051 英卓、黒イタチより白麗を奪還する・5



 女たちが囚われている本堂に、誰よりも早く、身軽な徐平が先頭を切って飛び込む。


 徐平の動きを、背後の蹴破った戸から一陣の風が吹き込んできたのだと、少女を突き刺そうと刀を振りあげていた宝成は思った。風は爽やかに吹き抜けると、突然に渦巻いて、彼の手にぶつかり衝撃を与えた。

 宝成は思わず刀から手を離す。


 風と思ったが、風ではなかった。

 弓を片手に持った長身の若い男が、横合いからの素早い回し蹴りで刀を払ったのだ。


 手を離れた刀は、風を切る音を放ち鈍い光と輪となって、風車のように回りながら飛んでいき、そして本堂の太い柱に突き立った。


 今度は腹に衝撃を感じた。

 何が起きた?……と、見下ろすと、尖った槍の先が腹を突き抜けている。

 そして引き抜かれたのであろう、再び、それはすっと腹の中に消えていった。


「覚悟!」


 槍の持ち主とは別の大男が目の前に立ちはだかった。

 その声に聞き覚えがあった。

 さきほど、塀の向こうに聞いた腹の底に響く気迫に満ちた声だ。


 ……想像通りの面構えをした大男だ……


 しかし、宝成はそのように最後まで考えることが出来たのか。

 刀を蹴った若い男と短槍をかまえた男が、横に飛んで身をかわしたのが目の端に見えた。

 そして大男の鞘から抜いた刀が一閃し、宝成の胴を切り裂いた。






 崩れ落ちる宝成の体を堂鉄は邪魔だとばかりに蹴とばし、徐平は女たちが閉じ込められている座敷牢に向かって走る。

 短槍を投げ捨てた英卓は、白麗のもとに駆け寄った。


 目で見たところでは、少女は大きな怪我を負っているようでもなく、格別にやつれたというふうでもない。


 ……無事でいてくれた……


 この数日、決して人に悟られてはならないと、胸の内に隠していた不安がありありと蘇る。床についた両膝が、安堵でかすかに震えた。


 少女は梅鈴に覆いかぶさり、その体を揺さぶりながら何事かを叫んでいた。

 体から抜け出ようとした魂さえもためらうと思わせるほどの、悲痛な叫びだ。


「麗、無事か?」


 その声と肩にかけられた手に、白麗が顔をあげる。

 頬から首筋にかけて、梅鈴の血で赤く染まっていた。

 血を吸った着物も黒く塗れていた。


 血濡れた両手を前に差し出すと、白麗は何事かを言った。

 ものの名前を考えに考えてやっと口にすることしか出来ない少女が、異国の言葉で何ごとかを言ったのだ。


 それは英卓が初めて耳にする美しい言葉だった。

 輝く黄金と黄金が触れ合ったような、いや美しい玉と玉が打ち合えば、このような声色となるのか。


 初めて聞く言葉で、何を言ったのかはわからない。

 しかしその意味は、彼の頭の中で鮮明な形となってこだました。


『このものは、わたくしをかばって斬られました。

 死なせることは出来ません』


 少女の足枷の鎖を刀で断ち切った堂鉄が、梅鈴の横に片膝立ててしゃがむ。

 揃えた二本の指を女の首筋に当てた。

 そして首を振る。


「すでにこと切れています」






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