052 英卓、黒イタチより白麗を奪還する・6



 堂鉄の言葉が聞こえなかったのか。

 それとも理解できなかったのか、理解したくなかったのか。


 少女は再び、命が果てた梅鈴の体に取りすがった。

 切り裂かれた肩先のぱっくりと開いた傷口に、両の手を押し当てる。

 しかし、その指の間から、止めようもなく血は溢れ出た。


「麗、手遅れだ。梅鈴はすでに死んでいる。

 諦めるしかない」


 泣き叫ぶ白麗を死んだ女から引き離そうと、片手で優しくその体を優しく抱きかかえて、英卓は言った。

 しかし思わぬ力で、手は振り解かれた。

 突き飛ばされた彼の体は均衡を失い、片手は空を掴む。


 何があっても白麗は梅鈴から離れるつもりはないらしい。

 今度は、女の体にしがみつき揺さぶり始めた。

 魂を呼び戻そうする悲痛な叫び声が、本堂にこだました。


「錯乱されています」


 堂鉄が言う。

 その目は、若い主人の覚悟を求めている。

 英卓はその真意を察して頷いた。


 再び、英卓は右腕に力を込める。

 そして少女と死んだ女の間に差し入れ、少女を引きはがした。

 暴れる少女の手足を避けつつ、片手で背中から抱え込む。

 巻き付いた英卓の腕の中で、少女の薄い胸の下の骨がきしんだ。


「お許しを……」


 片膝ついた堂鉄がその大きな体をすっと前に滑らす。

 握りこぶしが少女のみぞおちに当たる。

 暴れていた少女の体が崩れ落ち、動かなくなった。


「見た限りでは、血は、梅鈴のものだけのように思われますが。

 しかし、一刻もはやく、永先生のもとへ」


 軽々と少女を抱き上げ、立ち上がった堂鉄が言う。

 その言葉に、もう一度、英卓は無言で頷いて応えた。


 春まだ浅い六鹿山で、片腕を失って、はや三年が過ぎた。

 不便な暮らしにも慣れた。

 命あっての物種だと思っている。

 何よりも、失った左腕の代わりを、常に傍にいる堂鉄と徐平が補ってくれていてなお余りある。


 しかし今回、初めて、片腕しかない体であることを彼は悔やんだ。

 永遠に、両腕で白麗を抱きしめて、守ってやることは出来ない。






 短槍をかまえた英卓を先頭に、本堂を飛び出る。

 意識のない白麗を抱いた堂鉄が続き、座敷牢の鍵を壊して女たちを助けて戻ってきた徐平が後ろを守る。


 そこかしこで、斬り結び組み合う姿が、天をも焦がす篝火の下で影絵のように浮かんでいた。


 傍目から見ても、黒イタチの野盗たちが逃げ惑い、それを追うもの達が優勢であることがわかる。


 攻め入ったこちらは荘新家の精鋭、老人の薬草園を守る私兵、そして峰貴文が集めた蘇悦を中心とした手練れのもの達。

 その数は合わせて三十人に満たないが、みごとに統制がとれていた。


 英卓たちの姿を認めたものたちの間から、声があがる。

「若宗主をお守りしろ!」

 数人がばらばらと駆け寄ってきて、英卓たちの横に付き従う。


 寺の大門をくぐり抜けたあと、医師の但州、参謀の関景、家令の允陶、白麗の部屋付きの女中の萬姜が待つ民家を目指して、参道を疾風のごとく駆け下った。


 背後で勝ちどきがあがった。

 黒イタチの首を刎ねたのだ。

 

 



 

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