249 承宇項の謀り事・その1
噂を運ぶのは人ではない、風が運ぶ。
英卓と白麗を安陽に送り出し、そのあとすぐに家督を長男の健敬に譲った荘興は思う。
いま、安陽で何が起きているか。
関景や允陶や医師の永但州が書いて寄こす文や、太守や県令の出すお触れよりも先に、なぜか耳のそばを吹き抜ける風として知ることが出来る。
英卓は若いせいもあるだろうが、めったに文は寄こさない。
しかし、関景と允陶と永但州は筆まめだ。
十日に一度は、安陽での出来ごとがしたためられた文が届く。
また、、朝廷からの勅令は、昼夜を問わず駆ける早馬で太守や県令に届けられ、それがお触書となって慶央の人々に知らされる。
しかしなぜか、それらはすでに知っていると思うことが多い。
今回の袁家の滅亡も正妃と第六皇子の蟄居も、役所の前に張り出されたお触書よりも先に知っていた。
利に敏く賢い人々は一を聞いて十を知る。
袁家が滅亡すれば、承家から嫁いだ副妃が正妃に昇格し、早々に第五皇子が太子に冊立されるであろうことは当然のこと。
先を読めば、それは吹き抜けていった風のごとく知っていることとなるのだ。
しかしさすがの荘興も、承将軍から直に文をもらうことになるとは。
そしてそこに書かれていた内容に驚き、自分はまだまだ先が読めていなかったと思い知った。
南北に細長い青陵国の南の端に位置する慶央の町は冬暖かく、雪が降ることもめったにない。
雪降り積もる年越しの夜を予感させる冷え込む日に承将軍によってかかれた文が、荘興の住む屋敷に届けられた時は、彼の住む屋敷の庭では紅白の梅が満開に咲き誇っていた。
昨夜、慶央に着いた兵士は湯につかって長旅の疲れと垢を落とした。
そしてゆっくりと体を休めた翌朝に、むさ苦しく伸びた髭を剃り落とし、こざっぱりと着替えた。
文を持って荘興の屋敷を訪れる時は、そうするようにと承将軍に言われていた。
本来であれば自分が直々に慶央まで出向いて頭をさげて頼まねばならぬことを、文ですまそうとしているのだ。
決して粗相があってはならぬ、丁寧にも丁寧を重ねよと。
そしてまたそのようにして届けられた文を持って自室に戻った荘興は、まずは安陽のある北の方向に向いて正座し、深々と頭をさげた。
それはいずれ天子の伯父となるであろう承将軍への儀礼であり、また六十年前に起因する一族の恨みを晴らし、朝廷を浄化した男への畏敬でもある。
――これが青陵国建国以来続く武家を継ぐ男の書く字か。
いつか、その尊顔を拝したいものよ――
一読目はそのようなことばかりを思い、文の内容が頭の中に入ってこなかった。
書いてあることが、まるで女子どもが喜ぶ御伽草子のように思えたからだ。
慶央に住むこのおれを田舎者だと、承将軍はからかっているのかとさえ思う。
が、このような字を書くものが、そのようなことはしないだろう。
二度読み返してその内容に得心した時、部屋の外に人の気配がした。
「荘興さま、お茶を持ってまいりました」
「おお、春仙。
それはありがたい、入れ、入れ」
健敬に家督を譲り、長年患っていた妻の李香も死んだあと、荘興は馴染みの妓女・春仙を紅天楼より退かせた。
屋敷内に住まわせ身の回りの世話を任せている。
彼女の気立ては優しく、出しゃばることもない。
そして淹れる茶は美味く、熱すぎることもぬるいということもない。
茶器を卓上に載せながら、春仙は言った。
珍しく荘興の声が嬉しそうだったからだ。
「よい文のようでございますね。
安陽の英卓さまからでございますか?」
「いや、安陽からではあるが、英卓からではない」
茶を一口含んで喉を潤した彼は言葉を続けた。
「どうだ、春仙。
ともにのんびりと、物見遊山の旅に出る気はないか?
行先は安陽だ」
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