこに?」と、承宇項に訊ねようとして、英卓は慌てて口をつぐんだ。その名を言ったら、ひょっこりと姿を現しそうだ。

 開口一番、何を言われることか。

 藪蛇になること間違いなしだ。


――最近の千夏さまのおれへの態度は、あれはまるで、鼻たれ小僧の弟の世話を焼いている姉ではないか。

 確かにおれは千夏さまより年下だが。

 そこまでおれは、世間も女も知らぬガキではない――


 しかし、ああ言えばこう言い、こう言えばああ言い返してくる、彼女の機智が嫌いではない。

 そういう時にきらきらと輝く千夏の瞳から目が離せない時がある。

 いると煩わしいが、いないとこれまた気が抜けた物足りなさだ。


 もしかして後から現れるのかと思い、もう一度部屋の入り口を振り返った。

 関景が思わせぶりな空咳を一つして、それに気づいた承将軍が言う。


「千夏は屋敷内にいることはいるのだが。

 手の離せぬ用事を抱えていて、挨拶に来られないのだ。

 さあさあ、おまえたち、おれは客人と話があるのだ。

 それぞれの部屋に戻れ」


 そして彼は、まだまだ喋り足りない顔をしている四人の妻たちを追い出した。





 静けさの戻った部屋で、承宇項は机の上の文箱を引き寄せると、蓋を開けて一通の書状を取り出した。


「昨日、慶央の荘興さんから文が届いた」


「父上から……?」


 思わず声に驚きが出た。

 承将軍と父が文の遣り取りをするほど、親密に付き合っているとは聞いていない。


「そうだ、昨年の暮れに出したおれの文にな。

 このたび、丁寧な返事を戴いたのだ」


 首を伸ばして、封の上に書かれた字が見慣れた父のものであることを確かめる。


 英卓たちが慶央をあとにしてすぐに、父の荘興は兄の健敬に家督を譲っている。

 その父からの書状というのであれば、やはりその内容は私的なものだろう。









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