163 承将軍、杖刑王妃と対決する・その10
巨躯と長躯の男たちの背中に守られて、英卓は抱きかかえていた白麗をそっと立たせた。引き離されると思ったのか、少女は男の首に回した両腕に力を込めて、ますますしがみついてくる。
「大丈夫だ、大丈夫だ、……」
泣きながらしゃくりあげる少女の背中を、優しく、何度も繰り返して撫でおろす。
「英卓さま」
傍らに寄り添ってきた千夏が言った。
「お妹さまのお世話は、わたしにお任せくださいませ」
千夏が心配するのも仕方がない。
救出した女であるにせよ、人の目のあるところで、禁軍の兵士がいつまでも抱いていたら怪しまれる。ましてその男が選りすぐりの禁軍兵士でありながら、片腕がないと知られれば厄介ごとになりかねない。
白麗に向けていた優しい顔のままに振り向いた英卓は言った。
「千夏さまのご配慮、痛み入ります」
顔立ちのよい若い男の無防備な柔らかい表情に、突然、千夏の心の臓がどくんと跳ね上がった。
今は、兄の承宇項が時間をかけて練った計画の最中だ。
正妃と対峙するのに、将軍は自分の命と部下の兵士の命をかけている。
ひりつくような緊迫した場だというのに……。
自分に向けられた若い男の顔が好ましいと、正直に反応した心の臓の音に、千夏は慌てて顔を伏せた。
兄の宇項とはまた違った耳に心地よい声が降ってくる。
「しかし、もうしばらくお待ちください。
麗を落ち着かせます」
「ああ……。さ、さようでございますわね」
慌てて男の顔から視線を逸らしたはずなのに、今度は、白麗の背に置かれ骨ばった大きな手から眼を逸らすことが出来なくなった。
男を知らない体ではない。
それぞれに短い間であったが、二度も夫を持っていた身だ。
初めの夫は、六十歳を過ぎた王族に連なる男。
地位も金もあったが、すでに世の中の煩わしいことから身を引いていた。
身も心も俗界と離れたところにあるといえば聞こえはよいが、ただの老いた男だ。
そのために、毎日の暮らしも夜の寝屋での営みも、彼女にとっては退屈そのものだった。
二度目の夫は若かった。
承家から妻を迎えたことと、昼の役所務めと夜の妓楼遊びだけで満足していた。
この男もまったく面白味のない男だった。
どちらの男も放り出すようにして、承家に戻って来た。
祖母の冬花と力を合わせて承家を切り盛りし、留守がちな兄の四人の妻の諍いを諫める。時おり宮中に参内しては、天子の妃となっている姉の相談相手となる。
一人の男との安泰な生活よりも、そういう日々のほうが自分の性に合っているとずっと思ってきた。だというのに……。
――あの顔が近づいてきて、あの声で囁かれて、あの手がこの体に触れたら。
まあ、わたしったら、このような時に、なんてことを――
その時、木の葉が一枚、風に乗って落ちてきた。
よほど天高く舞い上がっていたのだろう。
それは花に遊ぶ蝶のようにひらひらと舞い、やがて、乱れ解けた少女の白い髪を飾るかのように止まった。
同時に、英卓と千夏は空を見上げた。
「英卓さま、まことに不思議な風でございましたね。
正妃宮にだけ、吹き荒れるとは」
「慶央では、雨だった……」
「えっ?」
千夏の問いに答えることなく、空を見上げたまま英卓は言葉を続けた。
「今回は、あれは姿を見せぬつもりらしいな。
すべては、天から見下ろしているというわけか」
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