037 峰 貴文、女装の戯作者登場・6
その言葉とともに、馬車の踏み台に足をかけていた峰貴文が、英卓・堂鉄・徐平の元にと戻って来た。
貴文の足元を照らしていた提灯を、蘇鉄が持ちあげる。
白粉を厚く塗った顔が、芝居役者の大首のように闇の中に浮かび上がった。
「英卓ちゃん、胡玉楼の青愁ちゃんからの言伝よ。
『白麗お嬢さまが無事に戻って来られましたら、その時は、ぜひ、胡玉楼に遊びにいらして下さいませ』って。
あらまあ、英卓ちゃんの色男。
あの青愁ちゃんにそこまで言わせるなんて、ほんと隅に置けないわね」
場所をわきまえぬ主人の言葉だ。
さすがの蘇鉄もその場をとりなして言った。
「峰さん。白麗お嬢さんのことで、英卓も辛いだろう。
いま、そのようなことを言い出さなくとも……」
英卓もまた怒りで首筋まで上ってきた血だったが、なんとか冷静さを保つ。
「それはありがたい言伝だ。
その日を楽しみにしていると、おれからも青愁さんに言伝をお願いする」
峰貴文は顔をぐいっと近づけてきた。
どうやら彼には、自分の言葉に翻弄される相手の顔色を見ては愉しむ癖があるらしい。
「あの子は器量もいいし、芸事も出来るし、客あしらいも上手いし。
そして、うふふ、胸も大きいしで、胡玉楼でも売れっ子なんだけど……。
少々気位が高くて、客の選り好みをするのが玉に疵なのよ。
そんな子が、どうも英卓ちゃんに惚れたようよ。
そうそう、あたしは残念ながら試したことはないのだけど、お客の評判では、寝床の中のこともなかなかに巧みだとか」
「それは、なおさらに楽しみだ」
意地のぶつかり合いで散る火花というものがあるとすれば、英卓と貴文の間でパチパチと赤く飛び散るものが見えたことだろう。
「うふふ……」
満足だか不満だかわからぬ含み笑いを、峰貴文はもらす。
今度は、その顔を徐平に近づけた。
まだ若い徐平は、「うぉっ」と声をあげ、背を逸らしてその白塗りの顔を避ける。
しかし、貴文はおかまいなくその顔をぐっと近づけて、徐平の耳に囁いた。
「うふん、徐平ちゃん。梅鈴ちゃんと楽しんでね。」
怪しげなことばかりを言う峰貴文とすまなさそうな顔をした蘇悦を、なんとか無事に見送った。
自室へと戻る英卓に、堂鉄と徐平は従う。
明日の朝になれば、沈老人と峰貴文から新しい情報がもたらされる。
しかしいま、英卓の胸の内では、どのような嵐が吹き荒れているのか。
普段は賑やかな徐平もその口を閉じたままだ。
通りかかった部屋の戸が半開きになっていた。
部屋の床に置いた手燭の灯りに、女の影が浮かんでいる。
女はその手の中に、昼間、英卓が脱ぎ捨て堂鉄が足で蹴りあげた着物を抱えていた。
堂鉄は「後から行く」と徐平に目で合図を送る。
そして彼は体をよじると、するりと部屋の中に入った。
気配を感じた萬姜が振り返る。
この三十路女の口煩い叱責を、堂鉄は覚悟した。
彼が足で踏みつけたのは、下々の家が一軒建つという着物だ。
「萬姜、すまない。畳んでおく暇がなかった」
萬姜が堂鉄の胸の中に飛び込んできた。
大男の胸の中に、小柄な女はすっぽりとおさまる。
「お嬢さまが……、お嬢さまが……」
あとは言葉にならずに押し殺した嗚咽だけだ。
堂鉄はためらったのち、震える女の肩の上にその大きな手をおいた。
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