078 第五皇子の初恋・その5
「天子さまより軍をあずかり、北方の守りについている承家の宇項だ。
夏にはこの宮砂村に天幕を貼り、配下の兵たちとしばしの休養と鍛錬を常としている」
まじかで見る承宇項は、その年齢は三十代半ばか。
生粋の青陵国人らしく、その顔は扁平で眉は薄く目も細い。
しかし惜しげもなくさらしている体と同じく、顔つきも声も武人らしい飾らぬ精悍さと威厳に満ちている。
「荘新家の宗主、荘英卓にございます。
沈ご老人とは、南の慶央にいた時よりの浅からぬ因縁により、実の親子のごとくに親しくさせていただいております。
以後、お見知りおきを」
片手だけで拱手の礼をとった英卓を見て、大きく頷いた承将軍は刀を構えている配下のものたちを見回してよく通る声で言った。
「皆のもの、このお人は、いま安陽で、その活躍がもっぱらの噂になっている荘さんだ。白麗の兄上だ」
その声に男たちは緊張を解き、抜き払った刀を鞘に収め始める。
そのような彼らのなかには「ほう!」とか「おお、あの……」とかと声をあげて、まじまじと英卓を見るものもいた。黒イタチを討ち果たしてかどわかされた女たちを奪還したという英卓たちの武勇伝は、北方を守る兵士の間にまで広まっていた。
「あの話は、腐りきった安陽で聞くことのできた、久しぶりに胸のすく話であった」
将軍は彼らの想いを代弁して言った。
その胸の内には、自分たちが命を懸けて国境の守備についている間、都の安陽では権力と贅沢に溺れた貴族や官僚たちが、汚職にまみれた
彼がその若さで将軍の地位にあるのも、十年前に、なかなかに来ぬ安陽からの援軍を待つ間に、父であった前将軍が壮絶な討ち死でその命を散らしたためだ。
辛い思い出を振り切るように、その精悍な顔に穏やかさを取り戻した彼は、後ろで水をかけあってはしゃいでいる第五皇子と白麗を見やった。
そして言った。
「白麗、兄上が来ているぞ」
自分の名前を呼ばれた少女がぱっと顔をあげてこちらを見る。
十日ぶりに見る英卓に、そのほのかに赤く日焼けした美しい顔に笑みが広がる。
英卓のもとに駆け寄ろうとして一歩足を踏み出した白麗だ。
しかし、彼女はのけぞった。
白麗を引き留めようとして、第五皇子が彼女の結って垂らしている真白い髪を引っ張ったのだ。
ふいをつかれて驚いたのか。
よほどに痛かったのか。
笑みの消えた顔で少女がくるりと振り返った。
そして、結った髪の先を掴んでいる皇子の手を叩いて振り払った。
生まれた時より多くの奴婢にかしずかれ、度の過ぎた悪戯も叱られる経験なく育った第五皇子だ。
初めて人に叩かれた驚きで、その体がかたまった。
なごみかけていた場の雰囲気に再び緊張が走る。
軽く頭を下げて将軍から離れた英卓が、ゆっくりと歩み皇子の前に立った。
そして、これ以上はないというほどに腰を低くかがめて片手で拱手した。
「やんごとなき第五皇子に、麗の兄である荘英卓がご挨拶申し上げます。
第五皇子にご挨拶できる喜びは筆舌に表しがたく、尊顔を拝し奉ることは恐悦至極に存じます」
そこまで言うと、彼は拱手の礼を解き背筋を伸ばした。
当然ながら、背の高さでは子どもの皇子より彼の方が勝っている。
皇子を見下ろした形で、英卓は言葉を続けた。
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