092 杖刑王妃と斬首宰相・その2



 女の怒りと嘆きの言葉に、ひれ伏していた宮女たちが、前に揃えていた手の間からお互いの顔を見つめあう。

 隣の宮女からスカートの裾を引っ張られた一人の宮女が震える声で言った。


「正妃さま、兄上さまであられましても、袁さまは青陵国の宰相でございます。

 どうか、袁宰相さまをおとしめる言葉はお慎みくださいませ」


 怒りに我を忘れている正妃を諫めるなど、誰もしたくはない。

 しかし、この中の誰かが形だけでも正妃を諫めないと、あとで袁宰相の耳に入れば無事ではすまない。


 全員が大きな罰を受けることとなる。

 運が悪ければ、誰かが首を刎ねられる。


 自分を愚かだと言われることを、袁宰相は何よりも嫌う。

 それを言ったのが、たとえ一緒に育った勝ち気な妹だとしても。


 そして杖刑を覚悟で正妃を諫めるのは、それはいつも新しく入って来た宮女の役目だった。首を刎ねられるより、しばらく歩くのに不自由するほうが、どう考えてもましだ。


「正妃さま、どうか、言葉をお慎みくださいませ」


 先ほどと同じく、六人の女官たちが、いっせいに同じ言葉を唱和する。

 片方の靴を脱ぎかけていた女は、自分を諫める言葉に手を止めた。


「おまえたち、誰に向かって、偉そうに説教を垂れているのかわかっているのか? 

 遠慮はいらぬ。

 一番初めに言ったものは、面を上げよ」


「ひぃぃ……!」


 女に睨まれた新入りの宮女は、麺棒で伸ばされたように平たくその身を床に投げ出した。口からは飲み込み切れぬ悲鳴が漏れる。

 しかし、再び隣の宮女にせっつかれて、やっとの思いで顔を上げた。


 遠く離れているが、咲き乱れる牡丹の花を彫った金色に輝く衝立を背にし座っている女の、眉と目が吊り上がっているのが見える。

 そこから降ってくる声は、氷の刃のようだ。


「では、教えてもらおうか。

 愚か者を愚か者と言って、なんのさしつかえがあるのか?」


「それは、それは……」


 言いよどんだ宮女の顔をめがけて、靴が投げつけられた。

 靴先に施された象牙の飾りが彼女の額を裂いて、鮮血が溢れた。


「お許しください。

 死に値する罪でございます。

 どうか、わたくしめに罰を!」


「答えられぬ問いに、言葉を発した罰だ。

 このものを杖で二十回叩け」


 頭を垂れて彫像のように部屋の隅に立っていた二人の宦官が、また素早く動く。

 彼らは気を失っている哀れな宮女を引きずって出て行った。


 庭では、先ほどの宦官の杖刑がすでに始まっていた。

 細長く平たい板が人の肉を打つ音、それを数える抑揚のない声、そして宦官の悲鳴が響きわたる。


 この十五年間に吸った夥しい人の血で、庭に敷き詰められた白い玉砂利は、杖刑の台が置かれる場所だけ赤茶色く変わっていた。







 青陵国の今上天子の第一王妃は、袁家の娘でその名を祥陽という。正妃として入内してより五年目に、やっと恵まれた十歳になる第六皇子の生母だ。 


 彼女は、後宮の秩序を容赦ない杖刑で治めてきた。


 そして、祥陽の兄の袁開元は父の後を継いで、宰相となっている。

 宰相の器ではないと反対するものを、冤罪による斬首刑で守ってきた地位だ。


 ゆえにこの妹と兄は、杖刑王妃に斬首宰相と怖れられていた。


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