030 白麗奪還に集まった強者たち・5



 祖父に促されて、膝を前に進めた如賢が抱えていた布包みを開いた。

 この場には相応しくない赤い色が溢れる。


「それは、お嬢さまのお着物!」


 あまりの驚きに、英卓の戒めの言葉を忘れた萬姜が叫んだ。

 慌てて両の手で自分の口を押える。


「そうだ、萬姜。これは、わしがお嬢ちゃんに贈った着物だ。

 それがなぜ、いまここにあるか、わかるかな?」


 口を押えたままの萬姜が激しく首を横に振る。


 萬姜の叫びがなかったら、女の着物などにはうとい男たちばかりだ。沈明宥の突然の訪れの真意をいまだに計り兼ねていたことだろう。

 彼は視線を萬姜から関景に移した。


「顔色を失くした萬姜が慌てて帰って行ったあと、『これは、荘家にただならぬことが起きたに違いない』と思案していると、懇意にしている呉服商・雅風堂の主人がお嬢ちゃんの着物を持ってわしに会いに来た。


 雅風堂が言うには、拾ったとか言いおって、古着屋にこの着物を売りに来たものがいたそうだ。そしてその古着屋は買い取ったあと、着物のあまりの美しさに『このような着物が道端に落ちていたとはあり得ぬこと』と思い、出所が解るかも知れぬと雅風堂に相談に来た。


 そして、相談を受けた雅風堂の主人は、わしがお嬢ちゃんのために誂えたものであることを憶えていて、すぐにわしに確かめに来たという訳だ」


 英卓は突然見せられた白麗の着物を見つめたまま、しばらく言葉を失っていた。


 着飾って喜ぶ白麗ではなかったが、それでも「馬子にも衣装だな」と褒めてやると、無邪気にその身をゆだねて彼女は喜びを表した。


 寄せてきた体をそっと抱きとめた時の、白麗の体のしなやかさが腕に、彼女の体から発するよい匂いが鼻孔の奥に蘇る。

 心の底から愛おしい、そう思ったと同時に、ギリっと頭痛がした。


「この着物が拾われたということと、萬姜が慌てて荘家に戻ったことの二つは結びつくはず。

 英卓よ、わしの想像は間違っているか?」


 明宥の声で、英卓は我に返る。


「沈爺さま、申し訳ないことをしてしまった。しかしながら、今回のことは決して、爺さまをのけ者にしたのではない。ご老体に心配をかけてはならぬと思ったからだ」


「老体とはけしからん言い草だ。いやいや、わしの体のことなど、どうでもよい。

 お嬢ちゃんの身に、何が起きたか。それだけを聞かせてくれ」


 その言葉に関景が答えた。


「お嬢ちゃんが、何者かにかどわかされた。

 もしかすれば、いまだ屋敷内のどこかにいるか、それともひょっこりと戻って来るかと、一縷の望みも持っていたが……。

 この着物でその望みはついえたと言わざる得ない」


 それは事実かと、明宥はまっすぐ見つめた目で英卓に問う。

 英卓は無言で頷いた。


「かどわかされたとなると、安陽は広い、広すぎる……」


 そう呟いた明宥は「うっ」と唸り胸を押えた。

「爺さま!」と如賢が叫び、素早く立ち上がった医師の永但州が駆け寄る。


「いや、大丈夫だ。如賢、騒ぐでない。年相応に古びている心の臓が、驚いて飛び上っただけだ。永先生、こう見えても、わしは薬種問屋の元主人。多少は医術の心得もあれば、ご心配には及びません。

 こんな老いぼれの体のことよりも、お嬢ちゃんのことを心配せねば……」





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