243 雪降り積もる年越しの夜・その2



 今から七年前、安陽のごった返す人混みの中で、幼い峰新は親とはぐれた。

 迷子になったのか、それとも親に捨てられたのか。


 その日から、彼は一人で生きた。

 しかし、小さな子どもが一人で、その日その日を食っていくのはきれいごとではない。薄汚い芝居小屋の出入り口で見張っていては、出てくる客にしつこくつきまとっては、少々の銭を恵んでもらっていた。時には、わざとぶつかってその懐を狙う。


 そういうことを繰り返していたら、ある日、とうとう芝居小屋のものたちに捕まってしまった。




 女の着物を着たきれいな顔立ちの男の前に引っ張っていかれた。

 その男は髪を結っていなくて垂らしていた。


 さらさらとした艶のある黒髪だ。

 峰新の顔を覗き込もうとしてその男が身をかがめた時、髪が彼の女のような顔にかかった。白く長い指がその髪を掻き上げた時、鼻孔をくすぐったよい匂いを、峰新は昨日のことのように覚えている。


 女のような男は言った。


「さて、この坊やを、どうしたものかねえ。

 お役人に突き出せば、その顔に罪人の印を刻まれて、どこぞの石切り場で死ぬまで牛馬のように働かされるのだろうけれど。それとも、その悪さをする手を、いまここで切り落としてもいいんだけど。

 どちらにしても、さぞかし、坊やの親が悲しむことだろうにねえ」


 それまで恐怖におののいていた峰新だったが、男が言った親という言葉を聞いて思わず叫んだ。


「おれに親なんかいない!」

「おやまあ?」


 男の表情が崩れたように思えた。

 しかしその声音は変わることなく冷たい。


「この安陽に、親のいない子どもなど珍しくもない……。

 決まったわ。

 お役人に引き渡すことにする」


 そして男はぐっと身を乗り出して、峰新の顔に自分の顔を近づけてきた。


「でもその前に、坊や。

 どうしてうちのお客さんばかり狙うのか、教えてくれる?

 こんなちんけな芝居小屋のお客さまが大金を持っているはずのないことくらい、おまえが子どもでもわかるだろうに」


「それは……」


 男に言われて、峰新も初めて気づいた。

 確かに彼は、この芝居小屋から出てくる客の懐ばかり狙っていた。

 彼らをいいカモだと思ってきたが、なぜだとは考えたことはない。


 目の前の男が答えを求めて待っている。

 答えなければ一生罪人だ。


「それは……、それは……。

 芝居小屋から出てくる人たちの顔に、おれにちょっとくらい恵んでもよい、おれにちょっとくらい盗まれてもよいと書いてあるからです」


「へえ、なんとまあ、大した屁理屈じゃないか。

 ふうん、それでなぜ、お客さまの顔にそんなことが書いてあると、おまえは思うのかねえ?」


「それは……、たぶん、その人たちは芝居を観たせいだと思う。

 ここの芝居を観ると、みんなそんな気持ちになるんだと思う。

 でもおれは、芝居なんて観たことがないから、あとはわからない」


 峰新の顔を覗き込んでいた男が、突然、体を起こしてからからと愉快そうに笑った。


「あたし、気に入ったわ、この子。

 おまえが嫌でなかったら、この芝居小屋に住み込んで働いてみないかい。

 三度のご飯くらいは、食べさせてあげるわよ」


「石切り場で働かなくていいんだったら、おれ、なんでもします」


 もう一度、男は笑って言葉を続けた。


「もう、おまえはみなしごではない。

 いま、新しく生まれ変わった。

 ここにいる皆がおまえの家族だからね。


 あたしの名前は、峰貴文。

 だから、おまえの新しい名前は峰新。

 そうね、正月生まれってことで、七歳。

 毎年、新年の朝に一つ歳をとるのだから、覚えやすいでしょう」








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