077 第五皇子の初恋・その4



 英卓たちが無事に砂浜にくだり着くと、砂浜に立っていた数十人がいっせいに振り返ってこちらを見た。

 無理もないことだ。

 刀を携え騎乗した男たちが、背後の山から八人も現れたのだ。


 屈強な体格をした男たちがすぐに前に出て、彼らの背後にある何かを守るための隙のない陣を作った。

 遠目には無防備と見えた半裸の男たちの手にもすでに刀が握られている。


 荘新家のものたちにも緊張が走ったが、英卓は手を上げて諫めた。

 そして敵意のないことを示すために、彼自身はゆっくりと黒輝から下りる。


 油断なくかまえた男たちの後ろから一人の女が飛び出した。

 女はこちらに向かって、砂に足をとられながら駆けてくる。

 足のもつれたその駆けようは、よくぞ転ばぬものだと感心したくなるほどに焦り乱れている。


「英卓さま! 英卓さま!」


 引き攣れた叫び声を聞かなくとも、萬姜だとすぐにわかった。

 彼女は英卓の傍までなんとか駆け寄ると、あがった息の下で言った。


「英卓さま、おはやいお着きで……。

 ご到着は、夕刻と思っておりました」


「日の出とともに、安陽を出立したのだ。

 はやく着いて、都合の悪いことでもあるのか、萬姜?」


 今にも倒れそうな萬姜の顔色の悪さは、陽の照りつける砂浜から山の日陰に入ったためではない。白麗が半裸の男たちに交じって泳いでいるという状況を、なんと言って主人に説明したものかと悩めるさまが、その顔色に出ている。


 その萬姜の頭越しに、沈老人が、砂浜に泳ぎ着いたばかりの精悍な体つきをした男に話しかけているのが見えた。


 沈老人から話を聞き終えた男が英卓に向かってかすかに頷いた。

 こちらに来いという合図だ。


「おまえたちも馬から下りろ。しかし、ここから動くな。

 堂鉄も徐平もついて来なくともよい。

 おれ一人で行く」








 沈明宥も英卓に「はやいお着きにございますな」と言ったが、萬姜のように顔色を変えてはいなかった。


「それにしても、英卓さん、ちょうどよいところに来られました。

 承将軍にお引き合わせいたしましょう」


 彼は再び精悍な体つきの男に向かい合った。


「承将軍さま。

 このものが常々お話していた慶央から来た荘家の英卓にございます」


 そういえば宮砂村の話が出た時に、承将軍もまた休養を兼ねて配下のものたちと夏の短い日をその海辺で過ごすと聞いたような気がする。

 その時の沈老人の口調は、思い出したのでついでにといったような軽いものだった。二人がこのように親しい関係だったとは……。


「英卓さん、こちらは承将軍であられます。

 第五皇子の母上の兄上さまになられるおかたでございます」


 そう言って沈老人は、海水を洗い流すために、男たちから桶の水を頭からかけられている子ども二人をちらりと見やった。


 英卓もその視線を追う。


 なんと、あの無様な飛び込みを見せたのが、この青陵国を治める天子さまのお子で第五皇子だというのか。白麗もまた頭から水をざあざあと何杯も立て続けにかけられているので、英卓には気づいていない。


 水が冷たいようで、第五皇子と白麗はお互いに水を掛け合っては楽しそうだ。

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