251 承宇項の謀り事・その3
丸薬の入った小箱を放り込んだ引き出しを叩きつけるように閉めたところで、部屋の外から允陶の声がした。
「若宗主。
お支度が整われたので、門前で待つとの、関景さまよりの言伝にございます」
英卓と関景の二人そろって屋敷に来て欲しいとの承将軍より連絡があったのは、昨日のこと。
噂通り、年が改まってすぐに副妃は正妃に昇格して、第五皇子は天子の座を約束された太子になった。名実ともに将来の天子の伯父となった承将軍は、英卓に低いながらも官位を授けたいという。
「おれの義弟で、袁開元との戦いで活躍したおまえが、いつまでも無官であるのはおかしい」
近頃の承将軍は英卓の顔を見ると、その話だ。
言われるたびに、英卓も答える。
「おれは官位などという、面倒なものはいらぬ」
そしてついに関景と二人そろって屋敷に来て欲しいとは。
――おれが首を縦に振らぬものだから、関景爺さまを抱き込むつもりか……。
誰もかれもが、おまえのためだと言っては、無理難題を押し付ける――
英卓のいら立ちは大きな音となって、部屋の外まで響き渡った。
允陶がなんやら居心地悪そうだ。
気まずさを隠すために、英卓は軽口をたたく。
「えらく時間がかかったな。
爺さまは、女のように化粧でもしていたのか」
「承将軍の四人の奥方への土産に粗相があってはならないと、関景さまが心を砕かれました。
それに時間を取られたかと」
そう言われると、そういうことは関景と允陶に任せきりの英卓としては言い返せない。
「四人の妻か……。
官位といい、おれにはどちらも面倒なことにしか思えんな」
その言葉に允陶がかすかに笑う。
「いずれは、若宗主もそういうお立場となられるはず」
「いやいや、いくら安陽には美しい女が多いといっても、四人もの妻を持つなどと、おれはごめん被るぞ。
女は、麗と萬姜と嬉児の三人で懲り懲りだ。
そういえば、屋敷がえらく静かだが。
麗たちはどうしてる?」
「桃秀さまの誕生祝いにお招きにあずかり、萬姜や嬉児とともに沈家にまいられております」
「ああ、そうだったな。
梨佳があの赤子を生んで、一年が経ったのか。
梨佳は料理が上手いからな。慶央の料理人仕込みの腕だ。
とくに甘い菓子は絶品だそうだ、おれは食ったことはないが。
麗が、ご機嫌で帰ってくることだろう」
それから、まぶしそうに眼を細めた英卓は、允陶の後ろに広がる庭に目をやった。
「桃の季節に生まれたから桃秀と名づけたと、確か、雲流先生が言われていたな。
あれが桃の花か?」
「いえ、あれは花海棠にございます。
花桃の木は、白麗お嬢さまの庭のほうに。
紅い花が満開でございます」
「四人の妻も官位も面倒な話だが、花の名前も面倒なことだ」
安陽の春は、雪解けとともに一気に色鮮やかにやってくる。
寒さ厳しい冬を耐え忍んだ草木の花がいっせいに開く。
まるで押し寄せる色の洪水だ。
温暖な冬と早春の気配に境のない慶央で育った英卓には、花の名前に疎くとも、安陽の春は心浮き立つものだった。
しかしそれは昨年の春までのこと。
咲き乱れて春を謳歌している花を見ると、自分だけがまだ冬の中にいるような気分になる。
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