181 峰貴文、亜月と出会う・その4



 蔵の数の多さに比べると、出入りする人足たちの気配がまったくない。

 ただただ、ものを溜め込むための蔵のようだ。


 退屈しのぎに蔵の数をかぞえていた峰貴文だったが、やがて飽きて、馬車の窓の垂れ幕を下した。


 ――いったい、どなたさまのお屋敷のお蔵なのかしらね。

 いやあねえ、何が詰め込まれているのか知らないけれど、溜めに溜め込んだっていう感じだわ。

 それにしても、あるところにはあるもの――


 芝居小屋のある界隈に立ち並んだ、その日暮らしのものたちが売り買いする露店の棚の貧しさを思う。彼らが毎日声を嗄らして売っても、この蔵の中のものすべてをさばくのに何十年もかかるに違いない。


――でも、あの黒ずくめちゃん。

 どうみても、商家の奥さまっていう感じではなかったけれど――


 舞台から見上げる二階桟敷ではあったが、周囲のものたちを恐怖で支配するその雰囲気は濃厚に漂ってきた。大店とはいえ商家の奥さまが人を寄せ付けぬ様では、商売繁盛にはほど遠いだろう。


 やはりというべきか、峰貴文を乗せた馬車の目的地はここではなかったようだ。

 馬車が止まり、再び、誰何する声が聞こえる。

 しかし御者の声は聞こえない。

 頷くだけで通じるのか、それとも通行札を見せたのか。


 夕暮れ時が近いこともあって、小鳥の鳴く声も聞こえない静寂の中で、重たく軋む門の開く音がする。錆びついた蝶番の耳障りな悲鳴は、ここを通るものが滅多にいないことを教えていた。


 突然、馬車が前へと傾いた。

 緩やかな坂道を下り始めたようだ。

 乗り口と窓の垂れ幕の隙間から、体にまとわりつくような湿った冷気とともに、暗闇が忍び込んできた。


 御者台の横で松明たいまつが燃えているのか。

 火の爆ぜる音ともにやにの燃える臭いが漂った。 

 驚きで、貴文の口から言葉が漏れた。


「まあ、隧道ずいどうだわ……。

 話には聞いたことがあったけれど、本当にあったのね」


 安陽の街の下には、隧道があるという噂は聞いたことがある。

 それが作られた元々の目的は、敵国に攻め込まれた時の備えだ。


 しかし建国五百年の安寧な歴史の流れの中で、人々の記憶の中からいつしか、その存在は忘れ去られた。しかしながら、冬の間は忘れ去られていた怪談話が夏になると蘇るように、隧道の存在が人の口の端に上る時がある。


 宮中に住まわれる歴代の天子さまが、安陽市中に囲った美姫に会うために、馬車に乗って隧道を使うと。


「黒ずくめちゃん、やってくれるじゃないの」


 貴文の頭の中で夥しい言葉が湧いて出て、溢れ出す。

 暗闇の中に、彼は、見えない筆を持った右手を突き出した。

 宙に浮かんだ見えない紙に向かって、その手をさらさらと滑らす。

 面白い芝居が書けそうだ。


 ――あたしを待っているものが美姫であろうと、化け物であろうと、どうでもいいわ。

 あたしをわくわくさせてくれるものであれば――






 軒端が深く覆いかぶさる縁に立って、亜月は眼前に鬱蒼と広がる竹林を眺めていた。


 竹林は大きな黒い影となってざわざわと揺れていた。

 地から生えた幾千もの巨大な手が、まるで、この世からあの世へと誘っているようだ。


 しかし、正妃の傍近くに仕えるまでの十五年を、彼女は正妃の母となる人と、この景色を毎日眺めて過ごした。

 竹林に囲まれてぽつんと建つこの一軒家を、寂しいとも怖いとも思ったことはない。


 そしてもうすぐここに、隧道を通り抜け竹林を縫って、安陽一の面相のよい役者である峰貴文を乗せた馬車が来る。


「亜月さま、お客人の到着も間もなくでございましょう。

 まだ、外は明るくはございますが、明かりを灯しましょうか?」


 下女の問いかけに、亜月は無言で頷いた。




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