241 沈明宥、死す・その10



 数日後、沈明宥の葬儀が寺院で執り行われた。


 病を得てこの半年ほどは寝たり起きたりの暮らしでもあったし、七十歳を過ぎていたのであるから、歳に不足はないと言える。

 一代で成した薬草園〈健草店〉は繁盛しているし、しっかりした息子や男の孫たちが力を合わせて店を切り盛りしている。

 他人から見たら贅沢な悩みとしか思えない、女の赤子を抱きたいという彼の願いも、孫の如賢の嫁が桃秀を生んで叶えた。


 朝、家族が起こしに行くと、彼は寝台の上に突っ伏して倒れていたらしい。

 大慌てで呼ばれた医師は、「心の臓の発作は激痛。亡くなったものの顔は、普通は苦痛で歪んでいるものだが、沈ご老人はなんと安らかな顔をされていることよ」と言ったそうだ。


 そういうこともあって、しめやかではありながら悲壮感の漂わぬ葬儀だ。


 多くのものが最後の別れに訪れ、またそれを「あれは誰それだ」「さすが、〈健草店〉だ。あのようなお人まで参列されているとは」と、口々に言い合う物見高いものたちで寺の門前はごった返していた。

 その中からひときわ甲高い歓声が沸き上がった。


「おい、あれを見ろ、承将軍だ!」

「ほんとうだ、承将軍だ!」

「沈老人と承将軍は知己の間柄だったのか?」

「なんと凛々しいお姿だ」


 激務の合間を縫って最後の別れに駆けつけた承宇項は、十人のほどの兵士を引き連れていた。


 銀色の美しい鎧を身に纏っていたが、彼が輝いて見えるのはその鎧のためだけではない。

 宿敵の袁開元を討ち果たした自信に、彼の大きな体はより大きく見えた。

 そして、年明け早々には彼の妹の副妃は正妃に昇格し、第五皇子は太子となるとのもっぱらの噂だ。

 将来の天子の伯父になる男の体が光を放っているのは当然だろう。


 承将軍の横には、彼の妹の千夏がいた。


 承家の男たちが北方の守備に追いやられている間、安陽の女ばかりの屋敷を守って来た冬花の、彼女は名代みょうだいだ。


 袁家の汚いはかりごとによって、承家の男たちが次々と戦場で命を落とし、暮らし向きが逼迫ひっぱくする中で、沈明宥が陰になり日向になり助けてくれた。

 長年なぜにそれほどの親切をと思っていたが、彼が幼い時に生き別れた兄の林高章だったと知ったのは、昨年の春まだ早い頃だった。


 兄の死を知って、生きている間に兄妹と名乗り合うことのできなかった無念に、冬花は泣き崩れた。

 苦労の多い人生で節々がこわばる病を得て、足が不自由な体であるのに葬儀に行くのだと、彼女は言い張った。

 それを押しとどめての、孫の千夏の名代だ。


「千夏、よろしくお願いしますよ」


 しかしながら、目が潰れるかと思うほどに一日を泣き明かした冬花は、千夏にそう言った時は、いつもの気丈夫な老女に戻っていた。

 林家の無実を証明して彼らの墓を建てねんごろに弔うことを、兄に託されたことに気づいたからだ。

 もう彼女に泣いている暇などない。





 寺院の本堂に入ってより、宇項の横で辺りをきょろきょろと見回していた千夏だった。突然、彼の鎧の裾を引くと、あたりを憚らぬ声で言った。


「あら、柱の陰に英卓さまが。

 いけませんわ、英卓さまはお兄上さまの義弟でもありますのに。

 あのような末席では」


 千夏の声に、彼らを先導していた僧侶が驚いて振り返る。


「これは、気づかぬこととはいえ、失礼いたしました。

 すぐに、荘英卓さまをこちらにお連れ致しましょう」


 慇懃無礼な口調の僧侶を睨んで、千夏は言い返した。


「それには及びません。

 わたしが呼んでまいります」


 くるりと身を翻した千夏の後ろ姿を、かすかに目を剥いた僧侶が見送る。


――このお方が、婚家に夫を置いたまま二度も出戻ったという千夏さまか。

 なんと、お気の強い女人であられることよ――


 言葉にこそ出さなくとも、僧侶の考えていることは顔に出ていた。

 慣れているとはいえ、千夏と一緒にいれば、いつも経験する承宇項の居心地の悪さだ。


「手間をかけるが、しばし、二人を待つことにしよう」


 将軍の顔に浮かんだ苦笑に、自分の考えを読まれていたことを知った僧侶が慌てて顔を伏せる。


 千夏はなんといって、英卓を説得したのか。

 それとも、逆らってこれ以上目立ちたくないと、英卓が諦めたのか。


 長身の英卓を後ろに従えてこちらに戻ってくる小柄な千夏の姿は、まるで大きな犬の紐を引っ張っているようでもある。


「はて、千夏は英卓より幾つ年上だったか? 

 四つか、五つか、六つか……。

 あいつが英卓のことを弟のように気にかけて、いろいろと世話を焼いていることは知っていたが。

 これは、もしや、瓢箪から駒が出たのか?」


 思わず込み上げてきた笑いを僧侶に気づかれまいと、今度は、宇項があらぬほうを見やった。

 





   第六章<沈明宥、死す>が終わりました。

   次回より、第七章(最終章)となります。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る